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アナウンサーのひどい日本語、尊敬語も同様です。「ご紹介してくださいますのは田中さんです」の「ご紹介して」は謙譲語、謙譲語なら主語が田中さんであるはずがありませんが、紹介してくださるのは田中さんです。「くださいます」は尊敬語、田中さんの「紹介する」という行為に敬意を込めています。ということは、「ご紹介して」と「くださいます」がくっついていること自体ありえないわけで、謙譲語と尊敬語のドッキングなんてアナウンサーにあるまじきことです。丁寧に言いたいなら「ご紹介くださいますのは」、日常会話なら「紹介してくださるのは」です。
この際ですから、「くださる」についてちょっと整理しましょう。「下さる」「褒美を下さる」は「くれる」「褒美をくれる」の尊敬語、「~くださる」「お話しくださる」は「~くれる」「話してくれる」の尊敬語です。ちなみに、「ください」は「くださる」の命令形で、書類を下さいませんか、書類を下さい、これをお使いになってくださいませ、これをお使いください、これを使ってください、人間関係の上下にかかわらず、何かを頼むときに使いますね。
世の中には、どういうわけか、「くださる」もすべて「いただく」と表現する人がいます。先日の「監督さんが教えていただいて」もそうですが、もっとひどい例で、「○○のいちばん大きな問題は、△△を頂く人が必要だということです。○○ではご家族から頂くことがほとんどなのですが、頂くほうはどのように準備するかというと」と言う人がいるのです。「頂く」が三つ出てきますが、最後まで話を聞いたところ、「頂く」で合っていたのは二つめの「頂くこと」だけで、一つめと三つめは「下さる」と言わなければならなかったのです。
つまり、「頂く人」も「頂くほう」も△△の提供者のことを指していて、「頂く」では逆、全く意味が通らないのです。「頂く人」「頂くほう」と言うと、提供者ではなく、提供を受ける側、もらう側という意味になりますからね。この人も、日常会話では「もらう」と「くれる」の区別ぐらいできているのでしょうが、改まって「頂く」と言ったとき、「下さる」がどうしても出てこなかった、ということでしょうか。こういう人は決して少なくないので、日本語の表現(日本人の心)がどんどん貧しくなっているように感じます。
アナウンサーのひどい日本語、尊敬語も同様です。「ご紹介してくださいますのは田中さんです」の「ご紹介して」は謙譲語、謙譲語なら主語が田中さんであるはずがありませんが、紹介してくださるのは田中さんです。「くださいます」は尊敬語、田中さんの「紹介する」という行為に敬意を込めています。ということは、「ご紹介して」と「くださいます」がくっついていること自体ありえないわけで、謙譲語と尊敬語のドッキングなんてアナウンサーにあるまじきことです。丁寧に言いたいなら「ご紹介くださいますのは」、日常会話なら「紹介してくださるのは」です。
この際ですから、「くださる」についてちょっと整理しましょう。「下さる」「褒美を下さる」は「くれる」「褒美をくれる」の尊敬語、「~くださる」「お話しくださる」は「~くれる」「話してくれる」の尊敬語です。ちなみに、「ください」は「くださる」の命令形で、書類を下さいませんか、書類を下さい、これをお使いになってくださいませ、これをお使いください、これを使ってください、人間関係の上下にかかわらず、何かを頼むときに使いますね。
世の中には、どういうわけか、「くださる」もすべて「いただく」と表現する人がいます。先日の「監督さんが教えていただいて」もそうですが、もっとひどい例で、「○○のいちばん大きな問題は、△△を頂く人が必要だということです。○○ではご家族から頂くことがほとんどなのですが、頂くほうはどのように準備するかというと」と言う人がいるのです。「頂く」が三つ出てきますが、最後まで話を聞いたところ、「頂く」で合っていたのは二つめの「頂くこと」だけで、一つめと三つめは「下さる」と言わなければならなかったのです。
つまり、「頂く人」も「頂くほう」も△△の提供者のことを指していて、「頂く」では逆、全く意味が通らないのです。「頂く人」「頂くほう」と言うと、提供者ではなく、提供を受ける側、もらう側という意味になりますからね。この人も、日常会話では「もらう」と「くれる」の区別ぐらいできているのでしょうが、改まって「頂く」と言ったとき、「下さる」がどうしても出てこなかった、ということでしょうか。こういう人は決して少なくないので、日本語の表現(日本人の心)がどんどん貧しくなっているように感じます。