幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

努力って楽しい

2012年01月10日 18時32分23秒 | ひとりごと
 あけましておめでとうございます。
    本年もアクセスしてくださりありがとうございます。

    なんだか、この頃
    こまめに更新できず申し訳ありません。

    介護のサポートのための実家通い
    突然のお葬儀ふたつ
    お仕事、
    主婦業
    おまけに
    ふと思いつく「お出かけ」

    

    それらに費やす時間が多くて
    なかなかパソコンに向かえないのです。


    ・・・・・などとは
    きっと単なる言い訳でしょう。

    本当に書きたければ
    どんなに忙しくても書くはずです。
    
    「時間は作るもの」であるならば
    あきらかに、「忙しくて・・・」
    は言い訳にすぎません。

    


    結局のところ
    なにがやりたいかであり
    どれを優先するかの問題でしかないのです。


    

    まあ、
    実家に行くとパソコンがつながらないということもあるのですが
    それにしても
    やはり今の私には
    ブログ以上にやりたいことが多い       
    ということでしょう。





    えっ?!
    介護サポートに実家に帰ることや
    お通夜、お葬儀は「やりたいこと」??????

    むしろ
    「~ねばならないこと」
    なのではないの??????


    ええ
    一瞬
    そう書きかけました。

    でも
    私は今
    あえて「やりたいこと」と書きました。




    考えたのです。



    介護のサポートに帰らない理由はいくらでも作れる。
    「仕事だから」といえば
    周囲はたいてい納得してくれるのだから。


    だって、本当に
    確かに忙しいんですもの。



    ・・・でも、
    そんなことを言い訳にして帰らずにいたら
    私はきっと両親が死んだあとで後悔するに違いない。

    介護も、介護のサポートも「今」しかできないではないか。

    そう、両親が私ごときの手を必要としてくれる「今」しかない。

    だから、「今」こそが「チャンス」なのだ。

    こういうことを経験する「チャンス」なのだ。


    ・・・と。



    お葬儀にしても同じこと。


  
    弔電を打ち
    お香典をどなたかにお願いすれば
    義理は立つお相手だった。




    でも、これは「久しぶり」で、「最後」の再会。

    その方の現世のお姿にお会いする最後のチャンス。

    別の次元への旅立ちをお見送りする唯一の機会。

    これに出席しなければ
    きっと私は後悔する

    そう思ったからこそ
    お通夜にも
    お葬儀にも
    参列させていただいた。


    「参列すべきだ」という義務からではなく
    自分のために「参列したい」と思い
    それを選んだだけのこと。
    
    
    知り合いに
    現世での永久の別れをし、見送る
    という実体験をする。
    その時の自分の感情を経験する。

    その経験をかみしめる機会なのだ。

   
    と、そう思うのです。



    それらのチャンスの中には
    時には失望や我慢、苛立ちや悲しみ、憎しみさえも加わるでしょう。

    けれど
    それらさえも
    「経験する」という「楽しみ」の一つに他ならないのです。
 

    観光旅行に行ったり
    ディズニーランドに行ったりする楽しさと種類は違うけれども
    大切な「自分のやっておきたいこと」には違いなく
    まちがいなく「この世で経験する楽しみ」のひとつなのだと
    私は思うのです。




    お正月
    実家にいると
    否が応でも民放のテレビを見る羽目になります。

    民放はコマーシャルが入りますね。
   
    年の始め
    そこで拾った言葉がありました。




    “努力って楽しい”   




    壁が目の前に立ちはだかった時の考え方、とらえ方を
    スマップのメンバーの一人一人が順番に朗読していくものでした。

   

   “「この壁をどうやって乗り越えようか」
     そう考えるとき私たちは間違いなく乗り越えること自体を楽しんでいる。”

    …そんな意味の言葉も入っていたように思います。

   



   



   努力はしんどいもの、
   努力する人はりっぱ

   ・・・そんな感覚があった今までとは違い

   “努力そのものを楽しむ、努力って楽しい!!”

   って
   こんなふうに発信できる「今」って
   なんて素敵なエネルギーなんでしょう!!




   そう、努力って楽しいんです。
   苦労って面白いんです。




   そんなふうに意識を転換するだけで
   毎日、目の前に起きてくることへのとらえ方が変わるでしょう?!



   「~ねばならない」と思うとしんどくなります。
   でも、
   その「~ねばならない」を選択しているのは自分自身なのです。
   本当に嫌ならやめてしまえばいい!!

   それでも、それを選ぶのは
   その中に潜んでいる“何か”を知っているからなのではないでしょうか。
   その「何か」が自分にとって貴重なものだと感づいているからではないでしょうか。




   だったら
   あっさりと認めてしまったほうが気が楽です。

   私はこちらを選びたいのだと。

   一見大変に見えるけれど
   私はこれを体験したいのだと。


   苦労も、我慢も、苛立ちも
   悲しみも憎しみも
   みんなみんな「体験する価値のある楽しみ」なのだと。
 


   「ねばならないこと」なんて、本当はひとつもないんです。

   
   それを選んでいるのは自分であり
   本当の自分は
   それを体験することを望んでいるだけのことなのです。

   だから
   すべてが「したい」ことになりうるし
   すべてが体験する「楽しみ」でありうるのです。


   そう
   努力って楽しいんです。
   苦労って楽しいんです。

   私たちはそういう、
   この世でのいろんなアトラクションを
   ただ、楽しんで体験しているに違いないのです。