らんかみち

童話から老話まで

指を切って思うことにゃ

2012年04月06日 | 暮らしの落とし穴
 夕方のローカルニュースで「謝罪会見」なるものが放送されたらしいが、残念ながらというか、ぼくは見ていない。あんまり見たくもないけど、「いったい何がどうなっとるんぞ?」と聞かれたら、我々ボランティアの集めた寄付金を、何の断りもなく部外者に使われた、と答えればいいのだろうか。
 いわば賽銭を私的に流用したみたいなことなら、「なんだ、坊さんの真似をしただけじゃないか」って? いや、そういうことじゃないような……。

 寄付を下さった方々にとっては浄財のはずだったのに、汚財になってしまったことを、どうやってあがなえば良いのだろう。我々は被害者なのだが、そんな申し開きをすれば「お前ら、AIJ投資顧問か!」と一蹴されるに違いない。
 返済されているし我々のあずかり知らなかったこととはいえ、告訴しなければ同じ穴の狢と思われるかもしれない。かといって下手人を追い詰めて最悪の結果を招くのも本意でないし……。

 人は長く同じ業務に携わっていると、ろくな事にならない。その道のスペシャリストになったら、どんなことも簡単に思えるのだろう。それは何も公務員に限ったことではなく、そば屋のオヤジだって同じだ。
 今朝蕎麦を打っていて切りの行程にさしかかったとき、ふと長年使ってきた駒板に替えてみようという気になった。魔が差したというんだろうか、自分で作ったプロ仕様の駒板で、枕という部分が低い。それでも指を切ったことなど一度もなかったのだが、駒板を交換した途端に、スパッ!

 限界を超えてみないとどこが限界か分からないものだが、これでようやくクリティカルポイントが見えた。思ったより深手だった人差し指の痛みをこらえながら、慣れたころが一番危ないんだよなぁ……。