古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

よそよそしく異界と呼べど……

2009年11月14日 02時08分17秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 妙子さん(母の名前です)は去年まで短歌を詠んで『コスモス』に投稿していました。短歌歴は三十年以上になります。しかし九十六歳を過ぎて詠むのが面倒になったらしくやめてしまいました。その妙子さんが平成14年(2002年・妙子さん八十九歳のとき)にこんな歌を詠んでいます。

   よそよそしく異界と呼べど知り人の増えて何やら親しき冥土

 長生きするとそうでしょうね。(といいながら息子のぼくも古希を越えてしまったのですが)10年ほど前に、こんなことを考えました。
 これほどみんなが『あの世』『あの世』というのだから、ほんとにあるのだろう。そして死んだ人はそこにいるのだろう。ということにしよう。
 ぼくが死んであの世に行ったら、どれくらい知ってる人が待っていて「やー、元気か? 久しぶりだなー」と話ができるだろう。108人はいるだろうか。(108という数字に何のいわれもありません。除夜の鐘から思いついた数字です)
 ちょっと多いので紙に番号を打って名前を書いていきました。まず身内・親戚、幼なじみ、同級生・同僚・先輩、ご近所などなど。ところが108人どころか50人をなかなか越えられない。名簿を出してきたり年賀状のリストを見たりしてなんとか60人を越えたところでやめてしまいました。自分でもばかばかしくなって。
 もし『あの世』を実感できたら、どれくらい友だちが待ってるか真剣に考えますが、ありそうな気がしません。
 臨死体験をした人は「花園が見えた」というそうです。そんな証言を聞きまわっている学者もいます。死んだら天国に行くとすれば結構なことですが、でも『あの世』ってほんとにあるのかなー。
 
  
 


  
コメント (1)
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