彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

150年前:家里次郎切腹(4月24日)

2013年04月24日 | 何の日?
文久3年(1863)4月24日、家里次郎が切腹しました。享年24歳。

誰やねん!
って思われる方が多い反面、なんか聞いたことがあるという方もおられるとは思います。
家里次郎は、元壬生浪士組隊士です。

清河八郎が江戸から浪士組を上洛させた後で京都に残った芹沢鴨・近藤勇とは別に殿内義雄のグループがいて、その殿内が3月25日に四条大橋で暗殺されたというお話は書きましたが、この殿内のグループで殿内と共に壬生の浪士たちを監督していたのが家里次郎だったのです。

殿内が暗殺された直後に多くの仲間たちが逃れる中で、なぜかそのまま浪士組に残っていたのです。
そして将軍徳川家茂の警護で大坂に行く集団にも入っていました。

4月24日夜、家里は芹沢鴨・山南敬助・平山五郎らとともに酒宴をしていました。そこに近藤勇もやってきて、酒宴が終わってから近藤を常安橋会所まで送りそこで切腹させられたのです。
この時、家里の切腹傷が浅かったことが記録されています。

家里切腹の理由は分かっておらず、また実は殿内が暗殺されてすぐに浪士組を脱していて、大坂で偶然浪士組の面々に出会ってしまい切腹させられたのだという説もあります。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。