古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

〈大相撲〉を見ないワケ

2022年12月23日 10時41分01秒 | 古希からの田舎暮らし
 大相撲は、ひと月おきに年に六場所あります。15日×6回で90日もあります。毎日数時間、NHKのテレビで放映されます。相撲中継を見るのは年寄りの大きな〈たのしみ〉です。59歳で退職してから、ぼくは好んで「大相撲中継」を見ていました。
 しかし、あるときから相撲中継を見なくなりました。ニュースも見ません。どんな力士がいるか/だれが連勝しているか/だれが休場しているか/だれが強いか/に関心もありません。
 なぜか。
 話せば長いのですが、見なくなったのは「朝青龍が引退させられた」からです。ずいぶん前の話です。

 いま『モンゴル力士はなぜ嫌われるのか』(日本人のためのモンゴル学)という本を読んでいます。(宮脇淳子 著 2017年12月 ワック出版)「週刊誌の見出し」みたいな題名ですが、著者は東洋史/モンゴル史/モンゴル語などに精通している歴史家です。うなずくことがいっぱいあります。

 ぼくは昭和28年に倉吉東中学を卒業しました。3年下には鎌谷くんという少年がいました。彼は中学生になってからずんずん背が高くなり、力が強くなり、柔道部だったのに陸上部の大会に狩りだされて〈砲丸投げ〉で優勝したりしていました。彼が大相撲の力士になり、だんだん昇格して、十両の筆頭近くなったのは、ぼくが中学校の教師になった頃です。あの頃のテレビは白黒で、ビデオなんて便利なものもありません。テレビ放送は幕内力士の対戦でしたが、日によって十両筆頭の対戦も見られました。  
 鎌谷くんの相撲の対戦が見たくて、6校時の授業をすませると宿直室に走っていき、テレビをつけました。(テレビは宿直室に置いてあるだけでした)
 その鎌谷くんがだんだん昇格して、ついに横綱・琴桜になりました。50歳くらいのときだったか、郷里で中学の同窓会があり、鎌谷くんの活躍が話題になりました。「コンペ」というあだ名の理科の先生と話していたら「鎌谷くんはやさしい少年だった。私が注意して前に呼び出すと、自分のイスを持って出てきた。あの子は背が高いから、私がオデコにコンペするのに手が届かない。私がイスに上ってコンペするように」。
 鎌谷くんは親方になりました。彼は相撲の部屋はちがいますが、朝青龍のことをとても心配していました。朝青龍の笑顔を見れば、善良なことはわかります。日本のしきたりになれなくで、やんちゃなだけです。日本のしきたりに合うように、言い聞かせて、育てることが大切です。   ……  やっぱり話が長すぎますね。すんません。
 
コメント
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