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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

消滅する集落を心に留めておきたい。

2009年11月21日 06時40分35秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 鳥取県中部の山奥の集落を訪ねたときに見た廃屋です。藁屋根の家を保護するためにトタンの波板でカバーして暮らし、やがて無住になり、カバーが剥がれ、家が傾いています。今年か来年には倒壊するでしょう。冬は二メートル超の雪が積もります。
「ぼくはなんのために限界集落を見て、住む人の話を聞いているのだろう。滅びゆくものへの好奇心、野次馬根性だけで覗き見されるのでは住んでる人は迷惑する。先祖代々生きてきて、ついに見捨てざるを得なくなった集落を、さも同情するような顔をして見てまわる。こんな事態になったのは、大きな社会の流れでどうしようもない。善でも悪でもない。そんな限界集落に、いまおまえは自分の身を置けるか。とてもじゃないが一年間暮らせないだろう。ほんのひととき、『故郷の廃家』を歌ってその情緒にひたるように、ただ見て歩いてるだけじゃないか。この現況をどうしようというのだ」
 こんな問いを胸元に突きつけられた気がして、考えがまとまりません。でも限界集落と聞けば好奇心が動き、自分の身をひたしたいと思います。
 以前鳥取県東部の智頭町にある『板井原集落』のことを聞いたときも、行ってみたいとネットであれこれ調べてみました。この集落はやはり山奥にあり、家や道は昔のままで、の中のせまい道は、自動車というものが走ったことがありません。
「いまどきそんな集落があるのか。行ってみたい」と気持ちが動きます。近年訪ねる人が多いそうですが、地元では観光地化しないで滅びるにまかせるべきだという声があがっています。
 でも思い出します。父は山奥の小学校の分校に勤めていました。その父が88歳で亡くなったあと、その分校跡を訪ねたときのことを。
 谷川沿いの立派な道路を車で上がっていくと、集落の最初の家が見えてきました。屋根の中央が陥没しています。中の家財道具や布団が見えます。生身の家が大怪我をして血を流しているみたいです。
 腹の底からなにかが突き上げる衝撃を受けました。
 神戸の地震のとき、上郡から神戸に電車に乗ってやってきた人のように。彼女は書いていました。「電車が須磨駅に着いた。家が横倒しになっている。気がつくと、満員の電車は、さっきまでの喧騒がウソのように沈黙して窓の外を見ていた」
 あの衝撃。あとで知った限界集落という単語。簡単に片付けられない気持ちをかかえて、しばらく暮らします。
 
 
コメント
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