3月2日のブログに『ルソンの谷間』よりの引用をアップしました。1945年(昭和20年)フィリピンのルソン島での戦いの最中に、上官は次々と飛行機で台湾に逃げてしまった、後に残された兵たちは大暴れした、という記述でした。
何度もこころの中でこの文をころがしながら「日本の軍隊はあのとき、もう軍隊ではなくなってたんだ。壊れてしまったんだ」と思います。一人や二人の敵前逃亡でなく次々と上官が逃げたのす。敵前逃亡は銃殺刑ですがその軍紀も壊れてた。
軍隊という集団が壊れたとき兵隊の「こころ」も壊れた。兵隊は「にんげん」です。にんげんのこころが壊れた。
にんげんのこころが壊れたらどうなるか。
思い出すのは『アウシュビッツは終わらない』という本です。これは1945年に絶滅収容所から解放されたイタリア人生存者が翌年出した本で、日本では朝日選書で出版され、いまも古本が若い人によく読まれています。
まえにもこのブログで書いたのですが、こんな話がこころに残ります。
絶滅収容所で、囚人たちから「物凄く残虐‼‼」と恐れられた看守(副所長だったか?)がいた。彼は囚人たちの証言をもとに裁判で死刑ということになった。ところが故郷の農村の人たちはこぞって反対した。「あんなやさしい男はいない。村の人たちに愛され、子どもたちに好かれ、とてもいい青年だ。絶対に人違いだ」
再度調べた。人違いでなかった。その青年は処刑された。
もし戦争がなかったら、看守にならなかったら、彼は村人たちに愛されて、やさしい男のまま生涯を終えたでしょう。にんげんのこころは驚くべき可塑性をもった、〈素晴らしい!〉、そして〈恐ろしい!〉、素材です。どんなものにでもなれる可能性を秘めています。
にんげんという生き物は、その「こころ」を大事に代々受け渡し、受けとめながら「いのち」をつないできました。
その「こころ」を壊してしまうのが戦争という人殺しです。
日本が戦争をしていたとき、ぼくが大人だったら長いものに巻かれてこそこそ生きていたでしょう。たまたま子どもだったから、そして《不正義》を身近に感じる「立ち位置」で生きてきたから、非力でも、気持ちだけでも、生涯撃ちつづけたいのです。
何度もこころの中でこの文をころがしながら「日本の軍隊はあのとき、もう軍隊ではなくなってたんだ。壊れてしまったんだ」と思います。一人や二人の敵前逃亡でなく次々と上官が逃げたのす。敵前逃亡は銃殺刑ですがその軍紀も壊れてた。
軍隊という集団が壊れたとき兵隊の「こころ」も壊れた。兵隊は「にんげん」です。にんげんのこころが壊れた。
にんげんのこころが壊れたらどうなるか。
思い出すのは『アウシュビッツは終わらない』という本です。これは1945年に絶滅収容所から解放されたイタリア人生存者が翌年出した本で、日本では朝日選書で出版され、いまも古本が若い人によく読まれています。
まえにもこのブログで書いたのですが、こんな話がこころに残ります。
絶滅収容所で、囚人たちから「物凄く残虐‼‼」と恐れられた看守(副所長だったか?)がいた。彼は囚人たちの証言をもとに裁判で死刑ということになった。ところが故郷の農村の人たちはこぞって反対した。「あんなやさしい男はいない。村の人たちに愛され、子どもたちに好かれ、とてもいい青年だ。絶対に人違いだ」
再度調べた。人違いでなかった。その青年は処刑された。
もし戦争がなかったら、看守にならなかったら、彼は村人たちに愛されて、やさしい男のまま生涯を終えたでしょう。にんげんのこころは驚くべき可塑性をもった、〈素晴らしい!〉、そして〈恐ろしい!〉、素材です。どんなものにでもなれる可能性を秘めています。
にんげんという生き物は、その「こころ」を大事に代々受け渡し、受けとめながら「いのち」をつないできました。
その「こころ」を壊してしまうのが戦争という人殺しです。
日本が戦争をしていたとき、ぼくが大人だったら長いものに巻かれてこそこそ生きていたでしょう。たまたま子どもだったから、そして《不正義》を身近に感じる「立ち位置」で生きてきたから、非力でも、気持ちだけでも、生涯撃ちつづけたいのです。