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登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

安宅の関、松に残る歴史の爪跡

2016年03月26日 | インポート
三月の初めに能美市の市民病院へ行く用事が有りました、診察が早く終わったので少し足を延ばして安宅の関跡に行って来ました。
安宅関跡には何回か訪れた事が有りますが、この時期の訪れる人がいない静かな松林と、荒波が打ち寄せる海を見に行きたかったのです。
駐車場から松の林の中の道を海岸の方の関所跡の方に歩きました。
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歌舞伎の勧進帳の場面の銅像前にも誰もいませんでした、行楽シーズンには記念撮影をする人が大勢集まる場所ですが。
御存じ歌舞伎の名場面です、
兄の源頼朝に謀反を疑われて追われる義経が奥州平泉へと落ちのびる途中の文治3年(1187)、山伏姿で  安宅の関にさしかかる。関を越えようとしたその時に、関守富樫泰家に見とがめられ、詮議の問答が始まる。

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安宅関跡には石碑が立っています、歌舞伎の勧進帳の舞台のバックには見事な枝ぶりの老松が描かれています、昔はこの辺の海岸には松が茂っていたのでしょう。
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今日は冬としては穏やかな日ですが、日本海は灰色の雲に覆われて寄せる波がテトラポットにあたり波頭が白く砕けています。
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松林の中も遊歩道です、右側の遠くの松の根元に傷が見えると思いまが、気をつけて見るとほとんどの太い松には傷が有りました。
この道は何回か歩いたことが有りますが、今日まで松の傷には気がつきませんでした、後に調べたら小松市の史跡や古道探訪のHPの中に「安宅海岸松林、松脂採集痕」が載っていました。
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今より70数年前の戦時中に日本は海外よりの原油が思うように入って来なくなって飛行機の燃料も不足して松の根の油を精製して飛行機の燃料を造ろうとしていました、そのために国民に松の根を掘り起こして供出するように奨励していたのです。(ポスターの画像はヤフー映像よりお借りしました)
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そのためにこの辺の松がほとんど切り倒され根を掘り起こされた様です、辛うじて残った松からも樹液(松ヤニ)を採集して松を傷めました、御国の為に犠牲になった松の傷は痛々しいです。
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傷口を治そうと松ヤニがたれているのを見ると、私には赤い血の様に見えました、70数年を経ても癒えない傷をもってこの松は生き続けています。
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樹脂(松ヤニ)を採取する為に斜め筋状に付けられた傷跡が70数年たった今でも確認できます、その傷を包み込むように木が成長を続けています。
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安宅海岸は戦前までは大きな松が茂る美しい松林だったと思います、戦争の為にほとんどの松が伐採されて根を掘り起こされたのでしょう、残った松も樹脂を採集する為に傷つけらました、現在の松は戦後植林された松や残った松からこぼれた種子から生えた若い松です。
現在の若い松が老将になって大きく枝葉を茂らせる様にいつまでも平和な世の中が続く様に願うものです。

以前にアップした「安宅の関」の記事です、お時間が許される方はご覧ください。

御訪問ありがとうございます。




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2 コメント

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Unknown (幸村)
2016-03-28 22:28:05
春ですねgoさんも散歩に外に出る機会が多くなってうれしいですね、田んぼの土手に出てきたセリやナズナ、タンポポは毎年春を感じるように一回は食べています、次記事のヤブカンゾウですがノカンゾウと言って酢味噌和えにすると癖がなく歯ごたえもよくおいしいです。ノカンゾウとヤブカンゾウの区別がよくわかってないですが花を図鑑で見たらヤブカンゾウだったようです
松ヤニからガソリンを作るなんて仮にできても少量なんでしょう、その時の日本はそこまで来ていた戦争だったことがよく分かります、まさに戦争の爪痕が松に残されているんですね
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Unknown (go)
2016-03-29 14:44:44
幸村様へ
日が長くなってポカポカと暖かくなるとじっとしていられませんね、里山から春になって木々が芽吹く頃は一年中で一番暮らしやすい季節です。
これからの渓流釣りは山菜も取れるので楽しみです、ホロ苦い山菜は自然の恵みです、春の味がします。
安宅関に行って松の傷に気がついて調べたら、歴史の傷跡でした、ドイツも松の樹脂からガソリンを作ってようですが、日本もガソリンを造ろうとしたようですが手が掛かり過ぎて駄目だったようです、その頃の日本は敗戦色が濃くなって切羽つまっていたようです、無駄なことで綺麗な自然を壊したようです。
大河ドラマの真田丸を毎週見ています、知っている地名も出てきて懐かしいです。

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