幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

低温やけど

2012年01月16日 20時53分02秒 | 暮らし
 電気カーペットや貼るカイロで
低温やけどをすることは知っていたけれど・・・

・・・してしまいました


 昨夜、食事の後
猛烈に眠くなり
電気カーペットの上にごろり。

ちょっと寒かったので
毛布を着て・・・

で、そのまま二時間弱、眠ってしまったのです。


フローリング用の電気カーペットの上に
厚手のじゅーたんが敷いてあります。

そのせいで熱が上に上がらず、ちっとも温かくない、と
夫はぶーぶー言っているのですが・・・

ずっと密接していると
結構、熱がこもって熱い!!



それでも眠くて寝ていました。


目が覚めて起き上がると
なんだか背中がヒリヒリします。

家族に見てもらったけれど
特になんということはない。


それでもやはりヒリヒリヒリヒリ、

念のためアロエを塗って寝ました。

でも、
今日はもっとヒリヒリヒリヒリ
椅子の背もたれなんかに寄り掛かろうものなら
一段とヒリヒリヒリヒリ。




 そういえば
娘が子供の頃
電気あんかで低温やけどをしたことがありました。

最初は虫刺されか、何かのかぶれ?、という程度の赤い感じだけ。
それが二、三日してから
中がじくじくし始め
完治するのに数か月かかりました。

20年近くたった今でも
まだ
うっすらと痕が残っています。


私の背中はそこまでひどくはないようですが
表面をやけどするよりも始末の悪い低温やけど。

みなさま
くれぐれも
くれぐれも
ご注意くださいませ。


ハイ!!
安全のための常識確認。

カイロを張ったまま寝ない。
電気カーペットの上で寝ない。(特に温度レベルに気を付けてくださいね)
電気あんかや湯たんぽも直接触れないように要注意、です



春の海のように

2012年01月14日 19時35分10秒 | ひとりごと
 幸せの整理術に影響されて
今日もせっせと身の回りを整理している。

書き溜めたノートから
今も必要な言葉だけを書き抜き
その他のものには感謝してさようなら、だ。



 そんな作業をしていたら
ずっと心に残ってはいるものの
どこにメモったかわからなくなっていた言葉が見つかった。


加藤タキ氏のお母様シヅエ様の言葉だという。



“ 年を重ねるというのは
  知識ではなく知恵を
  そう知恵を
  たくさん積み重ねて
  心の襞を深く
  幾重にも
  折り畳むこと


  人間だから
  一喜一憂することもあるし
  落ち込んでふさぎ込むこともある

  そうしたとき
  春の海を想ってごらん

  キラキラと
  光が反射して輝き
  白波ひとつ立たない

  春の海は とても穏やか

  そうした
  春の海のような心で在りたいわね ”





 1997年に書き留めたようだ。
もう15年もたっている。

15年もたっているのに
私の心の中で
この言葉は今も光り輝いている。



「春の海のような心で在りたいわね」

全文を覚えていたわけではないけれど
時折この言葉だけは
私の中に蘇ってきていた。


そうして
この言葉を思い出すだけで
私の思いが
春の海のようになるから不思議だ。


それこそ
この言葉自体が
私の中で
春の海のように
穏やかに
静かに
キラキラと輝き続けているのだ。





 言葉というものは
まったくすごい力を持っている。

どんな言葉を自分の中に積み重ねるか、
どんな言葉で考え
どんな言葉を発するか、
それによって
己の波動までが変わってしまうような気がする。



それゆえに
自分の内面が、
自分のエネルギーが、
穏やかに美しくなる言葉たちと
仲良くして暮らしたいとつくづく思う。
  

意義のある挫折

2012年01月12日 09時14分15秒 | ひとりごと
 意義のある挫折
 
 やっぱり
 行動してみることが大事です。

 成功しても
 失敗しても
 必ず何か得られます。


 動かなければ
 何も得られないのです。




 ・・・・・・1996年の日記に書き抜いてあった言葉
 何から書き抜いたのか、だれの言葉かなどは記していない。




確か
相田みつおも言っている。



 具体的に動けば
 具体的な答えがでる



と。





もうひとつ
アーサー・ホーランドの言葉から書き抜いたものがあった。


 物事にけっして無駄ということはなく
 駄目だったということもない





あまりにあたりまえの
あまりによく耳にする言葉たち

けれど
それを実践することのむずかしさ。

ついつい
失敗を恐れ
二の足を踏み
失敗したときに
挫折してしまう


けれど
松下幸之助は言った。


 成功の秘訣は
 成功するまでやめないことだ






私は
去年の暮れから
身の回りを整理し
たくさんのものを手放している。

「断捨離」という言葉は好きではないけれど
過去にとらわれず
物に固執せず
身軽になるには
やはり
いろいろなたくさんのものを手放すのが一番だろう。



手元に求めたときには確かに必要だった物たちだけれど
今の自分がときめくもの以外はすべて手放していく・・・
そうして新しく来るものを確実に受け止めていく。


いらないものを捨てるのではなく
今の自分がときめくものだけを残す。

ときめくものだけに囲まれて
毎日を時めいて暮らす。

だって
毎日の積み重ねが一生を作るのだから。

これが
幸せを招く整理術の秘訣。




そのために始めた身の回りの整理。

それをしながら
新年の初めに
あらためて
強くインプットされた言葉たち。


得た時以上に熟成されて

私の中に大きく鳴り響いている。


意義のある挫折を恐れずに
具体的に動いてみる。

そして
成功するまでやめない。


今年の私背骨、・・・かな。





      P.S.  あったらまだまだ使えるな~~~
          捨てるにはまだまだもったいないな~~~~
          でもときめかない・・・

          そんなものたちに心から感謝して「ありがとう」を言って手放していく。
          それが幸せを引き寄せる整理術の秘訣。

          でも
          それをしていて気付いた。

          あれ?!
          夫はまさにそれじゃん 




           おっと、いけない!!

          言葉は光透波

          光透波は想念界、神界にいきわたり
          この現実界を創り出すんだった!!



          めったなことを口にしてはいけません。
          夫あっての今日です。
          感謝、感謝、無理にも感謝・・・です・・・ね 

努力って楽しい

2012年01月10日 18時32分23秒 | ひとりごと
 あけましておめでとうございます。
    本年もアクセスしてくださりありがとうございます。

    なんだか、この頃
    こまめに更新できず申し訳ありません。

    介護のサポートのための実家通い
    突然のお葬儀ふたつ
    お仕事、
    主婦業
    おまけに
    ふと思いつく「お出かけ」

    

    それらに費やす時間が多くて
    なかなかパソコンに向かえないのです。


    ・・・・・などとは
    きっと単なる言い訳でしょう。

    本当に書きたければ
    どんなに忙しくても書くはずです。
    
    「時間は作るもの」であるならば
    あきらかに、「忙しくて・・・」
    は言い訳にすぎません。

    


    結局のところ
    なにがやりたいかであり
    どれを優先するかの問題でしかないのです。


    

    まあ、
    実家に行くとパソコンがつながらないということもあるのですが
    それにしても
    やはり今の私には
    ブログ以上にやりたいことが多い       
    ということでしょう。





    えっ?!
    介護サポートに実家に帰ることや
    お通夜、お葬儀は「やりたいこと」??????

    むしろ
    「~ねばならないこと」
    なのではないの??????


    ええ
    一瞬
    そう書きかけました。

    でも
    私は今
    あえて「やりたいこと」と書きました。




    考えたのです。



    介護のサポートに帰らない理由はいくらでも作れる。
    「仕事だから」といえば
    周囲はたいてい納得してくれるのだから。


    だって、本当に
    確かに忙しいんですもの。



    ・・・でも、
    そんなことを言い訳にして帰らずにいたら
    私はきっと両親が死んだあとで後悔するに違いない。

    介護も、介護のサポートも「今」しかできないではないか。

    そう、両親が私ごときの手を必要としてくれる「今」しかない。

    だから、「今」こそが「チャンス」なのだ。

    こういうことを経験する「チャンス」なのだ。


    ・・・と。



    お葬儀にしても同じこと。


  
    弔電を打ち
    お香典をどなたかにお願いすれば
    義理は立つお相手だった。




    でも、これは「久しぶり」で、「最後」の再会。

    その方の現世のお姿にお会いする最後のチャンス。

    別の次元への旅立ちをお見送りする唯一の機会。

    これに出席しなければ
    きっと私は後悔する

    そう思ったからこそ
    お通夜にも
    お葬儀にも
    参列させていただいた。


    「参列すべきだ」という義務からではなく
    自分のために「参列したい」と思い
    それを選んだだけのこと。
    
    
    知り合いに
    現世での永久の別れをし、見送る
    という実体験をする。
    その時の自分の感情を経験する。

    その経験をかみしめる機会なのだ。

   
    と、そう思うのです。



    それらのチャンスの中には
    時には失望や我慢、苛立ちや悲しみ、憎しみさえも加わるでしょう。

    けれど
    それらさえも
    「経験する」という「楽しみ」の一つに他ならないのです。
 

    観光旅行に行ったり
    ディズニーランドに行ったりする楽しさと種類は違うけれども
    大切な「自分のやっておきたいこと」には違いなく
    まちがいなく「この世で経験する楽しみ」のひとつなのだと
    私は思うのです。




    お正月
    実家にいると
    否が応でも民放のテレビを見る羽目になります。

    民放はコマーシャルが入りますね。
   
    年の始め
    そこで拾った言葉がありました。




    “努力って楽しい”   




    壁が目の前に立ちはだかった時の考え方、とらえ方を
    スマップのメンバーの一人一人が順番に朗読していくものでした。

   

   “「この壁をどうやって乗り越えようか」
     そう考えるとき私たちは間違いなく乗り越えること自体を楽しんでいる。”

    …そんな意味の言葉も入っていたように思います。

   



   



   努力はしんどいもの、
   努力する人はりっぱ

   ・・・そんな感覚があった今までとは違い

   “努力そのものを楽しむ、努力って楽しい!!”

   って
   こんなふうに発信できる「今」って
   なんて素敵なエネルギーなんでしょう!!




   そう、努力って楽しいんです。
   苦労って面白いんです。




   そんなふうに意識を転換するだけで
   毎日、目の前に起きてくることへのとらえ方が変わるでしょう?!



   「~ねばならない」と思うとしんどくなります。
   でも、
   その「~ねばならない」を選択しているのは自分自身なのです。
   本当に嫌ならやめてしまえばいい!!

   それでも、それを選ぶのは
   その中に潜んでいる“何か”を知っているからなのではないでしょうか。
   その「何か」が自分にとって貴重なものだと感づいているからではないでしょうか。




   だったら
   あっさりと認めてしまったほうが気が楽です。

   私はこちらを選びたいのだと。

   一見大変に見えるけれど
   私はこれを体験したいのだと。


   苦労も、我慢も、苛立ちも
   悲しみも憎しみも
   みんなみんな「体験する価値のある楽しみ」なのだと。
 


   「ねばならないこと」なんて、本当はひとつもないんです。

   
   それを選んでいるのは自分であり
   本当の自分は
   それを体験することを望んでいるだけのことなのです。

   だから
   すべてが「したい」ことになりうるし
   すべてが体験する「楽しみ」でありうるのです。


   そう
   努力って楽しいんです。
   苦労って楽しいんです。

   私たちはそういう、
   この世でのいろんなアトラクションを
   ただ、楽しんで体験しているに違いないのです。