ヒイラギ日記 ~Holy Holly's Diary~

小粒でも ぴりりと辛い 博士な日々。

すり替えられた記憶?

2021-04-04 11:30:11 | ヒイラギのひとりごと

テレビの見逃し配信サイトで再放送されているのを見つけて、
2010年の『Mother』というドラマをあらためて観てみた。

現在でも(むしろ現在の方がより切実に)リアリティをもつテーマ、
子どもへの虐待、育児放棄、家庭内暴力、シングルマザー、産みの親・育ての親、
などなどの複雑すぎる、でも当事者にはあまりにも切実な問題に正面から斬り込んだ話。

リアルタイムでも視聴していた当時は、
天才子役と騒がれていた女の子のことはそっちのけで、
“母”というイメージから遠い印象の松雪泰子がどんな演技をするのかなという興味から。

そんな浅い動機のわりに、毎週観つづけていたのはたぶん、
ドラマの発端、子どもがゴミとして捨てられるという場面の衝撃というか、
その余波に引きずられるようにしてだったと思う。

なによりも、これだけの紆余曲折、ドラマティックな艱難辛苦を経ておきながら、
ラストシーンに(え、結局そうなの)という一抹のもやもやが残ったことが、
今日までずっとノドの奥の魚の小骨みたいにこのドラマが心に残り続けた原因で。

記憶にあるそのラストシーンというのは、
おばあちゃん世代になった松雪泰子が、大人になった“娘”と遭遇するのだけど、
“娘”は気づくそぶりも皆無で、松雪泰子はただ静かにほほ笑む、というもの。

小学一年生の記憶ってそんなにきれいさっぱりなくなってしまうものなのかと、
何とも言えない気持ちがくすぶったから、とてもクリアにこのシーンが記憶に残った。

で、いまならあのラストシーンをどう感じるだろうかと思って観なおした。
1話から飛ばさずに再生していって、いよいよ最終話の、じわじわラストシーンへ・・・

あれ
何だ、この静止画像に近い、顔の映らない再会シーンは
何だ、この当たり障りのない、ありがちなラストシーンは

これまで以上に気になって検索してみても、
『JIN-仁-』みたいな完結編とか続編がある気配もないし、結末2パターンというわけでもなさげ。

あのラストシーンは、夢だったのか、幻だったのか。
11年間だよ。
こんなスケールで記憶がすり替わるなんてこと、あるんだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする