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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

金剛寺の鬼踊りを見ました。

2011年04月11日 02時31分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは孫たちが花見と鬼踊り見物にやってきました。ユキヤナギ、レンギョウの花が真っ盛りです。桜は五分咲きから八分咲きというところでしょうか。とにかく急にあたたかくなって、春が一挙に押しかけてきました。
 鬼踊りは11時からというので10時半に着くように出掛けました。すでに金剛寺の駐車場には多くの車。護摩法要の火入れが行われるところでした。立派な『鬼追い殿』があり、お坊さんが並んで般若心経をあげています。デジカメは道子さんにまかせて、ぼくはビデオで護摩法要と鬼踊りを撮りました。
 
 写真はこれから鬼追い殿に上がる赤鬼・黒鬼です。蓮花寺の鬼と比べるとぐっと迫力があります。歩く動作もきびきびしています。鬼追い殿にあがっての踊りも見ごたえがありました。
 踊りのあとには餅撒きもあるそうですが、はやく花見弁当にしようということでコープ協同学苑に車で移動しました。ここは桜の木は若いのですが本数が多く、広い園内でたくさんの人が花見弁当を広げていました。
 家に帰って裏山に登った孫たちはあわただしく帰り、おじいさんは昼寝。それからヨシズを買いに軽トラでコーナンに出掛けました。9尺×9尺のヨシズを三枚買い、軽トラに積んでロープでしばります。この軽トラを買って5月で一年になりますが、いまでは軽トラなしの生活は考えられません。老人会長は「いつでも使ってください」といってくれましたが、やっぱり自分の車がいい。気兼ねなく使えます。田舎暮らしの必須アイテムです。
 ヨシズはシイタケのホダ木置き場用です。いままで竹薮の陰になっていたシイタケ置き場に、竹を皆伐したので日が当たるようになりました。陽射しも強くなるので覆いが必要です。
 花もいっぺんに咲いたけど仕事もいっぺんに増えたなー。
 
 
 
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花あふれる春です。

2011年04月10日 02時20分37秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうの散歩は軽トラで出掛け、コンビニの駐車場に車を置いて桃津を歩きました。県道20号線を横断して美嚢川に架かる橋を渡ります。橋には『冷泉橋』と名前がついています。桃津は戦国時代の学者藤原惺窩の生れた地です。秋には『惺窩祭り』の幟が立ちます。
 橋を渡ったところにこのの大師堂(でしょうね)があります。大きな杉の木と立派に枝を張った榎と三本の桜の木に混じって、先日三木市が各に配った桜の苗木も植えられています。そういえばコンビニの駐車場横に立つ榎のそばにも桜の苗木が植えてありました。全部のに8本ずつ配りましたから、その半分が花見のできる木に育ったら三木市は町中で花見のできる桜の町になりますね。十年以上先のことでしょうが。
 橋を渡りお堂の前を過ぎると桃津の村への道は左に曲がるのですが、右に花に囲まれた民家が見えます。その風情に魅かれて右に曲がって民家の庭に行ってみました。写真の民家です。
 黄色のレンギョウの花と畑の菜の花、白と桃色の桃の花がいま咲き誇っています。民家の前のほうにまわりこんだら、この家の飼い犬が吠え年配の女性が出てこられました。家の前庭にもレンギョウの花が咲き、咲いたあとのサンシュウの色褪せた黄色も見えます。サンシュウはうちの裏山にも植えました。まだ細い木ですがいまのところ無事に育ち、地味な黄色の花をつけました。この家のサンシュウは直径が10センチ以上ある大きな木で、大きく枝を張っています。花の盛りは見事だったでしょう。
 白い花のそばの緑の木はギンモクセイで、左にチラッと枝先の見える大きな木は、ケヤキかと思ったらリンゴの木で白い花があと10日ほどしたら咲くということです。おばさんは高枝切りのハサミを使って桃の枝を7本切って渡してくださいました。
 家に帰って桃の花と我が家の裏山で手折ったユキヤナギを差した花瓶を見ていると、花を愛でてもらった女性の悦びがじんわり伝わってきます。
 三木の桜はいま5分咲き。これから「ワッ!」と満開になるでしょう。そういえば社(やしろ)の桃園の花も満開になる頃です。日曜日のきょうは孫たちが来て金剛寺の鬼踊り見物だし、龍神さんの参道のコバノミツバツツジも満開になる頃だろうし、久しぶりの雨で畑の草も「ワッ!」と生えるだろうし、種を播きコイモを植え……。 
 春本番だっ!
 
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「雑草」という名の草はないのですね。

2011年04月09日 01時26分38秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 
 写真は「姫踊り子草」という草で、「ホトケノザ」と非常によく似ており、どちらもいま咲いています。草抜きに追われるようになりましたが、だれかに「雑草という名の草はないんだよ」といわれたことがあります。みんなそれぞれに名前があり(人間が勝手につけたものですが)、それぞれに種が発芽し、根を伸ばし茎を伸ばして花が咲き、また種ができて……。
 勤めていた頃、草の名前をよく知っている同僚がいました。彼女に尋ねると大抵の草や木の名前をすぐに教えてくれました。あるときどうしてそんなに植物にくわしいのかきいてみました。
「中学のとき『自然観察部』というクラブがあって、それに入ってたの。そのクラブは先生が放課後外に連れ出して草の名前を教えてくれたし、ときどき試験みたいにきかれた。だから中学を卒業したときは、150くらいの草を見てすぐ名前が言えたし、花の時期とかも覚えてしまった。卒業してから木の名前も覚えようと木を見たり図鑑を見たりしていたら木の名前もわかるようになったわ」
 実は先日「姫踊り子草」をネットで調べて名前を覚えたつもりだったのに、きのう散歩で見かけてどうしても名前が出てきませんでした。いままで「雑草」で片付けてきた草に関心をもつようになり、名前を覚えようとするのですが古希を過ぎるとなかなか。中学生の頃って海綿が水を吸うように覚えてしまう。しかも覚えた知識が一生つかえる。
 木もそうです。十数年前、退職して家の近くを散歩するようになってから木の名札を見て覚えるようになりました。でも見てわかる木はわずかです。田舎暮らしをするようになって裏山の木の名を知ろうとするのですが、図鑑を見てわかるのは少ししかありません。ネットの『この木なんの木』コーナーに写真を投稿して二度教えてもらいました。一つは「アラカシ」でもう一つは「サカキ」。ありふれた木で知ってるはずなのにわかりませんでした。はずかしい! 歳をとると応用力もなくなっているのを感じます。
 でも名前を知るのは木や草と仲良しになる第一歩です。これからも名前を覚える努力をしようと思います。
  
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山の手入れは一日仕事でした。

2011年04月08日 03時26分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真は我が家の玄関前の側溝です。左が山、右が道路で、側溝に山の笹薮が垂れ下がっていました。そこを園芸で出たゴミを置く場所にしていたのですが、今年になって片付けたくなりました。まずゴミを全部撤去し、笹を刈り、田のあぜ用のパネルを連ねて、山ぎわに植物を植えて見栄えよくしようと思い立ったのです。
 まずあぜ用のパネルですが高さ30センチのパネルを四枚買いました。一枚120センチですからつなぐと4メートル80センチになります。それを止める鉄筋は自分で60センチに切断しました。ホームセンターのナフコでは、自分で鉄筋を好きな長さに切断して買うようになっています。1メートルで100円足らずの鉄筋を店の人に切断してもらうと切り賃が一本50円。自分で切断するとタダ。だれだって自分で切断します。
「鉄筋なんて強いモノを切断するのは大変だ」と思っていました。以前他の店で切断を頼んだら、店の人が防護メガネをつけて火花を飛ばしてやってましたから。でも鉄筋は簡単な器具で、そんなに力まなくても女性でも切断できます。(切り口でケガすることがあるので軍手をつけます)
 片付けと笹刈りは前もってやっていましたから、きのうは側溝のふちをツルハシで数センチ掘り、鉄筋を打ち込んであぜパネルをつけ、掘った土を入れたら出来上がりと思っていました。ところが実際に作業にかかってみると根がすごい! 木と竹の根がU字溝の外側を伝って幾重にも伸びていて、ツルハシだけでは掘れません。根をノコギリで切り、ときにはタガネで切断し、つなぎのセメント部分はタガネで少しずつ削り、作業は午前と午後2時間ずつかかりました。ここに花と野菜の土でも入れて植物を植えることにします。
 雨が降らないので山も畑もプランターもカラカラです。畑は農業用水で、山やプランターは水道で水をやっていますが、あたたかくなったのでどんどん水が蒸発します。30ミリ以上くらいしっかり降ってほしいところです。そうだ。シイタケの原木置き場もヨシズをかぶせられるよう手入れしなくては。
 することがいっぱいあって、たのしみながらやっています。
 
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四組のアオサギが営巣中です。

2011年04月07日 00時50分41秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 火曜日、歯医者さんに診てもらってから吉川町湯谷をドライブしました。近くの蕎麦屋・稜庵でざる蕎麦を食べるまでの時間つぶしです。「桜はまだ咲いてないなー」と思いながらトロトロと走っていると、湯谷の入口あたりにアオサギが飛んでいます。よく見ると二羽のアオサギがトンビを追いかけてました。車を止めて見上げると山の上の木に巣をしています。一本の木に四つも。トンビがアオサギのひなをねらったのでしょうか。
 そばの家のおじさんに声をかけてきいてみると「うるさくてかなわん」そうです。うちの裏山は巣が一つだけですがそれでも子育ての一時期、毎日「クヮッ」「クヮッ」とよく鳴きました。あの声が気になって今年はウグイスが敬遠したのか、と思うほどでした。四つも巣をしたらさぞかしうるさいことでしょう。
「アオサギのひなをねらってアライグマが来るから余計にうるさい」とおじさんが言います。聞けば「去年は吉川町で320匹のアライグマを捕まえた。きのうもこの上の田んぼで一匹捕まえた」というのです。アライグマは木登りができるので鳥の巣をねらうことがあります。札幌ではシラサギの集団営巣地をアライグマが襲い、シラサギがいなくなってしまったとネットで読んだこともあります。
 いろんな話をしていたらこのおじさんは、先日このブログで紹介した細川町原坂で生れたそうです。原坂でも山奥の四軒だけある家の一番上の家がお母さんの里だったそうです。番谷から原坂に嫁入りした人のこともよくご存知でした。間に山はあっても、昔から吉川町口吉川町の谷と細川町の谷では通婚がよくあったのですね。
 きのう水曜日は、明石の魚の棚にイカナゴを買いに行きました。高速道路を走れば須磨の家から魚の棚に買いに行ってたときと同じくらいの時間で往復できます。きのうはイカナゴがなんと3キロ500円! 安すぎる! 今年はシーズンはじめに1200円、だんだん下がって1キロ600円と聞いていましたが豊漁過ぎたのでしょうか。魚屋のおじさんが「ワシもこんな値で売るのははじめてや」とぼやいていました。しかもいまがちょうどいい大きさです。三木のスーパーでもイカナゴは売っていますが、釘煮は鮮度がいのちなので須磨に住んでいたときもスーパーでは買いませんでした。三木に引っ越してからは釘煮をつくらないことにしていましたが、やっぱりちょっと食べたくて……。
 この地のヒノヒカリのうまいご飯とイカナゴの釘煮。被災地の人にも食べてもらいたいです。
 
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もうすぐ若葉の季節です。

2011年04月05日 04時01分44秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 草を刈って道をつけた佐の広池の周回道を、きのうも散歩しました。今年は気温の低い日が多く、西向きの土手にはまだツクシがはえています。畑の草も「はびこってどうしようもない」と嘆くほどに伸びていません。それでも「世は春」です。
 佐の広池周回の散歩道から南の蓮花寺のを撮りました。田んぼの向うに点在する民家はうちので、竹薮の両岸に繁る美嚢川が写真の中央を横断し、その先は馬場と蓮花寺のです。竹薮の浅い緑は見えますが、その上はクヌギ、コナラの林です。春の陽を吸って芽がふくらみ、うっすら赤く見えます。

 見なれている景色ですが、それでも「いいなあ」と見とれます。ほどなく木々が芽吹き、若葉の季節になります。〝ビージーズ〝の歌う《 First of May 》のメロディーが頭の中で鳴ったのでいまブログを書くのを中断して、ヘッドフォンで聞きました。歌の題『5月1日』を日本では『若葉のころ』と訳してあるのがまたいいですね。
 そういえばルイザ・メイ・オルコットの小説《 Little Women 》は日本では『若草物語』という題で本になり、よく読まれています。これがまたいい。原題の『小さな女たち』では見向きもされなかったでしょう。
『若草物語』はアメリカで映画になりました。1949年(昭和24年)の制作です。四人の姉妹には、ジャネット・リー/ジェーン・アリスン/エリザベス・テイラー/マーガレット・オブライエンがなっています。ぼくは昭和26年、新制中学二年生のときに学校の団体鑑賞でこの映画を観ました。学校から並んで映画館に行き、ため息の出る美しい『総天然色』の映画を見て(カラー映画のことです)、夢見心地で学校に戻りました。
 敗戦から六年。まだ新制中学は校舎が間に合わず、小学校に間借りしていました。布を当てたズボンをはき、靴下を履いている子は少なかったように思います。それでもあの美しい映画が頭から離れず、洟垂れ小僧たちは、それぞれに夢を見たことでしょう。
 ある昼休み、うす暗い体育倉庫で<サー坊>という子とおしゃべりし、こっそり「あの四人姉妹の中でだれが好き?」とききました。彼はさも重大な秘密を打ち明けるようにためらってから「ベス」と言いました。(俳優でなく、映画では末っ子になったマーガレット・オブライエンの名前です)「オレも」とぼくも秘密を打ち明けたことをいまも覚えています。サー坊というあだ名の子がほんとうはなんという名前だったか覚えてないし、その後どうしたかわかりませんが、鼻の奥のツンとするような思い出です。
 あの頃はみんなひとしく貧しかった。テレビもビデオも冷蔵庫もなかった。だけど、みんなが、有り余るほどの未来をもっていたなー。
 
 
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草を刈って散歩道を確保しました。

2011年04月04日 02時43分03秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 我が家の東100メートルのところに「佐の広池」という池があります。この池の南側の堤は草刈りに手がまわらないようで夏は歩けませんが、3月に土手焼きをしたいまなら歩けます。しかし池を周回して散歩する道はありません。なぜかというと北側の道が草むらに消えてしまうからです。
 先日この道を散歩して草むらに行き当たり、それでも強引に池の東側の道に出ようと歩いてみました。今年の草が生え、蛇が出はじめるとマムシが怖くて歩けませんが、いまなら歩けると思ったのです。
 向うの道に出る直前のあたりにだれか最近草を刈った痕があります。元は道のあったところですから草を刈れば道が復活します。そこで向こう側から途中まで刈ってみたのでしょう。「あと50メートル刈れば道が復活する。池を周回する散歩道ができる」とパッとイメージが浮かんで、昼から草刈りの奉仕作業をしようと思い立ちました。
 草を刈った(と目星をつけた)老人会の先輩の家に寄ってきいてみると、やっぱり彼が刈ったそうです。「あそこのつづきの草を刈って、散歩道にしたいんだけど。孫が来たらいっしょに散歩するコースにしたいから」「そら、かまへんと思うで」
 そこでおとといの午後、二人で草刈り機や鎌や鍬を軽トラに積み込み、向こう側の農道から北側に行きました。いまは枯れ草なので一時間ほどで刈れて、きのうはそれをサラエで掃除して、写真のような道が出現しました。道子さんが斜面を掘って階段状にしてくれたので、この道に下りるのも容易です。

 この道はオリエンタルゴルフ場のクラブハウスの下あたりになり、緑にかこまれて静かで眺めのいいところです。ウグイスが鳴き、雲雀が鳴き、アオサギが飛び、鳥たちのお気に入りのスポットかも。いい散歩コースができました。
 実は引っ越して間もない四年前の春、一人であちこち散歩していて、この草むらを強引に通ったことがありました。草むらを漕ぐように渡り、草の種がいっぱいへばり付くし、運動靴はどろどろになるし「ここは二度と通りたくない」と思ったところです。それがちょっとの奉仕でこんなにいい道になったのです。ぼくら以外に通る人はいないかもしれないけど気分がいい。
 散歩コースの一つに加えることにします。
 
 
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買物そしてときどきコーヒータイム

2011年04月03日 03時21分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
「田舎暮らし」といいながら結構買物に出ますし、そのついでにコーヒーを飲んだりします。街のように洒落た喫茶店があるわけではありませんが、それなりに風情のある店があり、ブログにでとりあげたこともあります。この写真の『サンタカフェ』はそんな店のひとつで、緑ヶ丘方面に買物に出たときに寄ったりします。山陽道の三木東インターを出て北に一キロ走るとグリンピア三木、南に100メートル下るとサンタカフェです。
 三田に、このあたりでは評判のロールケーキがあるのですが、午後になるとこの店にもそのケーキが届き、コーヒーとセットでいただきます。これがなかなかいける。
 この店に行くもう一つのたのしみは、駐車場にいるヤギにあいさつすることです。ヤギはおとなしい動物です。若くても子どもでも年寄りみたいにおだやかな目をしていて、そばに寄っても威圧感がありません。駐車場は300坪近くあるでしょうか。そこの草はヤギが食べてくれます。草の少ないいまは、店の主人が田んぼの畦に連れていってます。「ヤギは土手の草を食べてくれる。ロープを張って一定の幅だけ食べられるようにしたら、草刈りをしなくてもいい。ヤギを飼おう」と道子さんは熱心にいうのですが、ぼくは思案中です。ロープの加減によっては畑の野菜も全部平らげてしまうだろうし、休耕田につなぐのならいいけど、作物をつくっている畑にヤギを入れるのはどうも。
 なお店で尋ねたら、ヤギは『花と土の店』でもらってきたそうです。この店は山陽道三木東インターを出て信号をまっすぐ100メートル行った山すそにあります。この店では5匹ヤギがいるようで、店の前の休耕田の草はきれいに食べているし山すその草も平らげています。
 そうそう。武蔵の里・作州の山奥にログハウスを建てて田舎暮らしをしている知人は、神戸の垂水に住んでいたときヤギを飼っていました。散歩に連れて歩くと近所の人が目を丸くして振り返ったそうです。ヤギはいまも健在で、山奥でのんびり暮らしています。一昨年訪ねたときはヤギの乳でつくったチーズを賞味させてもらいました。でもなー。ヤギかー。
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里山らしくしようと奮闘しています。

2011年04月02日 02時09分58秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 これは裏山の南側です。この右のほうに愛宕さん・祇園さんの参道があります。といっても竹薮の中の山道ですが。写真を見ていただくと雑木林の里山というより竹薮だ、というのがよくわかるでしょう。藪の縁にはアラカシが生えて、農道側に枝を伸ばしています。竹薮の中ではアラカシはひょろひょろで育ちませんが、縁だとよく日が当たってぐんぐん生長します。
 アラカシの上のほうに浅い緑が見えていますが、これが孟宗竹の藪です。藪の中は松など元の木が枯れて、竹ばかりです。その上はクヌギ・コナラの樹冠ができています。でも山道に入って見上げると竹ばかりです。
 村の人たちが外から見ると緑の山に見えますが、実態は竹ばかりの山です。秋が深まるとクヌギやコナラの葉が色づき、こころ静まる田舎の色になります。ぼくの一番好きな景色です。「田舎に暮らすことができてよかった」というよろこびが散歩するたびにこみ上げてきます。でも竹は浅い緑のままです。それが秋の山の色づきを邪魔します。
「もし竹がなければどこかなつかしい里山になるんだけど……」と見るたびに思ってしまいます。そんな竹のはびこる山が日本全国に広がって放置されています。
 そうそう、県道20号線の『細川町中』の信号で三叉路を竹中半兵衛の墓のある平井のほうに曲がり、山陽道の下をくぐって坂道を上るところに、小さな枯れた竹薮がありました。竹の太さから見て真竹のようです。この竹林ははじめて見たときから枯れていました。すべての竹が枯れているのです。除草剤を竹から注入したのか。(竹は全部の根がつながっており、除草剤は全体にゆきわたるそうです)竹林が枯れる時期になっていたのか。(80年に一度枯れるといいますから)ところが最近立ち枯れている竹が倒れはじめました。
 道路側に倒れると危ないし、折り重なって倒れている様子は、いわば死の世界です。あんなことになったらいまの東中、西中、桃坂の山の眺め見られたものではなくなるでしょう。
 竹薮の竹を切って片づけるしかありません。
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