古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

イチゴの畝を追加しました。

2009年11月22日 03時16分43秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 いま孫たちが「イチゴ! イチゴ!」とイチゴ狩りをたのしむ『苺』(いちご)のことを、ぼくらが子どもの頃は『オランダ苺』と呼んでいました。もっと固くて酸っぱくて、あまり子どものよろこぶ食べ物でなく、食べるときは砂糖と牛乳をかけて、さじ(スプーン)で潰して食べました。ですから苺はあまり好まれず、バナナのほうがずっと憧れの果物でした。というかバナナは高級な果物でした。
 地区の新年宴会などで出され、父が手をつけずに持ち帰る折り詰弁当に一かけら入っているバナナを、子どもたちは等分に切り分けました。まず一センチくらいに切られたバナナを眺め、においを嗅ぎ、なめ、かじるように口に入れ、じっくり味わって食べました。そんなとき以外にバナナを口にすることはなくて、皮をむいて一本丸ごとバナナを食べた記憶がありません。バナナの代わりにバナナの形をして、中にクリームが入ってバナナのにおいのする菓子があり、それなら一本丸ごと食べた記憶があります。
 さて、10月21日のブログで「来年も孫たちにイチゴ狩りを存分にたのしませてやろう」とイチゴの畝を二畝つくったことを書きました。それから話はさらに発展します。二畝にイチゴの苗を140株植えたのですが、ランナーからとった苗がまだ50本ほど余っています。小豆を刈り取ったのでイチゴ畑の横は空いています。
 孫が小さいうちに『イチゴ極楽』を一度体験させてやれば、こころの大らかな生涯を送る子に育つのではないか。そんなことをおばあさんは考えて「横にもう一畝つくろうか」と提案しました。
 おじいさんは「イチゴをスーパーで1パックか2パック買って、洗って、数えてガラスの器に盛り分けて食べる一家」のイメージを思い浮かべました。それから、ざるにイチゴを収穫して、山盛りのイチゴの大皿にみんなでとりついて、食べ放題に食べる我が家の孫たちをイメージしました。イチゴ極楽を体験すれば大らかな人間に育つかもしれん。おじいさんにもイチゴの畝をつくるパワーがわいてきて、二人で畝をつくり、苗を移植して写真のように三畝の立派なイチゴ畑ができました。
 欲張りじいさんばあさんではありませんぞ。自ら働いて、自然の恵みを孫たちにたっぷり享受させて、こころゆたかな人間に育ててやろう、というのです。なかなかいい話じゃありませんか。
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1 コメント

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大らかに・・・ (すーこ)
2009-11-23 01:09:49
大らかに…ですか~今の大志は食べ物にはおおらかではないなぁ…私に似たかなぁ…
来年のイチゴはお言葉に甘えてイチゴ天国を親子で体験させていただきま~す。お友達も☆
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