古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

むかし書いた榎の物語をアップします。

2011年04月12日 01時13分50秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から

 アルバムの写真をデジカメで撮ってアップしましたのでクリアでありませんがご容赦を。これは篠山城の石垣の北西の角に生えていた榎です。1995年10月に撮りました。残念ながらいまは存在しません。大木でしたから樹齢は数百年でしょうか。
 今年1月8日のブログで榎のことを書き、「つづく」としてそのままになっていました。ぼくの書いた物語をアップするつもりでした。むかし(というほどではありませんが十数年前)の篠山城跡を知っている人なら見覚えのある大木のはずです。この城跡に大書院が建てられ、榎はその敷地に取り込まれていました。しかし建築工事のせいで枯れたのでしょうか。いまは切り株だけになっています。この写真に写っている頃を思い浮かべて読んでいただけたらうれしいです。なお児童用の話なのでルビをところどころうっていますが省略します。


       にいちゃん、おんぶして

「誠司、お父さんとお母さん、いよいよ離婚するみたいや。友だちに盗聴器借りてきたから、おれの部屋に来いよ」
「トウチョウキってなに?」
「人の話をぬすみ聞きする機械や」
 にいちゃんは小さい声でいった。ぼくはだまってうなずいた。
 博史にいちゃんは中学二年生で、ぼくより36センチも背が高い。声は大人の声になっているし、サッカー部できたえているから、強そうに見える。
 ぼくは四年三組では、いちばん小さい。腕が細いし、弱そうにみえる。でも博史にいちゃんは、ぼくをかわいがってくれるから好きだ。
 にいちゃんの部屋は、お父さんたちの部屋のとなりだ。壁に耳をつけてぬすみ聞きするのかと思ったら、にいちゃんはラジカセのまえにすわった。お父さんの部屋にワイヤレスマイクを仕掛けて、ラジカセで聞けるようにしたんや、とにいちゃんはいった。
 ぼくはにいちゃんの横にすわり、耳をラジカセに近づけた。
「篠山のおばあちゃんが、誠司をあずかってもいいって電話してきたぞ」
 お父さんの声だ。声は小さいが、よく聞える。
「京都のおばあちゃんが、博史は高校卒業まであずかりますって。これで子どもたちの落ち着くところはできたわ。わたしは二月の終りに、東京に引っ越しますからね」
 お母さんの声は、ちょっと聞えにくかった。
「あとひと月もないやないか。あの子らの気持ちを考えたら、せめて三月の終りまで、大阪にいてやったらどうや」
「わたし、新しくできる仙台支店の店長になるのよ。忙しいんだから。あなたこそ横浜だ、広島だ、福岡だってとびまわって、このマンションにいたことないじゃないの」
 お母さんの声が大きくなった。
「仕方ないやないか。人事異動だから」
「わたしに顔向けできないことまでして。仕方ないなんて、よくもいえるわね」
「おまえだって、帰りは遅いし……」
「仕方ないでしょ。仕事なんだから」
 あとはいつもの口げんかになった。
 にいちゃんは、ラジカセのスイッチを切った。けんかの声が聞えなくなった。
 ぼくは目のまえの壁を、ぼんやり見ていた。うちの家族が、ばらばらになってしまう。泣きたいと思わなかったが、涙が出てきた。
「誠司、風呂に行こう」
 にいちゃんは、いきおいよく立ち上がった。ぼくが手を伸ばすと、にいちゃんはぐいっと引っ張って、立たせてくれた。
 お父さんとお母さんは、去年の夏から、ぼくたちのまえで口げんかをするようになった。けんかがはじまると、ぼくは心臓がどきどきして、息が苦しくなる。どうしていいかわからず、部屋のすみでちじこまってしまう。
 そんなときにいちゃんは、ぼくをよくお風呂屋さんについれて行ってくれた。
 マンションの風呂にひとりで入るときは、たまに体を洗うだけだった。でもお風呂屋さんに行ったら、ちいちゃんが背中を洗ってくれた。
 ぼくも、にいちゃんの背中を洗った。
「にいちゃんの背中は大きいから、ぼく損やなあ」っていったら、
「よし、ほんなら頭も洗ってやるわ」
 といって洗ってくれた。
 きょうは寒かった。お風呂屋さんに行く用意をして外に出たら、ぶるっと身ぶるいした。
「誠司。きょうは寒いから体洗うのは、なしや」
 にいちゃんは、自転車の後ろにぼくを乗せてびゅーんと走り、あっという間にお風呂屋さんに着いてしまった。
 四月一日に、ぼくは篠山のおばあちゃんの家に引っ越した。
 兵庫県多紀郡篠山町は、田舎の静かな町だ。本通りの両側は店が並んでいるけど、店の横の細い道に入っていくと、田んぼに出る。そのむこうは、どっちを向いても山ばかりだ。
 始業式のまえの日、ぼくはおばあちゃんにつれられて、小学校に行った。五年一組で、担任は男の先生で、石塚先生だった。
 石塚先生は、低い声でゆっくりしゃべった。
「貝塚誠司くんは、何の課目が好きですか」
「図工と音楽です」
「そうですか。何か習っていましたか」
「ピアノを習っていました」
「ふーん、すごいね。何年くらい?」
「四歳からずっと」
「これからも習うの?」
 篠山の家にはピアノがなかった。
 ぼくは「わかりません」といった。
 小学校の校門を出たところで、おばあちゃんはふりかえり、右手の高い石垣を指さした。
「あの石垣の上に、むかしはお城が建っていたのよ。明治時代に、とりかわされたけど」
「お城が建ったのは何年まえ?」
「徳川家康のときだから、三百八十年も前のことよ」
 ぼくは、おばあちゃんについて石垣の上にあがってみた。木造の古い小学校の屋根が、足もとに見えた。
「ほら、これはみんな桜の木。もうすぐたくさんの人がお花見に来るわよ。お店もいっぱい出るし。誠司もおばあちゃんとお花見に来ようね」
 石垣にそって古い木がはえている。枯れ木だと思ったが、おばあちゃんにいわれて枝をよく見ると、桜のつぼみがびっしりついていた。おばあちゃんは、石垣にそって先に歩いていった。
 桜の木の間に、とびぬけて高い木が一本ある。子どもが何人も手をつないで、やっとひとまわりできるほど太い木だ。幹は上のほうで三本の枝に分かれている。その枝は桜の木の幹より太くて、ねじれたり、まがりくねったりしている。
「おばあちゃん。あれ、何の木?」
「エノキって聞いたことがあるけど。とにかく桜じゃないわね」
「あの木は、お城ができた三百八十年まえから、あそこに生えてたの?」
「そんなことわからないわよ」
 おばあちゃんはいった。
 でもぼくはずっとむかしから、この木は町を見おろしてきた、と思った。台風で倒れそうになったり、雨が降らなくて枯れそうになったりしたことがあるかもしれない。でもここから動かないで三百八十年いっそうけんめい生きてきたんだ。
 まだ芽の出ていない太い枝を見あげていると、この木がとってもえらいような気がしてきた。                             -つづく-
 
 

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