彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

彦根城周辺史跡スポット:「八坂地蔵尊」

2007年02月11日 | 史跡
本庄町には本庄助作という人物の伝説が残っています。
 
彦根藩主が二代目の井伊直孝だった時、助作は訴訟事があって彦根藩の奉行所に向かっていました。
自分の正義を信じていた助作でしたが、浜街道を彦根との往復の道中、八坂村で老婆に会いました。
老婆は「今は焦っても勝てない、時期を待ちなさい」と言いました。
それを聞いた助作は怒って老婆を斬り捨てました、すると不思議な事に老婆は消えてしまい刀に血の後も残らなかったのです。

後日、「八坂のお地蔵さまに刀の傷が出来た」と噂で聞いた助作が行ってみると無残な刀傷があり、それは自分が先日斬った老婆だと分りました。
「これは、お地蔵様が勝訴の吉凶を知らせてくれたのだろう」と思い、仏罰を恐れて、丁寧に供養しました。
 
判決の日、証拠不十分で助作の敗訴となりましたが、納得できない助作は、武士として潔く死んで正義を示そうと、その場で十文字に腹を切り、介添え人が内臓を三宝に乗せて奉行所に提出しました。
助作の意気込みと誠意を知った奉行所は、先の判決を取り下げて助作勝訴としたのです。
 
この故事から、八坂地蔵尊は“斬られ地蔵”とも呼ばれ、勝負事の願望成就に霊験があるとして多くの信仰を集めています。

ちなみに、八坂地蔵尊のご本尊は今から750年ほど前に、この土地の所有者だった上杉重左衛門という人物が夢のお告げで掘り起こした物で、聖徳太子が二十歳の時に作った物だと伝承されています。

勝負事で運を掴みたい方は、手を合わせにいかれてはいかがでしょうか?
もし、その時に出会ったアドバイスをくれる方が居たならば、嫌な言葉でもちゃんと受け取って、決して手荒な事をしてはいけませんよ。


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