古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

落ち葉掃除・焼き芋

2022年12月04日 19時11分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山の〈落ち葉〉は、毎年12月の中頃まで落ちますが、今年は早めのようです。
 今日は、たき火まわりの落ち葉を掃除しながら〈焼き芋〉をしました。晩秋というか初冬というか、なんとなくしんみりするようなたき火です。

 写真には写っていませんが、落ち葉は相当に積もっています。焼き芋のダッチオーブンをおろした後、落ち葉をしっかり燃やしました。燃やしても燃やしても山のように落ち葉があります。

 吉村昭の『東京の戦争』という本を読みました。(2001年7月発行 筑摩書房)
 吉村昭は昭和2年生れです。ぼくより10歳年上で、敗戦のときは18歳でした。彼はあの戦争のとき、東京に住んでいました。中学生時代に東京大空襲を体験し、あの戦争のいろんな庶民の生活を見てきました。それを50年あとにも、きっちり蘇らせるように書いています。
 ぼくは60歳代の頃、いろんな人に〈満蒙開拓青少年義勇軍〉のことを〈聞き取り〉しました。三木市にお住まいだった方に開拓団のことをうかがったとき、こんな話をされました。彼は敗戦間際の「ソ連の満州侵攻」のとき開拓団から20代の若者として召集され、シベリヤに連行され、数年後に無事に帰国できました。満蒙開拓/シベリア抑留/の体験をずっと語っておられます。
 彼より年下の〈満蒙開拓青少年義勇軍〉のことをたずねたら、こんな話をされました。

「あの10代の頃に開拓団を体験した少年の話は、伝える力があります。話を聞いていると、その場面が映画みたいに壁に写るんです。ワシらの話はだらだら説明するようになりますけど、少年だった人の話は不思議な力がありますなあ」

 吉村昭の書く『東京の戦争』は大げさでもないし、誇張もしていません。それなのにこちらに迫る力があります。昭和20年3月10日の「東京大空襲」のあとの、自分の身近にあった空襲の記述です。

 しかし、或る夜、私は死の恐怖を味わった。
 例のごとく遠くの夜空をB29の編隊が進んでいたが、一機が火を発し、編隊からおくれて右に旋回しながら下降しはじめた。私の周囲には工場の人たちがいて、私は炎につつまれて弧をえがきながら落ちてゆく機を見つめた。
 しかし、その進む方向を眼にした私は狼狽した。地上近くまで落ちてきた機が、こちらに機首をむけ急接近してくる。しかも、機は地上に今にも接触するように真正面から近づいてきた。
 私は、人々とともに道に伏せた。轟音と炎の驚くほどの明るさが体をつつみこみ、激しい突風が巻き上がり、しかもそれは熱く、背の上を過ぎた。その直後、すさまじい爆発音とともに目を閉じた瞼の裏が赤くなった。
 私は、死をまぬがれたのを知り、身を起こして立ちあがった。路上に立つ男たちの顔は蒼白で、私も同じ表情をしていたにちがいなかった。
 機は至近距離に落ちたと思っていたが、500メートル以上もはなれた畠に墜落し、さかんに炎をあげていた。男たちは、もうだめだと思ったという言葉を、ふるえをおびた声でしきりに繰返していた。

 自分の体験したことを50年後に書いて、これだけ伝える力がある。少年時代の感受力のつよさをおもいます。
 少年時代のことを、おそらくぼくも、生のおわるまでもちつづけて生きるんだろうな。


 
コメント
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