go の let's goシニア

リタイヤ・・何でもヤリタイヤ
登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

そばの花ー五十谷(ごじゅうたに)の大杉

2020年09月14日 | インポート
9月上旬なると秋そばの花が一面の白く咲く風景が見られる時期となり
ました、先週、そばの花をいつも見に行っている白山麓鳥越の三ツ屋野
地区のそば畑を目指して出かけました。
ところが毎年写真を写しているひろい面積のそば畑が今年はそばが未だ
成長していなくて花が咲いていませんでした、例年11月10日前後に開催
される鳥越新そば祭りは新型コロナの蔓延防止で中止になっていますので
その影響もあるのかな、と思ったりしました。
目的の場所のそばの畑の撮影はできませんでしたが、近くに丁度良くそば
の花が咲いていたので何とか撮影できました。








そばの花を写した後に時間があったので五十谷八幡神社の大杉を見に
行ってきました、そばの花を写した三ツ屋野地区は手取川沿いですが
五十谷八幡神社は手取川の支流の大日川沿いにあります、その大日川
の支流沿いに県道より約5キロぐらい入ったところにあります、周囲
の集落は空き家が多く限界集落の様です。
五十谷八幡神社の社史によると創立の年代は不詳であるが、往古村民が
大杉に巣くった鷹を取って領主に差し上げ褒賞を与えられた。
村民は神仏の加護によるものと大いに喜び、仏体安置したのを起源とする。
八幡社と称したが、昭和20年10月6日八幡神社と改称した。
境内に巨大な杉があって、五十谷の大杉と称えている。





切り株の上にカメラを置いて自動シャッターで写しましたが、人物と
比較して杉の木の大きさがわかります。
周辺のブナなどの薪炭林の中にあり、焼き畑などで切られずに生き
残ったことは奇跡です、推定樹齢は1200年といわれています。














枝は3mほどの高さで3本程すでに切られていますが、その下の枝が垂直
方向を下に延び土に入って離れた場所で地上に延びています。






この大杉を見に3度ほど足を運びました、いつ来てもその大きさに圧倒
されます、昔は人生50年といわれた時代もありましたが、現在の平均
寿命との中間をとって仮に60年とすると人間の20代分の1200年
もの間を風雪に耐えてきたことに敬意を表します。
そばの花を目当てに来たのですが五十谷の大杉を見て、今回のドライブ
は大杉がメーンになったようです。
いつも気まぐれな話題を読んでくださってありがとうございます.今後
も宜しくお願いします。






歴史街道をゆく

2020年09月05日 | インポート
コロナの蔓延で外出を控えておりましたが、日常は近くのスーパーに行く
以外は車の運転をしていませんので、運転感覚を取り戻すために久しぶり
ドライブに出かけました、以前に行ってブログにもアップしていますが、
倶利伽羅峠の旧道をたどってみましたが、まだ行けていない越中側の登り
口の埴生口に最初に行くことにしました。
ここ埴生は倶利伽羅峠の越中側の登り口になります、源義仲(木曾義仲)
が木曾で兵をあげ平安京を目指しておりましたが、倶利伽羅峠に陣を構
える平家の平維盛を総大将にする大軍を前にここ埴生に陣を構えて八幡
神社に戦勝祈願をしたと伝えられています。

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P1260364 posted by




源義仲(木曾義仲)の大きな銅像がありました。


八幡神社の脇参道より上の本殿に登りました。


八幡神社の本殿です。


埴生口から峠に登ってみました、街道沿いの茶店の跡です。


茶屋の跡に十辺舎一九が詠んだ狂歌が彫られた石碑が立っていました、
「商いに利生ぞあらん 倶梨伽羅の 不動の前の茶屋の賑わい」
(たいへんおはやりなされています、あらたかな不動様でありますので
 このように賑わっています)




源平の戦いの犠牲者を弔った石碑です。


「義仲の 寝覚めの山か 月かなし」芭蕉が詠んだ句の芭蕉塚。





猿が馬場の平家の本陣跡です、(2011-12月に撮影したものを使いまし)








火牛のモニュメントです、倶利伽羅峠を埋め尽くした平家軍が寝静まった
夜間に牛の角に松明を結んで追い立てた、敵の奇襲と思って平家軍が慌てて
敗走したと伝えられています。


旧北陸道の一部が残されています、この道を芭蕉や越中の国守りに任命
された大友家持や越中の掾(じょう)を務めて後に丹生(福井県)の
掾に転属した大友家主がこの街道を行き来したのです、想像すると歴史
を感じます。



万葉集の巻19に載っている砺波山の霍公鳥(ほととぎす)の詩
石碑に刻まれていました。






家を出てから3時間ほどのドライブでしたが最近、家にこもってばかり
でストレスがたまっていたので久しぶりのドライブで気も晴れました。
埴生八幡や倶利伽羅峠も訪れる人もなくひっそりとしていましたが
はるか昔の歴史に思いをはせる充実した時をすごせました。
以前の記事です。
倶利伽羅峠、歴史街道を行くー(1)

倶利伽羅峠、歴史街道を行くー(2)

お時間がある方はご覧ください。