go の let's goシニア

リタイヤ・・何でもヤリタイヤ
登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

丘陵公園の紫陽花

2013年06月25日 | インポート
先週の後半は雨の日が続いて思うようにウォーキングが出来ませんでした、スリランカ旅行やその準備やらでこのところ少し怠け気味です。
7月の山行きをどうするか迷っていますが、先ずそれ以前に体調を万全に心がけなくてはと、梅雨の晴れ間をみて日曜日から2日続けて丘陵公園でアップダウンの道を歩いて久しぶりに汗を流しました。
画像




画像




画像




コースの途中に紫陽花園があります、今が丁度見頃で鮮やかな色で咲いていました。
                       マリンブルー
画像




                       ハワイアンブルー
画像




                       パリ
画像




画像




                       フラミンゴ
画像




                        シュガーホワイト
画像





ウォーキングコースの途中の林の中に白い花が咲いている木が有りました、ガク紫陽花の様な花ですが葉が紫陽花の葉とは違っていました、ひとまず写真に取って来ました。
家に帰って調べたら「ノリウツギ」のようです、たしかに葉はウウギの葉のようですです、ウツギは色々な種類が有りますがほとんどのウツギは植物の分類上で○○科ウチギ属ですが、このノリウツギはアジサイ属でした、花の様子はウツギ花よりガクアジサイに近いように思います。
画像




「ノリウツギ」の名は、この木の根の樹液を和紙を漉くときの糊にに使用したのでその名がついたようです。
画像




花の咲き方は絵になる様な趣が有ります。
画像




画像




これはマユミの花の蕾です、秋には綺麗な実を付ける事でしょう。
画像




春に梨の花が綺麗に咲いていましたが、青葉の陰に小さな梨の実が着いていました、山ナシ(石ナシ)でしょう、山ナシは実が小さいうえに石ナシと呼ばれるように堅く食用にはなりませんが、おそらく私たちが食べているナシはこのナシを新種改良したものだと思います。
画像




日中は歩くのが暑いので夕方の5時頃から歩きます、この時期は日が長いので帰る時間の7時前でも日没にはなりません、市街地の先の日本海が夕日に輝いて「天使の梯子」と呼ばれる光芒が幾筋も見えます。(コンデジの撮影で光芒がはっきりと写せませんでした)
画像


ご訪問ありがとうございます。







スリランカ紀行ーオート三輪車、象の孤児院、他

2013年06月22日 | インポート
スリランカに来てからどこの街に行ってもオート三輪車が良く走っています、インドで生産した物を輸入しているようです。
ほとんどの地元の人の脚は乗り合いバスですが、観光客や地元の人でも特別な場合にタクシーを利用するらしいのですが、タクシーは大きなセダンやワンボックス型の車を使っていて料金も高いので地元の人は三輪タクシーを利用しているようです。。
三輪車のタクシーはトリィルウイラーやテゥクテゥクと呼ばれているようです、タクシーメーターも付いていないので乗る前の価格交渉次第らしいです。
画像




画像




後部座席が客席ですが2人ぐらいが(詰め込めば3人)乗れそうです、ドアはありません、後部座席の客用に足元だけの覆いが付いているようです。
画像




画像




宝石店を見学した時に店舗の前に停まっていたのでしっかり見せてもらいました、軽い車体でホイルも小さく(12吋?)、おそらく2サイクルの360ccぐらいでしょうか。?  (日本に帰ってから調べたら排気量は200ccらしいです)
画像




ハンドルは棒ハンドルでバイクのようです、日本でも子供の頃に走っていたオート三輪で棒ハンドルの物が有りましたので懐かしさが湧いてきました。(歳が解ってしまいますね)
画像




裏通りのあちらこちらで客待ちをするテゥクテゥクが止まっています、走っている姿を撮影しょうとしていると走っているオート三輪がスピードをおとして寄ってきます。
ほとんどのドライバーは車を持たずにオーナーからリースで借りてガソリン代と日当を稼いでいるらしいです。
画像




画像




その他の車事情は日本の中古車が多いですが韓国の車も少し走っていました、日本の中古車の車体に書いてある看板を消さずに使うのがスリランカ流らしいです、観光地のホテルの名前を書いたマイクロバスやトラックには○○県の経済連の看板もありました。
見覚えのある福○通運のトラックもいましたが実際に福○通運が海外進出しているのかな?。 
画像




車の話はこれくらいにします、スリランカには野生の象が生息しています、多い時には2万頭生息していたようですが現在では5千頭に激減しているそうです。
今回の旅行中に野生の象を2回見ています、一回は湖の浅瀬で水浴びをしていました、もう一回は熱帯雨林の中の道路をバスで走行中に林の中から道路に出てきた象を目撃しました。
旅行の最終日に「象の孤児院」を見に行きました、親とはぐれた象や怪我をした象を保護して飼育している施設です、林を切り開いた広い場所に多数の象が群がっています、一部の象は鎖で繋がれていますが、ほとんどの象は放し飼い状態でした。
画像




画像




生まれて間もない小さな象が二頭いました、2~3日前に親とはぐれて保護されたようです、私たちの行った時にミルクを飲ませていました。
画像




画像




象の孤児院の象が一日に一回、川に水浴びに連れて行く時間です、私たちがショッピングをしていたら街の通りを象がゾロゾロと行列をつくって川に向かって行きました、通りに出ないようにとガイドさんの注意が有りましたが、目の前の大きな象の行進を見ていたら少し怖かったです。
画像




画像




画像




画像




川で気持ちよさそうに水浴びをしています。
この施設の象は成長したら野生に帰す予定でしたが、現在までに一頭も森に戻していないそうです、この国では象は神聖な動物とされているので寺院で飼育されたり外国に親善のためにプレゼントとして贈られたケースは有るようです。
画像




画像




画像




画像




象の糞から紙を造っている所を見学しました、表通りに糞から造った商品を販売する店舗が有ります、奥には実際に糞から紙を造っている工場が有りました。
テーブルの上の左側が象が日常食べている葉や幹、バナナの木の皮です、いずれも繊維が沢山含まれている餌です、右側は象の糞から取り出した繊維です。

外のドラム缶で象の糞を加熱していました、8時間ほど加熱してバクテリアを殺した後に水でさらして繊維だけにするそうです、繊維は植物性ですので臭くなかったです。
画像




砕いた繊維に石灰を混ぜて紙すきをしています。
画像




出来た製品を販売しています。
画像




画像




お土産のメモ帳を買ってきました、臭いを嗅いでも臭くないです。
画像




スリランカではろうけつ染めの生産も盛んなようです。
販売する店舗には色とりどりの商品が並んでいます、プリント生地との違いは裏側も同じ模様です。
画像




画像




デザインに沿って融けた蝋を手際よく塗っていきまし、多色染めの場合は何工程も掛かるようです、お値段は少し高かったですが、それでも日本で造ったらその何倍にもなると思います。
画像




この建物はコロンボ国立博物館です、博物館の展示物の中から心に残った古い時代の仏像を紹介します、日本の仏像とは違った趣が感じます。
通常は館内は撮影禁止ですが入場料のほかに撮影料を250ルピー(約¥210)払って撮影しました。
ビデオ撮影は写真撮影よりかなり高かったように思います。
画像




画像




画像




画像




画像




画像




画像




画像




前のキャンディ偏の最後で紹介している仏歯寺で毎年8月に行なわれているペラヘラ祭りの映像です、飾り付けた象の上には仏歯寺に安置されている仏陀の歯が入った厨子を乗せて練り歩くそうです、この時期はキャンディの街は観光客で大変込み合うようです。(映像はヤフー検索画像より)
画像




画像
スリランカ紀行もこの記事を以って終わらせて頂きます、拙い記事で分りにくかった事をお詫びします。

最後までご覧いただきましてありがとうございます。












スリランカ紀行ー古都キャンディ偏

2013年06月19日 | インポート
スリランカの文化三角形の一角の古都キャンディに来ました、キャンディはシンハラ王朝(1469~1815)の最後の都です、スリランカの中央高地に位置し、海抜は465mの高地に有ります。
都市は旧王朝の行政府とキャンディ湖(人造湖)の周りに開けています。
湖水の近くから山手の豊かな緑の中に建物が広がっています、ここに来て初めに感じたことは緑の豊かな事に驚きました。
画像




画像




画像




画像




ホテル前の道路、朝のラッシュには車があふれています。
画像




スリランカには信号機も道路標識もありません、ラッシュの道路を渡るには馬に乗った警察官の手信号に従って渡ります。
ラッシュの車の中で警察官の乗った馬は驚く事もなくじっとして身動きしません、実によく馴らして有ります。
画像




画像




交通警察官は馬の乗って道路をパトロールしています、パトカーならぬパトホースでしょうか、優雅なものです。
画像




私が宿泊したホテルです、世界遺産として保存されていてイギリスの植民地時代の面影を残すクラッシックな佇まいです。
築160年でもともとは総監の大邸宅だったようです。
(ホテルの外観はヤフー画像より、撮影しようとしたのですが車が多く道路を渡れませんでした)
画像




キヤンディーの旧市街は世界遺産になっています、宿泊したホテルも世界遺産の保存建物です、ホテルの入り口に掲げられていた世界遺産の表示です。
画像




ホテルのロビーの様子です、イギリスの植民地時代の面影を残すクラッシクな雰囲気です。
画像




画像




エレベーターの扉も手動式で懐かしい、降りたら扉をしっかり締めないと他の階でボタンを押しても動かない。
画像




階段の様子も古い時代の<雰囲気を残しています。
画像




画像




画像




画像




スリランカの物産で最も有名な物はセイロン時代から紅茶です、今日は紅茶の産地をバスで見学に行きます。
紅茶は高地の山岳地帯で生産されています、スリランカの中央高地の海抜1000m以上の高地は熱帯に有りながら冷涼な気候でそこで生産される紅茶は最高級の品質で評価されています。
山へ向かう途中の見晴らしの良いレストランで景色を見ながら昼食をいただきました。
画像




画像




テラスから見える景色です、熱帯雨林に降った雨は谷を滝となって流れています、この辺はあちらこちらに滝が見えます、水の豊かな国です。
画像




日本の古い農村を思い起こさせる棚田の風景、仏教を信仰して稲作に励み、日本人のルーツと共通する所を感じました。
画像




画像




画像




山岳地帯にさしかかると山の斜面には紅茶の畑が広がっています。
画像




バスの車窓から紅茶を摘む人たちが見えましした。
画像




右を見ても左を見ても紅茶の畠が続きます。
画像




紅茶工場のテラスから見渡す山肌には一面に紅茶畑が広がっています、山全体では大変な数の茶の木をよく植えたものだと感心しました。
画像




画像




画像




茶葉の乾燥機、長いコンベアが何本も並び茶葉が厚く乗せられ、下から空気が吹き付けられて乾燥される、この後に焙煎の工程になる。
画像




画像




出来上がった紅茶は紙袋に詰められて世界中に輸出される、スリランカの外貨獲得の主要な産物です。
画像




茶畑の山からキャンディに戻ってきました、キャンディアンダンスを観賞しました、野性的なドラムの音が響き民族舞踊が情熱的に演じられました。
画像




画像




画像




魔よけの面?を付けて激しいリズムに合わせて踊ります。
画像




画像




お終いにキャンディでもっとも有名な仏教寺院が仏歯寺です、仏教徒であるシンハラ人にとって、仏陀の歯を安置する仏歯寺の存在は、民族の最高の象徴だと云われています。
信者の方がお供えの蓮の花をもって多数訪れていました。
画像




画像



スリランカ紀行もこれで4作目になります、いつもご訪問を頂き気持ち玉を沢山頂き感謝しています。

次の5作目で私の今回の旅行で見てきたものはほとんどが記事になります、次で終わりにしたいと思います。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。







スリランカ紀行ーボロンナルワ偏

2013年06月16日 | インポート
紀元前5世紀にシンハラ人の祖先に当たる人達が北インドから移住して王国を作りました、王都はアヌラーダプラにおかれました。
11世紀に南インドのチョーラ朝の侵入により王都を放棄してここボロンナルワに王都を移動した。

ボロンナルの世界遺産、ワクォードラングルの遺跡
11世紀に造られた、四辺形の城壁に囲まれた12の建物がある。
建物は保存状態が悪くかなり傷んでいた、こんな貴重な人類の遺産を大切に保存したいものです。
画像




ワタダーゲは円形の仏塔の遺跡です、中に入ると仏像が安置されています。
画像




四方に入り口にはガードストーンとムーンストーンの仏像彫刻があります。
画像




アタダーゲ、仏歯寺院の跡、釈迦の歯を納めた寺院、かつて石柱の上に木造の建物があったようです。
画像




サトゥマハル、プラサーダ、7階建ての仏塔の遺跡です、タイから来た建築家によるものと伝えられています、創建当初は外壁に装飾の彫刻や像が有ったようですがはげ落ちて無残な姿に見えますした。
画像




カルポタ、石に書かれた古代の本、ニッサンカマーラ王の時代に造られた、その頃の出来事や歴史が書かれている、幅1.5m、長さ9m、厚さ45㎝です。
画像




世界遺産、ランカティラの遺跡、13世紀に建てられた、高い壁面に囲まれた巨大な寺院の中に頭部のなくなった15m程の石仏が立っている、現地ガイドの話によると仏像を立てた時に首に宝石を入れてあったので壊された様です。
画像




画像




壁面の彫刻です。
画像




発掘した遺跡に木の根がからみついています、保存をしないと遺跡は土の中に埋もれて行きます。
画像




世界遺産、ガル、ヴィハーラはスリランカで一番の魔崖仏です、自然の岩に3つの石像が彫られています。
画像




瞑想中の仏陀の像、諸欲を捨てて瞑想する仏陀の表情は穏やかで印象的でした。
画像




こちらの立像は涅槃に入った仏陀の傍らで一番弟子のアーナンダが悲しんでいる姿と云われています。
画像




仏陀の涅槃像です、全長が13mの穏やかな表情の涅槃像です。
画像




世界遺産、聖ダンブッラの黄金寺院、高い岩山の上に黄金の仏陀が像がある、スリランカ最大の石窟寺院です、
画像




岩山の階段を約15分ぐらい息を切らせて登った所に洞窟寺院が有る、五つの洞窟が有り、各洞窟には涅槃仏や無数の仏像が安置されている、極彩色の天井絵は仏陀の物語が書かれていると云う。
画像




洞窟寺院の入り口です、入り口は狭く内部はかすかな照明だけです、仏像を見ていると異次元に引き込まれそうな錯覚をおぼえた。
画像




画像




画像




画像




画像




画像




スリランカの食事はレストランやホテルでは基本的にバイキング方式です、下の写真は昼食時のレストランです、料理を温めているステンレスのお鍋が並んでいます。
スリランカは紅茶が有名ですが宝石の産出やスパイスも並んで有名です、料理は18種類のスパイスを調合したカレー味になっています。
熱い国ですので辛いものが食欲増進に良いのだと思います。
画像




ライスは赤米と白米が有ります、インディカ米でバラバラとしていて粘り気が有りません、スプーンで皿に取るときもスプーンにライスがほとんど付きません。
画像




カリフラワーをカレー味で煮込んだもの。
画像




骨付きチキンと野菜をカレー味で煮込んだもの。
画像




これは何かは覚えていませんが味付けはカレー味だと思います。
画像




バナナ(青バナナ)をカレー味で煮込んだもの。
画像




ナスや筍、色々な野菜をカレー味で煮込んだもの。
画像




若いヘチマをカレー味で煮込んだもの。
画像




その日の私の昼食です、赤米のライスと5~6種類のカレーを食べました、なかには特別に辛いものも有ります。
朝、昼、晩がこんなスタイルです、魚の料理が増えたりその他、幾種類かの料理が出ますが基本的にはカレー味の料理です。
辛さのせいか滞在中は食事は美味しく頂けました。
朝はカレー料理のほかに、パンとウインナソーセージ、ベーコン、卵料理(オムレツ、目玉焼き)が有ったので日本の日常の朝食スタイルでした。
写真は写してきませんでしたが、朝食に水牛のミルクで造ったヨーグルトが程良い酸味で美味しかったです。
画像




フルーツはここで採れるパパイヤやマンゴーが完熟で美味かった。
画像




この果物は初めて見ました、食べてみましたが酸味が強かった。
画像




私が皿に取ったフルーツはパインと小さなスイカの様な果物、それにスライスすると星形になるスターフルーツです。
画像




仏前の献花にに使われる現地では蓮の花と呼んでいるようですが、睡蓮の花に近いです。
画像




洞窟寺院前の池に咲いていた蓮の花。
画像




スパイスガーデンに咲いていた花?。
画像




これもスパイスガーデンのレストラン前で見ました、勾玉形で何かを思い出しませんか、私も見た時は分からず帰ってきてからネットで調べたら分かりました、カシューナッツでした。
画像


これでボロンナルワ世界遺産地区の紀行は終わります、午後には古都キャンディーに移動します。

長い記事を最後まで読んで頂いて有難うございます、スリランカ世界遺産探訪紀行もあと2回ほど続く予定です、遺跡の見学は終わりその他のスリランカの様子を記事にします。







スリランカ紀行ーシギリヤロック偏

2013年06月12日 | インポート
スリランカの文化三角形の一角に世界遺産のボロンナルワ地区が有ります、そのボロンナルワの遺跡のなかでとりわけ有名なのがシギリヤロックです、今回の旅行のハイライトでもあるシギリヤロックの紀行記事を書きます。               
            (シギリヤロックの空撮画像はヤフー画像より)
画像


シギリヤを語る際に狂気の王と呼ばれた「キャッサバ王」の話は避けて通れません。
父ダートセナー王の長男がキャッサバ(母親は平民)、次男がマガラーナ(母はシンハラの皇女)です、長女は軍の司令官のミガーラに嫁いでいます。
身分の低い母の子のキャッサバは王の跡目を継ぐ事が出来ないと思って従兄弟のミラーガと父親のダートセナー王を撃って王座を奪いました
弟のマガラーナはインドに逃げました、キャッサバは弟の復讐を恐れて都をアヌラーダプラからシギリアに移しました。キャッサバ(在位470~488)が王になってから7年目にシギリアロックの上の宮殿が完成しました。

シギリヤ遺跡の入り口の階段を登る。
画像


熱帯雨林を切り開いた遺跡が一面に広がっていました、水路を配して自然の落差を利用した噴水が有る建物跡や僧院の後の遺跡が続いていました。
画像




シギリヤロックの宮殿に向かう一直線の道路の左右にはほぼ対称的に遺跡が集まっています、四角に囲った僧侶の沐浴場の後も発掘されていました。
画像




今回の旅行で一番期待していたシギリヤロックが目の前に迫ってきました、いよいよこの頂上に登るかと思うと胸が躍りました。
画像




画像




タイミング良く遺跡でシギリヤが都の頃の時代の映画のロケが行われていました、当時はこのような衣装を着ていたのでしょうか。(クリックした大きな画像にしてみて下さい)
画像




画像




画像




画像




真っ直ぐに伸びた都大路をシギリヤロックに向かって進む、両側には遺跡が広がっています、当時はさぞかし凄い都だった事でしょう、当時が偲ばれかす。
画像




画像




いよいよシギリヤロックの入り口です、ガイドの説明によると上までの階段がおよそ1200段あるそうです。
階段を登り始めると現地の人がうっとうしい程付きまとう、登る手伝いをすると言うのだが親切心ばかりではない、現地ガイドによると下山後に金銭トラブルになるケースが有るので、不必要なら「ノー」ときっぱりと断るか最初に金額を決めておくことが大切なようです。
画像




画像




大きな岩が二つが門のように重なっている間の階段を上って行きます、大きな岩の迫力を感じます。
画像




上に向かってひたすらに登る。
画像




画像




画像




この辺に来るとさすがに息がはずんで踊り場で一息入れて昇る、長く休んでいると皆とはぐれるので頑張って登る、上に行くと鉄製の階段もありますが、石の階段は当時のままで1500年の年月がたっても石組がずれる事がなく立派な物です。
画像




画像




鉄製の階段の先に崖の中腹の洞窟までの螺旋階段が有る(奥の付きあたり)
画像




下から写した画像で下のレンガ色に見えるのが通路階段の蔽いです、そこから上の洞窟に登り用と下り用の2本の螺旋階段が見える。
画像




螺旋階段を登った先の洞窟には「シギリヤレディー」と呼ばれているフレスコ画が有ります、調査では当時は500体のフラスコ画が有ったようですが、現在確認出来るものは18体のみです。
フラッシュ禁止で薄暗い洞窟の中でよく映りませんでしたが比較的綺麗な画像を映してきました。
1500年の歳月を経て綺麗な彩色で微笑みかける「シギリヤラディー」に感動しました。
普通では登ることが出来ない岩の中腹の洞窟に何のためにどのようにしてフレスコ画を描いたのでしょう。
画像




画像




画像




画像




画像




フレスコ画の洞窟を螺旋階段で下りて階段を上った所に中段の広場があります。
画像




ここから上の宮殿に登るにはライオンの脚のあいだの階段を登ります、1500年前の姿がそこのあります。
画像




階段はジグザグに頂上へと延びています、登る人の列がアリの行列のように上へ伸びています。
画像




ついに頂上につきました、頂上には王が沐浴を楽しんだ水槽や舞踏場の礎石が当時の宮殿を偲ばせる、ここにたたずんで当時の栄華に思いをはせる、自分の父親を撃って得た王の座をこの宮殿で11年間過ごした王はなにを感じていたんのでしょうか。
この宮殿を完成させるのに7年間の歳月を費やしたようですが、宮殿は大理石造りの建物だと云われています、石材はどのようにしてこの岩山の上まで揚げたのでしょうか、当時の苦労がしのばれます。
画像




画像




画像




上から当時の都大路を望む、一直線に伸びた道路の両側には僧院や王に仕える人達の屋敷が並んでいたことでしょう。
画像




見渡す限り360度の展望です、後ろに目をやると果てしなく熱帯雨林のジャングルが続いています。
吹く風は階段を登って汗ばんだ肌に実に心地よい、当時の宮殿で王もこの風に吹かれて心安らかな日を送る事が出来たのでしょうか。
画像




画像


王が恐れていた弟のマガラーナはインドより大群を連れて帰ってきました、当然キャッサバ王と戦いになったのですが、王の戦士が逃げというデマに惑わされてキャッサバ王は自分で築いたシギリヤロックの宮殿で自害してその生涯を閉じ、キャッサバⅠ世の在位は18年で終わりました。

今回のツアーで一番興味が有って楽しみにしていたシギリヤロックですが期待通りの素晴らしい所でした、遺跡を見ても日本人と同じ佛教の世界ですのですべての事が理解しやすかった。

道で行き交う人の中には親しそうに微笑みかけてくる人が多い、特に小学生や中学生の子供が手を振って微笑みながらあいさつしてきます、現地のあいさつで「アユーボーワン」(AYU BOWAN)と、胸で合掌して「アユーボーワン」の挨拶は目出度い時も葬式の時もすべての時に通ずるシンハラ語の挨拶だそうです、仏教の国の親しみを感じました。
現地ガイドさんの話ですが親しそうに話しかけてくる人の中には少数の悪い人もいるので注意するようと言う事です。
バスの窓から親しく手を振って挨拶をする小学生。
画像


             (スリランカの国花、ブルーロータスの花)
画像


最後まで目を通して戴いて有難うございます、ボロンナルワの遺跡の記事やスリランカ事情の記事を引き続き書きます。