幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

負けないで、くじけないで 、投げ出さないで   その1

2012年01月29日 09時25分47秒 | ひとりごと
 二十歳の女の子からメールが来た。
四年ほど前に劇団に参加していた時の仲間だ。
二年ほど会っていない。


 高校を卒業して
結婚式場に務め、一人暮らしをしている。

最近
母の不倫が原因で両親は離婚。

父と愛犬三頭が家に取り残された。

父はしばらく前に独立し
自営業となっていたが
この不景気で会社は行き詰まり
お金に縁がなくなっているようだ。
精神的には最近ようやく落ち着いてきたが
それでも
彼女のサポートが必要な様子。


母は母で
家を出たものの
不倫相手の彼とはうまくいかず
経済的にもかなり困窮し
うつ病に近くなっている。
時々彼女に
そう、
二十歳になったばかりの彼女に
相談を持ちかけ
「死にたい」などともらすそうだ。



高卒の彼女のお給料がそんなにたくさんなはずもなく
家賃、保険、母への援助など
たちまちお金の工面に追われるようになったという。


私からすれば
殴ってやりたいような母親だが
それでも彼女は母親が好きだ。

父親も好きだ。

二人を見捨てることはできず
二人から離れることもできず
自分にのしかかる精神と経済のストレスに耐えかねているのだ。



周りにいる友達は
大学生だったり
経済的に裕福な家庭の子だったり(彼女がそう感じているにすぎないが)で
話は聞いてくれても
誰もわかってはくれない、らしい・・・


苦しい、押しつぶされそう、私ばかりが何で・・・?

と、日々、悶々とし
誰かに助けてほしくて
ついに私にアクセスしてきたのだ。

「会って話を聞いてほしい・・・」
と。






 今度は四十九歳の主婦の話

経済的には何の心配もない。
自分の健康のために
パートで働いているに過ぎない。

この人には
29歳の息子がいて
お嫁さんと二人で頑張って
小さなレストランを経営している。

シェフはお嫁さんだとか。


数年前に彼はオートバイ事故にあい
一時は生死をさまよって
奇跡的に回復した。
が、脳の一部が微妙に陥没しているとかいないとか。

そのせいかどうかわからないが
事故の後しばらく、精神的に安定せず
時として暴力も振るったことがあったらしい。


その時に被害を受けたお嫁さんは
それがもとでパニック症候群に陥ってしまった。

とくに
大きな物音や、
店が忙しくなってきたりすると
それが出てくるようで
彼女がシェフであるがゆえに
とても困ってしまうらしい。


そんなこんなで
二人の関係もうまくいかず
離婚話も出ている。


しかし
お嫁さんの病気の原因は
息子の暴力。

もし、お嫁さんが離婚後に自殺でもすれば
それは息子のせい。


安易に離婚に賛成もできない。

息子の不始末を
母親としてどう償ったらよいのか、
ふたりにとって良い方法はなんなのか、
彼女は毎日、心配し、重くなっている。





 さて 
一方
東北の大震災で大好きな義母をなくし
仕事もなくした子持ちの女性。


思い切って
老母は弟に任せ
自分は横浜の支援住宅へと移り住んだ。

まだ小学生の息子のことを考えての決断だった。

彼女は若いころから自立し
十代で親もとに仕送りもしていた。
ゆえに
昼のお仕事に加えて
夜は水商売もした。

結婚した相手は
お酒を飲むと暴力をふるった。
子供を彼から守るため
彼女は息子と二人で逃げ出した。

そのあとは
朝、早朝から起き、
出勤前まで勉強して
ケアーマネイジャーの資格を取った。

今は、横浜でケアーマネージャーの仕事に従事している。

あの大震災は彼女からいろいろなものを奪った。
が、彼女はそんなことにめげなかった。

被災者であるが故のメリットを大いに活用した。

ボラティアで知り合う人たちの好意とネットワーク。
被災者に寄せてくれる温かい支援。

それらに心から感謝し
素直にそれを受けとり
後ろは振り替えず
前に向かうことだけを考えた。


彼女の夢は
被害を受けた子供たちへの支援。
精神的サポートができ、
経済的支援ができる「何か」を立ち上げること。



「被災地に比べれば天国だ」
「ここには、人間らしい暮らしがある」

そういって、
ささやかな幸せを十分に感謝しながら
彼女は今
元気にたくましく過ごしている。




 被災者の彼女とほかの二人と
どちらが大変???

と、たずねたら
あなたはどうこたえるだろう。




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