go の let's goシニア

リタイヤ・・何でもヤリタイヤ
登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

樹木公園の早春

2016年03月28日 | インポート
昨日、白山麓の樹木公園に散歩に行って来ました、北陸の金沢周辺の桜の開花は三月末が予想されています、樹木公園は金沢より海抜の高いところに有ります、染井吉野の蕾は固くgoの開花予想では四月の五日~七日頃になるのではと思っています。
樹木公園には色々な桜が植えられていて、一足早い満開を迎えている桜もあります、最初に目に留まったのが河津桜でした、青い葉の新芽が出ているので満開を過ぎたのでしょう。
画像




画像



冬枯れた梢の中に黄色の花が咲いている木が有りました、山椒の黄色の花でした。
画像




画像




画像



トサミズキの花
画像




画像




画像



ヒュウガミズキの花
画像




画像




画像



椿寒桜の花は満開でした、花が房状にかたまって咲いていてとても奇麗でした。
画像




画像




画像



桜の花のイメージのチェリーピンクの色より濃い紅色の寒緋桜の花は遠くから目立ちました。
画像



高い木の上に咲いていて、望遠で写してもこの程度でした、木には「大寒桜(おおかんさくら)」札が掛かっていました。
画像



桜の木の下に咲いていたカタクリの花
画像



湿地帯の近くには黄色の「ウマノアシガタ」が一輪だけ咲いていました。
画像



終戦後に食べて事が有るような、食用にもなる「ヤブカンゾウ」が柔らかな芽を出していました。
画像



画像



野生の葱の様な「アサツキ」です、ここは公園の中なので採集できませんが、渓流釣りに行った山の物を摘んできて食べたことが有ります、酢味噌和えにしたら日本酒に良く合います。
画像



日本の里山にはどこにも咲いているスミレです、童謡にも出てきますが春の代表的な草花ですね。
画像





画像




杉林の中のアオキに真赤な実が生っていました、青い葉に真赤な実が映えてとても奇麗でした。
画像




画像




画像



春一番の花として知られている「ショウジョウバカマ」の花です、花は綺麗に咲いていますが葉が動物に食べられてい寂しい花になっています。
画像




画像



未だ冬景色かな?、と思って行った樹木公園には少しずつ春が近付いてきていました、もう暫くで染井吉野の花が樹木公園を埋め尽くすことでしょう、その頃には必ずお花見に行きます。

御訪問ありがとうございます。
    (コメント欄は閉じさせていただいています)






安宅の関、松に残る歴史の爪跡

2016年03月26日 | インポート
三月の初めに能美市の市民病院へ行く用事が有りました、診察が早く終わったので少し足を延ばして安宅の関跡に行って来ました。
安宅関跡には何回か訪れた事が有りますが、この時期の訪れる人がいない静かな松林と、荒波が打ち寄せる海を見に行きたかったのです。
駐車場から松の林の中の道を海岸の方の関所跡の方に歩きました。
画像




画像



歌舞伎の勧進帳の場面の銅像前にも誰もいませんでした、行楽シーズンには記念撮影をする人が大勢集まる場所ですが。
御存じ歌舞伎の名場面です、
兄の源頼朝に謀反を疑われて追われる義経が奥州平泉へと落ちのびる途中の文治3年(1187)、山伏姿で  安宅の関にさしかかる。関を越えようとしたその時に、関守富樫泰家に見とがめられ、詮議の問答が始まる。

画像



安宅関跡には石碑が立っています、歌舞伎の勧進帳の舞台のバックには見事な枝ぶりの老松が描かれています、昔はこの辺の海岸には松が茂っていたのでしょう。
画像




画像



今日は冬としては穏やかな日ですが、日本海は灰色の雲に覆われて寄せる波がテトラポットにあたり波頭が白く砕けています。
画像




画像



松林の中も遊歩道です、右側の遠くの松の根元に傷が見えると思いまが、気をつけて見るとほとんどの太い松には傷が有りました。
この道は何回か歩いたことが有りますが、今日まで松の傷には気がつきませんでした、後に調べたら小松市の史跡や古道探訪のHPの中に「安宅海岸松林、松脂採集痕」が載っていました。
画像



今より70数年前の戦時中に日本は海外よりの原油が思うように入って来なくなって飛行機の燃料も不足して松の根の油を精製して飛行機の燃料を造ろうとしていました、そのために国民に松の根を掘り起こして供出するように奨励していたのです。(ポスターの画像はヤフー映像よりお借りしました)
画像



そのためにこの辺の松がほとんど切り倒され根を掘り起こされた様です、辛うじて残った松からも樹液(松ヤニ)を採集して松を傷めました、御国の為に犠牲になった松の傷は痛々しいです。
画像



傷口を治そうと松ヤニがたれているのを見ると、私には赤い血の様に見えました、70数年を経ても癒えない傷をもってこの松は生き続けています。
画像



樹脂(松ヤニ)を採取する為に斜め筋状に付けられた傷跡が70数年たった今でも確認できます、その傷を包み込むように木が成長を続けています。
画像




安宅海岸は戦前までは大きな松が茂る美しい松林だったと思います、戦争の為にほとんどの松が伐採されて根を掘り起こされたのでしょう、残った松も樹脂を採集する為に傷つけらました、現在の松は戦後植林された松や残った松からこぼれた種子から生えた若い松です。
現在の若い松が老将になって大きく枝葉を茂らせる様にいつまでも平和な世の中が続く様に願うものです。

以前にアップした「安宅の関」の記事です、お時間が許される方はご覧ください。

御訪問ありがとうございます。




椿まつり

2016年03月22日 | インポート
いつもウォーキングの時に通る遊園地の椿の花が咲き始めました、私の住んでいる隣の野々市市は市の花木が椿です、遊園地や道路の緑化に椿を沢山植えています、公園の名前につばき公園など公共施設の呼び名をつばき○○などのネーミングが沢山あります。

毎年この時期に「花と緑のののいち椿まつり」が毎年開催されます、今年で26回になるそうでが連休の日曜日に行って来ました。
市内には椿の愛好者が多く、丹精されて育てた自慢の椿を出展していました、椿には何百種類の品種があり、色、形が様々で楽しませて頂きました。
生花のほかに盆栽や生け花、椿を題材にした手芸品等の展示即売も行っていて会場は椿一色でした。

画像



会場の野々市市文化会館の前はテントが並んで椿の苗木や手芸品、特産品などの販売をしていました。
画像




画像




画像




画像



展示会場の入り口には椿と市のマスコットキャラクターの「のっティ」ちゃんの飾り付けが迎えてくれました。
画像



会場の展示台は雛段の様に四方に傾斜棚になっていて生花を一輪ざしに挿して展示されています、色や咲き方で目にとまったものをいくつか写してきました。
画像




画像




画像




画像




画像




画像




画像




画像




画像




画像




画像




画像



盆栽や生け花も展示されていました、盆栽は展示会の開催時期に合わせて開花するように育てたのでしょうね、早く咲いてしまったら散ってしまいますし難しそうです。
画像




画像




画像




画像




画像




画像



市内の酒造メーカーが開発した椿の酵母を使って醸造した日本酒や、野々市市の特産のキウイフルーツのワインなどが販売されていました。
画像




画像



会場の外には野々市市のコミニティ-バス「のっティ」が待機していました、平常は市内を循環しています、料金は一律¥100で循環ルートによっていくつかに色分けされています、のっテイちゃんが100円硬貨を持っているデザインになっています。
画像




画像



今年は例年に比べて桜前線も早いようです、桜やバラ、山野草などの花も早く咲きそうです、油断していると季節が駆け足で過ぎて行ってしまうので乗り遅れないようにしなくては、今日は里山にフキノトウをとりに行って来ましたが、例年だとこの季節には丁度良いのですが、すべて開いて花が咲いていました、残念!。

最後までお目を通していただいて有難うございました、コメント欄は閉じさせて頂いています。





猿山岬の雪割り草

2016年03月19日 | インポート
毎年このシーズンになると能登の雪割り草の便りが聞かれます、今年は例年より早い開花の様です、私は能登の雪割り草は未だ見に行ったことが無いので、今週の中頃の春らしい良い天気の日に行って来ました。
金沢から能登里山海道で約二時間弱で門前町の皆月に着きました、皆月湾は波もなくコバルトブルーの海が印象的でした、雪割り草群生地の猿山岬へは湾の先に見える岬えを越えて行きます。

画像




平日でも想像した以上の車が駐車していて驚きました、ここまでの道路は細い道で対向車とすれ違うこのもままならない場所もあって、休日は混雑が予想されます。
画像




駐車場にはトイレが有って入山する前に1人¥300協力金を払いました、猿山灯台まで約500mの山道を歩きはじめました。
画像



切り立った岬の山肌の遊歩道はよく整備されていて歩きやすかった、駐車場から行く時は下り坂です、この写真は帰り路の登りの時に写しました。
画像



後ろを振り返ると皆月湾から辿って来た岬の細い道が見えます。
画像



途中で深く切れ込んだ谷にかかる橋を渡りました、橋を渡ってから対岸を望むと辿って来た道が山肌に斜めに伸びているのが見えます。
画像




画像




谷筋が断崖に落ち込んでいて其の先には真っ青な海が見えます。
画像



切り立った断崖の遊歩道も道幅が狭くなってきた頃に、木立の間から目指す猿山灯台が見えてきました。
画像




画像



灯台に着きました、ここにきてみれば灯台の場所は平地になっているので分かりませんが、実際は猿山岬の絶壁の上に造られた灯台です、秘境の灯台と云われています、1920(大正9)年に造られた様です、当時は現在の様な道もなく建設資材は海上輸送されて断崖から荷揚げして建設されたようです。
画像




画像




画像



灯台からは遊歩道が二手に分かれています、私は猿山登山道とは別の雪割り草の群生地の道を進みました。
画像



遊歩道の両側に雪割り草が沢山咲いています、雪割り草の群落と聞いていたのでもっと色々な色の咲き方を想像して行ったのですが、白色の花がほとんどでした、変った色の咲き方をしているものを写してきました。
画像




画像




画像




画像




画像




画像




画像




画像




画像




画像




画像




画像




画像



遊歩道のわきに水仙も咲いていました。
画像




画像





能登の田舎の風景
海岸から道路を隔てた所に集落が有ります、集落の裏手は山が迫っています、冬は強い季節風が吹いて波しぶきと吹雪きが吹き荒れます、その風雪を防ぐために竹で風よけの囲いをします、「まがき」といってここに暮らす人たちには欠かすことが出来ないものです。
画像




画像




画像




画像




画像


冬の間は「まがき」に囲まれた家で、昼となく夜となく海鳴りと風の音を聞いて春になるのを待つんでしょうね。
画像



雪割り草を見てから車に戻ったら昼時間を過ぎていました、帰り路に食堂もなくコンビニもありません、少し戻って総持寺の門前蕎麦を食べてきました。
画像



今までになく細い蕎麦でした、適度の腰と付け汁のダシと塩加減がよくて美味しかったです。
画像


蕎麦の下に「アテ」の葉がひかれていました、アテは石川県の県木に指定されていてアスナロの変種でヒノキアスナロのことを地元では「アテ」と呼んでいます、殺菌効果があって能登ではお刺し身や生魚の下に敷いたりするそうです。
画像



今日は晴天で風もなく行楽にはもってこいの好天でした、能登里山海道もスムースに流れていて4時半頃には無事に自宅に帰ることが出来ました、雪割り草も丁度良く開花していて楽しい行楽の一日でした。

御訪問ありがとうございます。








北前船主屋敷・蔵六園(ぞうろくえん)

2016年03月14日 | インポート
加賀の橋立の蔵六園を見学に行って来ました、橋立は北陸自動車道の尼御前サービスエリアの近くですが、金沢方面からだと片山津 I/Cから、福井方面からだと加賀 I/Cから行くことになります。

現在はカニや甘エビなどの日本海の豊富な海の幸を水揚げする漁港になっていますが、江戸時代中期から明治時代にかけて大阪と北海道を結び日本海で活躍した北前船の船主、船頭、船乗りの集落でありました。、
最盛期には100隻以上の北前船を擁し、寛政8(1796)年には30数名の北前船船主が名を連ねた、北前船で財をなして、大正時代には日本一の富豪村といわれた時代もありました。

今日訪ねる蔵六園は国登録重要有形文化財になっていて、北前船主であった酒谷宗匕郎家の居宅として1870年頃に建築された屋敷です。

正面から見た蔵六園です、後方に山が見えますが屋敷が建っている所は軟岩の岩山を削って敷地にしたようです、庭の植木も岩盤をくりぬいて植えているので庭木の成長は遅いようです。。

画像


蔵六園の入口です、建物の外壁を保護する為に張られた板は、船の外板を張り替えた時の古い竪板を再利用しています、船の外板は環境に強いので100年以上も経て現在でも風雨に耐えています。
画像



廊下の隅には山野草がかざられていました。
画像



オエと呼ばれる母屋です、柱や梁などの建築資材は殆どが欅材を使用して総漆塗の座敷になっています、北前船で巨万の富を築いた船主の贅を尽くした暮らしぶりがうかがえます。
画像



座敷の棚やテーブルの上には古い焼き物や造り物が並び、アンティークショップも兼ねています、紫檀の輪切りのテーブルが有りました、見学していた観光客と思われる人が、ウン十万もするでしょうといったら、女将さんが一桁上のウン百万はしますよ、といっていましたこれだけの太さの紫檀は世界中を探してもなかなかないそうです。
画像



オエの中ほどに囲炉裏が切られていて炭火が赤く見えました、この囲炉裏ばたで船主が商売の打ち合わせなどの話をしたのでしょう。
画像



オエの廊下の大きなガラス越しに見事な庭園が見えます、北前船の重心を安定させるために日本各地から運んできた銘石や石灯篭が並んでいます。
画像




画像



蔵六園の名前の起源にもなった「亀石」が見えます、亀の甲羅の上には手水鉢が載っています。
蔵六園庭園の由来
蔵六とは亀のことです、手足と頭と尾の六つを甲羅の内側へしまい込むので蔵六と云います。
大聖寺藩主の前田利鬯(まえだとしか)公が庭に亀そっくりの石(自然石)をお目にとめられ、蔵六園と命名されたようです。
画像



季節がら雛人形が飾られていました、お雛様やお道具飾りは古い時代のものでどれも歴史をかんじました。
画像




画像




画像




奥の部屋が「藩主御成り」の部屋です、銘木をふんだんに使った内装になっているようです、大聖寺藩の藩主が滞在する時に使った部屋です。
画像




画像



この御屋敷には七つの蔵が有ります、その内の一つの内蔵です、蔵の中には古文書や美術品が収蔵されていて見学することが出来ました。
画像





画像




画像





画像




画像



展示されている焼き物は現在では貴重品の古伊万里の銘品の御宝です、他ではなかなか目にする事のない銘品を観賞することが出来ました。
画像




画像




画像




画像




画像




画像




北前船で使われていた旗印や航海に使ったものが展示されていました。
画像



遠めがね(望遠鏡)も当時のアメリカ製とスペイン製のものが展示されていました、左下の錆びた缶は樺太工場で造られた日本第一号のカニ缶ということです。
画像



北前船の模型が飾られていました、船首のそりが強い「ペザイ(弁才)船」と呼ばれる和船独特の形をしていました。
画像



喫茶室が有りました、お抹茶やコーヒーを飲んでくつろげます、私もコーヒーを頂きしばらく休んできました。
画像



喫茶室の片隅に山野草や苔を飾り付けた鉢が幾つか展示されていました、春から夏のシーズンになると数多くの山野草が展示されるそうです、展示販売をしているので気に入ったものが有れば購入する事も出来ます。
画像



一昨年の9月に橋立の北前船の里資料館を見学してブログアップしています、北前船のことや橋立の街のことが書かれています、お時間が許される方はご覧ください。

最後までご覧下さってありがとうございます。