hiroshi hara: saxophoniste

日々の思考の断片

スタイル

2006-09-30 22:51:15 | sax関係
土曜日も洗足レッスン。なんと週3日も行ってます。
土曜日は大学生ではなく洗足音楽教室で中学生一人、高校生一人をレッスンしている。
たっぷりある空き時間は自分の練習に充てている。ほとんど学生のように学校へ練習しに来ているような感じ。
今日はその他、ディナンのコンクールに参加する学生のレッスンを行った。

今回の課題曲は一次、二次予選とも新作で、私も先日演奏会で取り上げたが、自分以外の演奏をあまり聴いたことがなかったので、とても興味深かった。
この作品はとてもよくつくりこんであるものの、演奏する側に何を意図しているのかが伝わりにくく、技術的な難しさも相まって、参加者の間では不評なようだ。
しかしながらコンクールの課題曲とは、あまり知られていなくて、且つ難しい作品のほうが公平な審査をしやすい。
その作品を完成品として聴かせるためには自身の技術と音楽性を結集させなければならないからだ。
有名な作品は先人の名演奏を模倣するだけになってしまい、その作品だけを上手に演奏、もしくは模倣すれば通過してしまうという嫌いがある。
そういう人は大抵二次予選でボロが出る。
特に曲数の多い国際コンクールではトータルな力量が試されるのだ。

余談になるが、マルセル・ミュールがヴェローヌの協奏曲を演奏した際、「駄作が名作に」と聴衆やメディアからおしみない賛辞が送られたそうだ。
このときミュールはどんなことを考えてこの作品に挑んだのか、とても興味深いが今となっては知るよしもない。

夕方はアクタス大栗司麻さんの演奏会を聴きに行く。
大栗さんは芸大で学年が一つ上の先輩にあたるが、年齢は私より一つ年下になり、学生の頃から仲良くさせてもらっている。
つい先日もジェローム・ラランとの演奏会で通訳として大変お世話になった。
今日の演奏会で感じたことは、芸大時代と今を比較して「音が変わった」ということ。
音はそう簡単には変えることはできない。たとえマウスピースや楽器を変えたとしても、奏法や概念を変えなければ意味がない。

芸大卒業後渡仏し、更に研鑚を積んだことはもちろん、音楽環境、生活の変化も大きく影響しているいるのだと思う。今日聴いた大栗さんの音は明らかにフランスの土壌からもたらされたものだった。