彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

10月8日敦賀行き「気比神宮」

2018年10月11日 | 史跡
敦賀に行くと何度も前を通っていたのですが、なかなか参拝に行けなかった気比神宮に行きました。

越前国一ノ宮とも称されていますが、越前の西端の辺りになるんですね(若狭のイメージでした)。
仲哀天皇が国家安全を祈願し、神功皇后が武内宿禰らを従えて参拝したという由緒があり、仲哀天皇と神功皇后のご夫婦を合祀して文武天皇が本宮を修宮されたのだそうです。
古い歴史と由来がありますね。

敦賀の町は昭和20年の空襲で焼け、気比神宮もほとんどが焼失しますが、そのなかで奇跡的に残った江戸初期に作られた鳥居から入ります。
この鳥居は日本三大鳥居にも数えられていて、扁額は有栖川宮威仁親王の字になります。

ちなみに鳥居の前には敦賀近代史のなかではよく名前を見かける植山常太郎氏の名前が…
戦前戦中に敦賀で活躍した資産家で、その身内の方には(個人的に)面白い人もいます。

旗揚松という南北朝時代に関わる松があります。当時の宮司気比氏治が後醍醐天皇を奉じて神旗を掲げたそうです。すぐ近くには新田義貞が尊良親王、恒良親王と籠り両親王が亡くなった金ヶ崎城と金崎宮もありますので南朝勢力の強い地だったのですね。

江戸時代には松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅で訪れて
「名月や 北国日和 定めなき」
の句を残しています。

本殿参拝
戦火などの悲劇もあり、戦後から復興が続けられた歴史もあります。

御朱印を受け、

本殿前から脇を見ると、なかなか良い雲がでていました。

また、境内には寒い土地では珍しいユーカリの木があるのですが…
ちょっと悲しい姿なので、写真は遠慮しようかな?