虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

「カラマーゾフの兄弟」の葱の話

2006-06-18 | 読書
今、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んでいる。昔、読んだけど、もちろん、半分も理解できてなくて、だれが親父を殺したんだったかもあやふやだ(最後まで読んでない)。でも、半分もわからないけど、なぜか熱中して読んだ。
知的にはよくわからないけど、魂で体験するような作品なのか。

ストーリーよりも、登場人物のおしゃべりや逸話に惹かれ、全体よりも、部分部分のページで十分楽しめる。よくわからないのだけど、なぜかまた読んでみたい気持ちをおこさせる。癒されるのかもしれない。

作者は、この小説に続編を予定しており、その続編では、主人公アリョーシャは、皇帝暗殺のテロリストとして処刑される物語を考えていたのも興味深い。小林秀雄は、「続編なぞ考えられないほど、この小説は完成している」と、続編の考察をきっぱり拒否してしまったけど、あのアリョーシャがテロリストの親玉で、子供たちが実行者になる?考えるだけでも興味深いではないか。続編が書かれなかったのはとても残念だ。

ところで、ドストエフスキーは文政4年生まれで。勝海舟の2歳年上。日本では幕末の人だ。清河八郎が暗殺されたときには、すでに「死の家の記録」「虐げられた人々」を完成している。「カラマーゾフの兄弟」は明治13年に完成。翌年、60歳で死んでいいる。この時代のロシアはすごいよな。

読んでいて、芥川龍之介の「くもの糸」とそっくり同じ話をする場面を読んだ。ロシアにも同じような民話があったのだろうか。芥川の短編童話は、中国から取材したと思っていたけど、そのネタはどこからなんだろうと思った。

「カラマゾフ」では、くもの糸ではなく、「ねぎ」だ。ある性悪の女が1度だけ畑からねぎを取って乞食に恵んだことがあるので、天使は地獄にいる女にねぎをさしのべる。しかし、他の多くの罪人もそのネギにぶらさがり、地獄から逃れようとすると、「これはわたしのネギ!」と罪人たちを足でけとばす。その瞬間、ネギはプツンと切れる。同じですね。

しかし、あきっぽいので、「カラマ」も途中で放擲して、今回も最後まで読まないかもしれません。

画像は、置塩神社の鳥居と石段。