go の let's goシニア

リタイヤ・・何でもヤリタイヤ
登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

金城霊澤(キンジョウレイタク)、金澤神社、兼六園

2022年01月12日 | インポート
先週の成人の日の3連休の時に久しぶりに兼六園の周辺を散歩しました、
兼六園はこの日は県内の人は無料開放の日で料金を払わないで入園する
事が出来ました、兼六園に入る前に隣接する金城霊澤に寄っていきまし
た。
金城霊澤は金澤の地名の起源になったと所と伝えられています。
その内容は、昔この里に「芋掘り藤五郎」という人はおって山で山芋を
掘る事を生業にしていました、ある時藤五郎がこの泉で山から掘って
きた山芋を洗ったところ土の中から砂金が出てきました、それからこの
泉を金城霊澤と呼ばれ金澤の起源になったと伝えられています。

金城霊澤は今でもお堂の中に大切に保存されています。

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泉の中には沢山の硬貨が投げ込まれています、西洋のトレビの泉にあやかった行為でしょうか。

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金城霊澤の裏山に洞穴があって石碑が立っています、石碑には金城霊澤のいわれ
が彫られています、この築山は鳳凰山(ホウオウザン)といって12代藩主が
千歳台に竹沢御殿をつくった時に奇岩を集めて築山を造ったいうことです、その
形が鳳凰に似ていることから鳳凰山と呼ばれるようになったとか。
この山の洞窟に「金城霊澤」があり、この石碑は13代藩主が建立したものです、
高さ1.8m、幅1,2mの根生川石(伊豆産)で出来ているそうです。

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金城霊澤に寄った後にお隣の金沢神社を参拝しました、金澤神社は菅原道真公
を祀った神社です、菅原道真公といえば学問の神さまとして知られています、
この時期は受験のシーズンと重なり参拝する人でごった返していました。

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菅原道真公の家紋は梅の花の形です、加賀藩の初代藩主前田利家公は
前田家の祖先は菅原道真公として菅原神社を熱く信仰していたそうです、
そんな訳で加賀藩の家紋が加賀梅鉢(剣梅鉢とも)になったと聞いてお
ります。

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受験生の願いを書いた絵馬が沢山かかっています、あとから掛けようと
思っても、掛けるところが無いようです。

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久しぶりに兼六園の園内を散歩しました、カスミが池の湖面に雪吊りが映えて
美しい風景になっていましたので映してきました。
遠くに兼六園のトレードマークになっている徽軫灯籠(コトジトウロウ)が
見えます。

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コロナ過で暫く外出を控えていました、8日は北陸には珍しく青空が綺麗な
日でした、久しぶりに兼六園周辺を散策して日ごろたまっていたうっぷんも
は晴れたように思います。
一番上の孫娘が新成人になって金沢市の成人の集いが金曜日の8日にあって
家内が赤飯を炊いて祝いました、考えてみるとつい最近生まれたように思い
ましたが成人式を迎えたとは思えません、それだけ私が歳を重ねたことにな
ります。

ご訪問ありがとうございます、長い間更新が途切れて反省しております、
これからもよろしくお願いします。








謹賀新年

2022年01月01日 | インポート
新年あけましておめでとうございます
昨年はいろいろとお世話になりました
本年も相変わらず宜しくお願いします。

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        パーク獅子吼にて、日本一の獅子頭、重さはそれぞれ1,5tあります。


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                  兼六園、雪吊りのライトアップ






苔の園の歌碑

2021年12月20日 | インポート
石川県の小松市日用町(ヒヨマチ)に叡智の杜、苔の園があります、名前の
通り苔庭の美しい庭園で私も何度か訪れています。
最後に行ったのは2016(平成28)年の6月になります、それまで何度か
行っていましたが、真新しい歌碑があるのに気づきました、今年のテレビ
や新聞で話題になった人の歌です、今では皇室を離れ小室圭さんと結婚
されて小室真子さんになられてニューヨークに暮らしておられます。
歌碑に「真子内親王殿下」と刻まれています、その時は今日の話題になる
事は知る由もなかったので別に意識していませんでした。
この間写真を整理していてふと気づきましたので歌を紹介します。

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真子内親王殿下は2015(平成27)年に国際青年会議(JCI)の金沢大会の
開会式に御出席の公務のために石川県入りされていました、そのおりに
苔の園を訪れて、苔庭を散策され係りの人の説明に興味深く耳を傾けて
おられました、翌年(平成28年)の歌会始に苔の園のお歌を発表されて
います。

真子内親王殿下

お歌

広がりし 苔の緑のやはらかし 人々のこめし 思ひ伝はる
                   平成28年 歌会始

この時の宮中歌会始のお題は「人」でした。

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そういえば私も長い間、苔の園に行っていません、来年の事を言えば鬼に
笑われるかもしれませんが、梅雨の合間の晴れた日に行ってみたいと思い
ます。
今年も残りの日が少なくなりました、おそらくこの記事が今年最後に
なると思います、皆様方におかれましては来る年も良い年になります
ようお祈り申し上げます。





メタセコイアの黄葉ー太陽が丘の並木路

2021年12月04日 | インポート
メタセコイアの黄葉を見に11月の最後の日の30日(火)に行ってきました、
去年は河北潟のメタセコイア並木の黄葉を見にに行ったので太陽が丘の黄葉
を見るのは2年ぶりになります、ちょっと遅い感がありましたが黄葉の葉が
散り始めた綺麗な晩秋の景色を見ることが出来ました。
並木道の車道には散ったメタセコイアの葉がふき寄せられて両端に積もっ
ていました。
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歩道を歩きましたが散ったメタセコイアの針のような細い葉が路面全体に積もって
いて信州の唐松林を歩いた事を思い出しました。
ここの太陽が丘は金澤の山手になります、雪が降った景色を思い浮かべると韓国
ドラマの冬のソナタを一場面がうかんできます。
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歩道は低い枝で覆われて長いトンネルに入ったようです。
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おなじメタセコイアの並木を6月に写した写真を載せてみました、強い日差しを
さえぎって歩道を歩く人にやさしい日陰をつくっていました。(2020年6月撮影)
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落葉樹は夏の陽ざしが強いときは陽ざしを遮って日陰をつくってくれますし、
晩秋からは葉を落として冬の貴重な陽ざしをとどけてくれます、並木道に
落葉樹を植える事はその為でしょう。
メタセコイアは成長が早く、背丈が高いので冬の季節風を遮って雪の吹き
溜まりの予防にもなります。
この奥に900世帯超の団地があります、街への出入りはほとんどこの並木
道を利用します、この日は平日の昼間だったので車の通行量もあまり多く
なかったのですが朝晩のラッシュ時には通行量も多くなることでしょう。

ご訪問ありがとうございます、これからオフシーズンを迎えブログの
ネタも少なくなります、出来るだけ短い間隔で更新をするようにがん
ばりますのでよろしくお願いします。








深田久弥山の文化館に行ってきました

2021年11月22日 | インポート
17日の水曜日に日本百名山で有名な「深田久弥、山の文化館」に行ってきました。
1913年に一度行ってブロブで紹介しています、今回家族が行くので車に便乗
してゆきました。
山の文化館は明治四十三年に絹織物工場として建てらましたが改装してつくられ
ました、ここでは昭和五十年代半ばまで絹織物が生産されていました。
門をくぐった入り口に大きな銀杏の木があります、この季節は銀杏が黄色く色着
き、地面は散った銀杏の落ち葉が敷き詰められて風情を出しています。
敷地全体が塀で囲まれた歴史を感じるお屋敷になっています、入り口正面の事務
棟と渡り廊下でつながれている石蔵は元々生糸の保管庫として使われていました
が現在は展示室になっています。

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               深田久弥 1903~1971
登山家であり、山の文学者で知られる深田久弥は加賀市大聖寺に生まれました。
昭和三十九年に発表した「日本百名山」は、読売文学賞を受賞し、登山愛好者
たちだけではなく、多くの人々に愛読され、日本の山の美しさを人々に再認識
させる大きなきっかけをつくりました。
しかし、シルクロード研究や「世界百名山」を執筆中、昭和四十六年三月に
茅ヶ岳に登山中、脳卒中で亡くなりました。六十八歳でした。

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切手にもなった登山中の深田久弥,キスリングザックがなつかしいですね。



以前に訪れた時はありませんでしたが、立派な資料展示室が出来ていました「九山山房」。
深田久弥が収集した山に関する書籍やご自分が執筆した書籍やご自分で執筆した原稿が
載っている書籍がぎっしりと詰まっていました。

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展示室には深田が詠んだうたや俳句、それに収集したパンフレットやそれに深田
の思い出の品が展示されていました。

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良く使い込んだ愛用のコッフェルが展示されていました。

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深田が属していた錦城山岳会が使っていた登山用品(コンロ)

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深田が愛用していた登山用品。

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絹織物工場の時に生糸を保管していた石蔵、生糸は金と並んで貴重品だったので
石蔵に保管していたのでしょう。
金庫の様な扉が凄い!。現在は展示室になっています。

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事務棟二階が和室になっていて、談話室として利用しています。

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離れが喫茶ルームになっていま、「聴山房」コーヒーをいただいてきました。

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中庭のお休み所に無造作に置かれた丸太の椅子と机?。

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日本人はたいていふるさとの山を持っている。
山の大小遠近はあっても、
ふるさとの守護神のような山を持っている。
そしてその山を眺めながら育ち、
成人してふるさとを離れても、
その山の姿は心に残っている。
どんなに世相が変わっても、
その山だけは昔のままで、
あたたかく帰卿の人を迎えてくれる。
私のふるさとの山は白山であった。
    深田久弥「日本百名山」より

門を出て直ぐ左が橋になっていて、橋の下には大聖寺川が流れています、
少し前まで大聖寺川に遊覧船が運航していました、その頃の船着き場の跡が
今でもあります、現在は土砂の流入で川が浅くなって遊覧船は運航して
いないそうです。
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川端の遊歩道を散策しました、初冬の陽がこづえを超えて快く届いています。

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遊歩道の先には江沼神社という大きな神社がありました、神社に参拝してから
紅葉を愛でてきました。 

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ブログで紹介するのは二度目になります、私も現役の頃より七十過ぎまで登山を
趣味にしていましたので本当に興味がわきました、私のふるさとの山は信州の
山です。
興味のある方は加賀の温泉郷(山中、山代、片山津)に来たおりに足を延ばして
訪れてください。

ご訪問くださってありがとうございます、今後もよろしくお願いします。