ひなたぱん

天然酵母ぱんと過ごす、のんびり日々の記録です

今の わたしの 心・・・・。    です。

2015年02月17日 | 酵母ぱん
2015年2月17日   火曜日


うんとこ、 どっこいしょ。 の ぱん焼き。

1次発酵の 逆算を間違えて、 大幅に時間超過。

けれど、 「 午前中のスイミングには行かなきゃ。 」 だし、 時間超過の上に、 心も重く、

ほんとに、  うんとこ、 どっこいしょ。 の ぱん焼き。

娘たちの 朝食の足しにでもと思って、 「 オリーブ & チェダー 」 と 「 マロン 」 のぱん。

 


「 工程も 成形も簡単だし・・・。 」 何て、 高を括って取り組んだら、 1次発酵では 撃沈し、

 


成形も イマイチ。 挙句に、 クープの入れ方もイマイチで、 最終的に、 「 何だかなぁー。 」 の仕上りに。

 


チーズは、 ダレダレ、 マロンぱんは 腹切り状態。

2次発酵の 進みの割に、 クープが浅すぎたんだ。

なるべく 上の方に生地を持って来る様に、 底の部分を薄目に成形したもんだから 尚の事・・・・。

はぁー。 ぱん焼きは、 サボると 覿面に ぱん力の退化。 ってか、 元々、 そんなにぱん力が無いから 尚の事・・・。


って、 大撃沈に 真っ暗な心のわたしに、 追い打ちをかける様に、 天板が、 じゅぅー。

「 えっ。 」 って思ったら、 なぜか、 羽毛が舞っていて。

こんなん なったました・・・・・。




だから 苦肉の策で、 こんなんに しました・・・・。





こころ、 真っ暗。   です。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何気ない 日曜日・・・・。    です。

2015年02月15日 | 日記
2015年2月15日   日曜日


朝 目覚めると、 驚く程の積雪。

主人は 「 こ、 こ、 腰が 痛ーい。 」 と言いながら、 雪かきに奔走中。 

何気ない 日曜日・・・・。


沢山の 失敗と、 しくじりと、 反省ばかりの 自分の人生。 心が 右往左往の日々。


ほんの小さな優しさが、 ほんの小さな幸せが 心に 安らぎを与えてくれる・・・・。


父が亡くなり、 母や姉との出来事に 心に穴が開いた時に、 

何年も前に ピッコリーノでご一緒したぱん仲間から お悔やみの電話を頂戴しました。

彼女も お母様の介護の真っ只中。 お母様とのやり取りで、

「 本当に、 色々 あるわよ。 縁を切るなんて台詞、 何度 言われた事か・・・。 」 って、 明るく言ってくれました。

その言葉で、 どれだけ救われた事か・・・。

消えて無くなりたい程の 自分の駄目さ加減に 押しつぶされそうな心を、 救われた気がした。

言葉って、 人の心を空虚にする事も、 満たす事も出来てしまう・・・・。



わたしの言葉は、 母や 姉の心を 満たせていたとは 決して思えない。

けれど、 そんな言葉を吐いてしまう理由も、 わたしは 感じる・・・。

結局、 早いか 遅いか、 時間の問題で、 何時かは この結果になるんだと思ってしまう理由も思う・・・・。

誰にも解らない、 母や 姉には 決して理解できないわたしの思い。

近くで見て、 感じていた主人だけが、 「 いつも、 ほんと、 偉いなぁー って、 感心していたんだよ。 」って言ってくれる。

婦唱婦随の おめでた夫婦でも、 本当に ありがたい・・・・。

 

心が ほんの小さく しあわせになる物を 購入しました。


九谷焼の 湯呑。 婦唱婦随の おめでた夫婦 二人分の 湯呑。 穏やかな時間を 味わいたいなぁー。
 


大好きな 沖縄の 壺や焼の 器。

 



あと、 リビングのテーブルに センターマット。 お部屋の差色。 




こころ豊かな、  穏やかな時を 過ごしたいなぁー・・・・。

    







 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頑張れ、 頑張れ・・・。    です。

2015年02月10日 | 日記
2015年2月10日   火曜日


「 少しずつ、 自分の生活を取り戻さなきゃ。 」 って、 頑張って、 久々のスイミングに。

「 久しぶり。 」 って 皆さんに声掛け頂いて、

「 うーん。 父が 亡くなって・・・。 」 って言う度に、 心に棘が刺さるみたいに 痛んだ。



わたしは 父が亡くなって、 妹の様に 泣けなかった・・・・。

そんなわたしを、 「 気持ちが 見えない。 」 と言って、 妹は攻めたけれど、

わたしは、 只々、 歯が ガチガチ、 ガチガチ鳴るだけで、 泣けなかった。


わたしは、 只々、 姉や 妹や、 母への怒りの暴走に、 自分で 自分が戸惑いながら、 けれど、 泣けなかった。



今頃になって、 何気ないプールの時間に、 突然、 心に棘が刺さるみたいに、 父を思って、 心が痛んだ。

呪文の様に、 「 頑張れ。 頑張れ。 」 って心で自分を励ましながら、 相変らず、 歯が ガチガチ、 ガチガチ鳴ってた。



父が亡くなって、 迷い、 悩み、 心が 痛んで、 本を沢山 読んだ。
 

小池龍之介さん、 今頃になって、 養老 孟司 さんの 「 死の壁 」 「 ばかの壁 」。


本を読んでも、 自分の 怒りの暴走は、 止める事が出来なかった・・・・。


50も 過ぎた おばさんが、 未だに、 親から自立出来ずに居るなんて。  情けない。


「 少しずつ、 自分の生活を取り戻さなきゃ。 」 って、 頑張って、

今頃になって 塩レモン 作ってみました。



どうしても、 大好きな スペルト小麦のリュスティックを作りたくて、 「 ママの手作りパン屋さん 」 で小麦を注文した際に、



一緒に、 「 有機レモン 」 も 購入してみたからです。

塩レモンのレシピを ネットで検索したら、 塩分を レモンの10 ~ 20 % の物や、

やたら 塩分の多い物、 やたら 少ない物と、 本当に 様々。  悩みます。

  
で、 結局は・・・・。   いつもの、 適当ぉー。  な感じで 作ってみました。 どうなる事やら。


明日は、 建国記念日の 祝日。 聞き役の主人が居てくれる。 一人で、 頑張らなくても良い日。



明日が過ぎたら、 酵母を起こして、 スイミングにも通って、 ぱんも焼いて・・・・。

 

自分を 取り戻さなきゃ。    頑張れ、 頑張れ。  です。



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

完全に、 愚痴です。 読まない方が、 身の為・・・・。   です。

2015年02月06日 | 日記
2015年2月6日   金曜日


この歳まで生きていると、 本当に 思いもよらない出来事に出くわします。 

それが 自分の蒔いた種にしろ、 思わぬ展開に、 自分自身が驚愕してしまう事があります。

自分の未熟さや、 至らなさの結果だと、 後になっては気付きますが、 でも、 わたしの事だから、 また 繰り返すんだろうなぁー・・・。


わたしは、 恐怖の ← 敢えて 付けたい・・・。  三姉妹の 次女。

世間的には、 ダメ人間の部類に含まれるけれど、 我が家的には、 「 しっかり者 」 の立ち位置。

← 如何に 三姉妹の ダメさ加減が知れてしまう・・・・。

姉は、 とても良い方だけれど、 何事にも、 大騒ぎで、 「 手伝って。 助けて。 」 が口癖の方。

色んな事を口にして、 「 えー、 忘れちゃった。 」 も、 口癖。

わたしは、 いつも 言葉に辛辣で、 そんな姉を チクリ、 チクリと攻撃しながら、 姉の出来ない部分を、 カバーしていた。

ってか、 カバーできていたかどうかも、 今となっては 解らないし、 

「 していた。 」 と言うよりも、 「 させられていた。 」 の気分の方が 強かった。

母は いつも、 姉の事を、 「 あの子は、 無理だから。 騒ぎばかりで、 ダメだから。 」 と、 わたしに言っては、

「 あなた、 相談に 乗って頂戴。 あなた、 力に なって頂戴。 」 と、 何気なく、 けれど、 度々 言った。

「 あなたは、 娘だから 当然だし。 」 と、 いつも 何気なく。 

実家の近所に住む 妹の事は、 「 子供が 小さいから、 頼めないのよ。 

それに あの娘は、 良いじゃん。 良いじゃん。 て 言って、 言うこと聞かないのよ。 」 が、 母の言葉。

そうなんだ。  妹の子供たちは、 わたしの子供達より、 永遠に 小さい。

いつも 何かあると、 実家の近所に住む 妹では無く、 実家の後を継ぐ 姉でもなく、 一番遠くの群馬から わたしが しゃしゃって 出かけていた。

心も、 労力も、 財布も、 「 もう、 沢山。 もう、 沢山。 」 って悲鳴をあげながら・・・。


「 お墓、 直さなければならないけれど、 お姉ちゃんに相談すると、 後を継ぐ息子に迷惑だけはかけないでって、 大騒ぎになるだけで 役に立たないから、 相談に乗って。 」

父が 階段で転んだ時は、

「 お父さんが、 階段から落ちて、 胸をうって、 様子が変で心配なんだけれど・・・。 」 と、

連日、 電話で訴えるので、 群馬から しゃしゃって 病院に連れて行ったら、 肋骨が折れていた。

後日談・・・。

近所に住む 妹が、 「 わざわざ群馬から来て、 だったら、 病院に連れて行って 言えばいい事じゃん。 言えば、 やるのに。 」

と、 わたしに怒ったけれど、 母は、 妹に相談したら、 「 平気じゃない。しか言わないんだもの。」 って、 愚痴ってた。

「 言えば、 やるのに。 」 かぁー・・・・。



きっと、 母は、 何気に、 意味も無く、 わたしに愚痴っていたのかも・・・・。

わたしが、 勝手に しゃしゃっただけかも。 今となっては、 そう 思う・・・・。


 
「 ( 近所に住む 妹が ) 旅行に行くからって、 犬にも触れない私に、 犬を預かれって 言うんだけれど、 どうしよう。 」

「 何で。 ダメって言わなかったの。 」 と、 わたし・・・。

「 言ったけれど、 良いじゃん。 って、 聞かないのよ。 」 と、 母。

妹一家の旅行の間、 犬の面倒をみに、 群馬から しゃしゃった・・・・。



きっと、 母は、 何気に、 意味も無く、 わたしに愚痴っていたのかも・・・・。

わたしが、 勝手に しゃしゃっただけかも。 今となっては、 そう 思う・・・・。




「 パソコン、 買いたいけれど、 お父さんが 理解してくれないのよ。 えーん。 」


「 松江の 道、 解らないのに、 誰も 教えてくれないのよ。 えーん。 」


「 お父さんと  うまく行かなくて、 少し 時間を空けたいから、 少し 代わって。  」
 

「 車、 ぶつけちゃって、 ショックだから、 少し 代わって。 」

その度ごとに、 群馬から しゃしゃった・・・・。



きっと、 姉は、 何気に、 意味も無く、 わたしに愚痴っていたのかも・・・・。

わたしが、 勝手に しゃしゃっただけかも。 これ又、 今となっては、 そう 思う・・・・。


心も、 労力も、 財布も、 「 もう、 沢山。 もう、 沢山。 」 って悲鳴をあげながら・・・。



父が亡くなって、 姉が、 

「 土地や、 家を、 わたし達の息子の相続にしたいんだけれど、 放棄してくれる。 」

「 うん。 いいよ。 祐一郎 良い子だし。 」 と、 わたし。

「 えー、 良いの。  ありがとう。 

それでも、 助けてくれる。   わたしは、 分割でも 良いんだけれど・・・。 」 と、 姉。



後で、 「 分割なんて言葉を 口にしてぇー。 」 と、 意地悪く注意したわたしに、 帰ってきた言葉。

「 えー、 忘れちゃった。  そんなにうるさく言われるなら、 言葉 全部 メモしなきゃ。 恐ろしい。 」


四十九日に 実家に戻るなり、

「 お父さんが亡くなって、 みんな あの子たちの思う様にされて、 わたしへの思いも、 我が家への思いも、 あの子達には 全くないのよ。 

後を継ぐ 自分たちの息子の事しかないのよ。 」 と 姉夫婦の事を言って、 わたしの前で 母は 泣いた。

「 でも、 良いの。 あの夫婦は、 信用だけは出来るから、 それを信じて、 わたしは、 黙って、 言われるがままにするのよ。 」 って・・・・。



四十九日が過ぎたその日、 些細な事で、 わたしが 姉と 母を 怒らせた。 ← これが、 身から出たさび。

「 わたしも、 色々、 やってるじゃないの。 」 って、 気持ちが 言葉になってしまった・・・。

まぁー、 100% わたしが悪いんだけれど・・・・。  成長できとらん。



って、 其処からの 展開。

「 もう、 沢山。 やってます。 やってますって、 我慢できん。 縁切りだ。 縁切りだ。 」 と、 母。

「 何が、 不満なの。 ハンコを 押す事なの。 」 と、 姉。

「 お金が、 欲しいからでしょ。 」 と、 母。 ← これは言っていない。 と、 後で 本人は言ってましたが・・・・。

「 お父さんの 預貯金を 分割して、 あげるから、 それで 縁切りだ。 直ぐ、 手続きして。 」 と、 母。

即座に、 「 はい。 」 と、 姉。 驚く程の 連携。

横浜の 姉のご主人に 即座に 連絡。 これ又、 凄い連携プレー。

「 やぁー、 お金とか、 ハンコじゃないし・・・。 」 と、 しどろもどろのわたし・・・。

「 いいえ。 お金が欲しくてでしょ。 お金が 欲しいからよ。 」 と、 母。 

(     ← 本人は、 「 絶対 そう言ってない。 」 と、 後からいいましたが・・・。 )

すかさず、 姉が、

「 息子の時に 揉めるのは困るから、 全て 放棄と、 息子充てに一筆 書いてよね。 」 

「 あんたは いつも トラブルメーカーじゃん。 自分では、 気付いてはいないけど。 」

と、 立て続けに・・・・。




きっと、 きっと、 全ての事が、 今までのすべての事が、


姉や母は、 何気なく、 意味も無く、 わたしに愚痴っていたのを、 それを受けて、 わたしが、 勝手に しゃしゃってただけだったんだ。 




翌日、 戦線離脱の わたしに向かって、

「 こんな形、 お父さんが一番 嫌う形じゃないの。 何が、 不満な訳。 一筆書けなんて、言った方が キズつくんだから。 」 と、またまた、 姉。



人間、 頑張らないのが、 一番。 無理をしないのが、 一番。

自分では 足掻いていても、 人から見えるのは 表面部分のみ。


心も、 労力も、 財布も、 「 もう、 沢山。 もう、 沢山。 」 って悲鳴をあげながらでも、

人には 見えないし、 感じない。


本当は、 わたしは、 もう 胸一杯 嫌気がさしていたんだ。 この 関係性に・・・・。




わたしは 娘たちに、 そんな思いをさせていないだろうか・・・・。


わたしも 人に そんな思いをさせているんだろうか・・・・・。

だったら、 悲しいなぁー・・・。



「 今の時期に  自分も やりました。 って言ったら、 お金目当てだと取られちゃうよ。 」 

と、 主人に 注意されていた。 「 言動には 気をつけなさいよ。 」 って。


けれど、 実の 親や 兄弟から そんな風に取られるなんて 全く 思いもしてなかった。


そっちの方が、 驚きであり、 学び だった。


結局、 所詮、 「 縁 」 なんて、 その程度の 物なんだって・・・。



本当に、 罪悪感も感じないで、 自分の事だけに思いを配れるようになった今を、 逆に 感謝してます。

やっと、 解放され気分。


自分で、 自分を 縛っていた心から、 解放された気分。


亡くなった父が、 わたしを自由にしてくれたとさえ思ってしまう。



わたしは、 主人や、 娘達との 「 縁 」 を 大切に育もう。

壊さず、 大切に、 大切に 今を 味わおう。


色々な事があって、 2泊3日で 長女が 帰って来てくれました。 ← 札幌雪祭りへ行くのをキャンセルして。

一緒に 温泉に入ったり、 ランチをしたり、 少し早い パパへの バレンタインチョコレートケーキを作ったり、



本当に 穏やかな時間を過ごしました・・・・。


50歳過ぎた 中年おばさんが、 80歳過ぎた 母親に、 「 ごめんなさい。 ごめんなさい。 」 って、 泣きながら謝る姿は、

今思い出しても、 地獄絵図だし、 60歳近い 姉もそれに加わって・・・・。  更に、 地獄絵図。


何でそういう展開になったのかも 未だに 理解不明で、

多勢に無勢、 アウェーで、 連携から 外れちゃった立場で、 結局、 わたしは必要が無くなった。 って事かな。


今思い出すと、 笑いさえ込み上げてしまうけれど、 真っ只中だと、 人は 思考が停止してしまう。

ほんと、 今なら 笑っちゃう。


この歳まで生きていると、 本当に 思いもよらない出来事に出くわします。
 

それが 自分の蒔いた種にしろ、 思わぬ展開に、 自分自身が驚愕してしまう事があります。


自分の未熟さや、 至らなさの結果だと、 後になっては気付きますが、 でも、 わたしの事だから、 また 繰り返すんだろうなぁー・・・。
 

って、 結局、 最初の 部分に戻るのですが・・・・・。




全く 関係ない、 突然の  おまけ。

チョコレートシュトーレン。   なかなかの 美味で、 大満足の出来でした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする