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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

田舎暮らしにあこがれる人人 (2)

2011年04月23日 02時53分01秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 佐の広池を周回する散歩コースの草刈りをして整備してから、もう十日近くその道を散歩しています。日陰になるところにはまだツクシが生えていたり、キジやイタチの姿を見かけることもあります。でもゴミを出す日は軽トラでゴミステーションに行き、そのついでにまわりの集落を走ってみます。先日のゴミの日は東(ひがし)から保木(ほき)を歩いてみました。
 写真は保木の神社近くにある藁屋根の民家です。いまは藁屋根といってもトタンでカバーしてある家がほとんどで、写真のような藁屋根のままの家はうちのでも一軒だけです。この民家はいいたたずまいですが空き家のようです。不動産屋さんによると「いいたたずまいの空き家があっても実際に売りに出されるのは100軒に1~2軒あるかないか」ということで、塩漬けになった民家が田舎には山ほどあります。この家もそうでしょうか。
 漠然とした思いだった『田舎暮らし』を実現しようと具体的に動き出したのは2005年でした。それまでの数年間は神戸市西区神出で『大豆畑トラスト』を立ち上げ、20人ほどの農志向の市民と出会い、畑づくりや草刈りを覚え、耕運機を使い、農具の小屋を整備し、いわば田舎暮らしへと気持ちの高まる準備期間でした。
 2005年秋、目星をつけ、ほぼ確定していた田舎の民家の話がつぶれてから、急にあわてたように空き家をさがしはじめました。神戸市北区の農家を訪ねては空き家情報をきいてまわり、こちらの住所や要望(畑をつくりたい)を書いたチラシを渡して連絡をお願いし、兵庫県の不動産屋のリストをネットで調べ、片っ端から電話して空き家情報を頼みました。すると毎日のように空き家情報のファックスが入ってきました。
 その体験からいえることは「自分で農家を訪ねたり知人に頼んで空き家をさがすのはむずかしい。不動産屋の情報を利用するのがいい」です。一冊のアルバムになっている当時の田舎の空き家物件見学を振り返ると「なんとか田舎暮らしを実現しようと必死だったなー」と思います。
                                 - つづく -
 
 
 
コメント
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