喜♪きりん

人が苦手なのに何故か販売員をしてる人の日々あれこれ

自由になりたかった君へ

2021-09-16 13:30:17 | 春馬くん
何となくもやっとしている毎日、エレカシの「シグナル」が沁みる。

最近、春馬君の作品があちこちで見られて、先日は好きな作品ベストなんてのも発表されていた。

そのことで「僕いた」の監督?かながツイッターで触れていて、視聴率の文字を見た時に、業界の人や役者はこの数字にずっと苦しんできて、これだけテレビが弱体化した今でも苦しんでるんだろうなって思った。

特に主役や重要な役が多かった春馬君は相当プレッシャーだったんじゃないかな。

視聴率が悪ければ世間にもマスコミにも叩かれるのは主役でぎゃくもまたしかり。人気を可視化する唯一の方法というのが数字しかないから仕方ない。
テレビなら視聴率、映画なら興行成績、動員数、舞台やライブなんてもっとも残酷で演者が当日に現実を突きつけられてしまう。

数字が良かったからその作品が良作かというとそうでもなくて、その時代にたまたま迎合してヒットしたものもある。本当にいい作品と言うのは何年経っても新たにファンを作るし惹き付ける。ただし良作も駄作も人によって違うから個人差はある。

それでも数字という呪縛から放たれてもなお魅了する作品は明らかに良作だし、そこで称賛される役者は幸せだ。

配信で当時は見ていなかった層が見たり、以前見てた人達が懐かしがっていたり、ファンではない人達が「良かった」「面白かった」と感想を言う。
放送当時は視聴率が悪かったとか、当事者には呪縛であったとしても、【選んで】見ている人達はそんなこと気にしないだってそれは過去の事だからだ。

作品と言うのは人の手で作られ数字で雁字搦めにされ過去の遺跡となって掘り起こされ再び光が当たって初めて自由に羽ばたくのかもしれない。

今、その掘り起こしの要因が彼の不在だからという現実もあるが、彼は自分を残すために旅立ったわけではないと思うし、芸能界のトップにいて辛酸を嘗め尽くした彼は数字がどれほど重要で残酷か、人気がいかに水物であるか分かっていたと思う。

彼には彼の理由があってそれは私は知る必要はないし、もう知ろうとは思わない。(ただどうしても時々想像はしてしまうし考える、たぶんこの先も引きずる)

遠いどこかで自分の作品が光を浴びてるのを彼は不思議そうに見てるだろうか?それとも数字に縛られない純粋な評価に微笑んでるだろうか。

ようやく自由になれたとホッとしているだろうか。
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