go の let's goシニア

リタイヤ・・何でもヤリタイヤ
登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

一足早い忘年会

2016年11月28日 | インポート
師走には一足早い11月の最終土曜日の26日に三線教室の有志仲間で忘年会をしました。
三線教室の忘年会は金沢の小さな割烹を貸切で三年ほど前からこの割烹で行われていましたが、私が参加するのは今回が初めてです。
お酒が飲んだら運転が出来ないので久し振りにバスで出掛けましたが、集合時間には少し早かったので、一つ手前の香林坊でバスを降りて散歩がてら歩きました、街中はクリスマスや年末を前に電飾で賑やかでした、人の流れは土曜日にしては少ないようでした。

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今回は師匠が明日のステージの打ち合わせの為に残念ながら不参加でした、それでも生徒さんが15名参加して盛り上がりました、宴会が始まると三線やギターを演奏して賑やかな宴会になりました、グラスを高々上げてBEGINの"オジー自慢のオリオンビール"を全員で歌っているところです。
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二胡を上手に演奏される生徒さんが演奏を聞かせてくれました、二胡は三線にはない魅力的な音色で素晴らしかったです。
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三線の演奏に合わせて踊りも加わって賑やかでした。
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能登の七尾から通っている生徒さんからの差し入れで、板前さんにお願いして特別メニューを作って頂いた、シシ鍋(牡丹鍋)は寒いこの季節には最適な美味しい一品でした。
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本日のメーンのカニが出てきました、金沢では雄ガニをズワイガニ、雌ガニをコウバコガニと呼んでいます、地元の人はコウバキガニを好んで食べる習慣が有ります、価格が手ごろなこともありますが、お腹に抱いている卵や甲羅に入っている背子(せご)が特に美味しいです、ここのコウバコガニは食べやすいように綺麗に調理されていてとても美味しかったです。
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来る時に雲行きが怪しかった空が、お開きになった頃には雨が降り出しました、有志がタクシーに分乗して二次会の沖縄料理の店で三線入りで歌って楽しい時間を過ごしました。
私は三線教室の生徒の中では最年長者ですが、若い皆さんのお仲間入りさせて頂いて有意義な時間を過ごすことが出来ました、これからも若い人たちの会話の中に積極的に入って行けるようになりたいと思っています。

御訪問ありがとうございます、なおコメント欄は閉じさせていただいています。







晩秋の山之村へ(PART2)

2016年11月22日 | インポート
旅行日11月7日
神岡から県道484号(神岡停車場線)を登って伊西峠のトンネルを抜けると山之村に入ります、峠を越えてジグザグと続く道を下った先が山之村の郷です。

岐阜県の最北端の富山県境に位置するこの地域は標高820m~1100mの高原盆地になっていて、この高原に点在する七つの集落を総称して通称山之村とよばれています、実際は地図上に山之村という地名は記載されていないので、「地図に無い村」,「天空の里」などと言われています。
構成する集落は、森茂(もりも)、下之本(しものもと)、伊西(いにし)、和佐府(わさぶ)、打保(うつぼ)」、瀬戸、岩井谷。

標高1000m前後のこの里を、桑崎山、天蓋山、大鼠山等の1500m級の山々に囲まれた盆地の山村集落です、真冬は2mを超える雪に閉じ込められる豪雪地帯で、11月から5ヶ月間はは白い世界が広がります。
半世紀前まで七集落で百数十軒の住居が有ったようですが、住民の高齢化により平成22年の統計では67軒に減少しています、現在ではもっと減少しているかもしれません。
農道を行くと、かつては水田だった所が耕作放棄されてススキや雑草に覆われていました。
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ススキや雑草に覆われた原野に山を背にした住宅が点在します、昔は一面に水田が広がっていたのでしょうが、住人が居なくなったかあるいは高齢化によって耕作を放棄したのでしょう。
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かつては水田がひろがり、雪融けと共に農作業に精を出す人が居て、子供の声も響いていたことでしょう、悲しい事ですがこれが現在の日本の山村風景の様です。
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ススキや雑草に飲み込まれそうになっている住居は廃屋でしょうか。
山之村の歴史は700年と長いようですが、特に戦後の食糧難の時代に額に汗して原野を開墾して食料を確保して、子育てをした里が役目を終えてまた元の原野に戻ろうとしています。
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郵便局とJAの売店が有りました、映像では影になって見えませんが給油機が一台のガソリンスタンドが横にありました、観光客の為の売店は道の駅や山之村観光牧場にありますが11月中旬で閉店です、その他の住民の為の売店は一軒も見当たりませんでした。
現在では大規模林道が開通して真冬でも自動車が走りますが、その昔は冬の間は自給自足の生活を余儀なくされていたようです、現在でも高齢者は自動車を利用して神岡まで買い物に行けないので恐らく移動販売車が回ってくるのではないかと思います。
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集落の中心部には水田や野菜畑が残っています、住宅の周辺には自給自足の菜園を耕作している家が目だちますが人影は見当たりませんでした、この季節は農作業も終わったのでしょうか、大根の収穫している人を一人だけ見ました。
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村の鎮守の神明神社です、モミジの紅葉は綺麗でしたので写してきました、昔、祭りの時に来て神楽を見た事が有ります。
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七つの集落を隔てる峠や農道は紅葉の盛りを過ぎていました。
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飛騨地方独特の「板倉(いたくら)」は壁などの構造材をすべて板で造った蔵です、どこの農家にもこの板倉を備えています。
この板倉は組合の倉庫でこんなに大きな板倉はここだけです。
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現在の山之村では2~3軒になってしまった昔ながらの藁ぶきの民家です、農山村の原風景を色濃く残しています、山之村は2009年に朝日新聞社と森林文化協会の「にほんの里100選」に選ばれました。

雪融けの春には小鳥が飛び交い、水辺には水芭蕉が咲き、野辺には山菜が芽吹きます、5月には桜が満開になります。
私が最初に来た頃は耕作放棄地もなく、豊かな田園や畑が広がっていて、峠を越えてこんな山奥に豊かな自然と共存している桃源郷のような郷が有って驚きました。

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水田や住居の周りに猪や野生動物除けの電気柵がここかしこに張り巡らされていました、山之村に来て電気柵が張っているのを見たのは今回が初めてです。
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遠くの山には初雪が降って、この里も雪に閉ざされる日も近いようです。
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山之村で一軒だけのロッジでした、昔、祭りの夜に宿泊した事が有ります、神岡の高原川で落ちアユを沢山釣ってきて、このロッジの囲炉裏で焼いて食べた事が思い出に残っています、女将さんがなくなってから営業はしていないようですが、新装してから暫くで休業して残念ですね。
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左の道が飛越トンネルを経由して有峰湖に通じる道です、右は神岡停車場から打保に通じる県道の終点になる打保集落へ行きます。
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山吹峠に向かう沿線の牧場には放牧の牛もいなくなって白樺の木だけが寂しげに白い梢をさらしています。
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大規模林道の山吹峠を越えて帰りました、峠を越えると左側に北アルプスの笠ヶ岳が見えます、いつもの年ですとこのシーズンは真白に雪化粧をした笠ヶ岳が見えますが、今年は筋状に白い雪が見えました。
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峠を越えて降りてきたら紅葉の色も鮮やかになってきました。
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これから後ろは1995年10月末に訪れた時に写した画像です、アナログの画像をデジタルに変換しました、笠ヶ岳が新雪で真白に雪化粧をしていて綺麗です。
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この藁ぶきの住居が記憶に残っていて撮影したくて探したのですが見つかりませんでした、すでに取り壊したのかもしれませんね。
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逆光の唐松の木が後ろからの光に輝いています、こういう光景がすきです。
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キャンプ場の近くの雑木林です、晩秋の斜陽に照らされた雑木林が見違えるような光景が変ります。
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大根の取り入れです、冬の保存食にするために凍み大根にします。
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冬はマイナス20℃になる気候を利用して湯がいた大根を屋外で凍らせて凍み大根を造ります、こうすることにより、一年中に保存が出来ます。(画像はヤフー画像よりお借りしました)
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凍み大根の完成品です、ぬるま湯でもどして使います、こうや豆腐の大根版です、煮ると味が染みいってとても美味しくなります。(画像はヤフー画像よりお借りしました)
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童謡の故郷の廃家をユーチューブでお聞きください。











何年かぶりに山之村の晩秋の光景を見る事が出来て満足しています、が、衰退してゆく山里の光景を見るのが寂しい気がします、これが自然の摂理でしょうか、大自然の中の人間の営みは偉大な自然の流れと比べたら、ほんの刹那にすぎないでしょう。

前の記事に続いてお読みいただいて有難うございます。
(本文を書くにあたり 「天空の牧場山之村」の記事を参考にさせていただきました)






神岡~山之村(神岡停車場線)ー晩秋の山之村へ(PART1)

2016年11月18日 | インポート
旅行日11月7日
この時期になると標高の高い地域はすでに紅葉が終わって初冬の光景になっていることでしょう。
数えて二十年ほど前には良く訪れていた山之村の事が脳裏からはなれません、その頃は渓流釣りに明け暮れていた時期で、新緑の時期から秋まで頻繁に訪れていました、またこの山之村を通って有峰湖にキャンプをしながら釣りに行った事が何回かあります。
そんな思いでの中で特に山之村の晩秋の光景が印象に残っていて私を郷愁にいざないます。
ここ数年、晩秋にると山之村の晩秋の光景に思いをはせていましたが、行けずしまいで終わっていました。
今年こそは行かないと悔いを残すことになるので思い切って単独で出掛けました。
目的地までは富山まで北陸自動車道で行くコースもあるのですが、急ぐ旅ではないので石川県から一般道の抜け道を最短コースでゆっくりと進みました、ぬけ道から笹津で国道41号線に合流しました、笹津からは国道41号線を走って岐阜県の神岡町の「道の駅スカイドーム」着きました、家を出てから途中の休憩時間を入れて3時間程かかりました、ここ神岡町には神岡鉱山が有って亜鉛や鉛を産出しています、戦後、鉱害でひろく知られているイタイイタイ病の元になった鉱山と云われています。
私が富山からここまで通って来た国道41号線は富山から名古屋に通じていますが、高山までの道を古くは鰤街道と呼ばれて、富山湾でとれた鰤が飛騨に流通した道であったようですが、近年はノーベル街道と呼ばれるようになりました、その由縁は記事の最後に書きます。
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神岡町は公害のブルーなイメージもありますが、飛騨片麻岩の硬い地層の廃坑を利用して、東京大学宇宙線研究施設のスーパーカミオカンデが1995年に完成してノーベル賞の受賞に貢献しています。
道の駅スカイドームにはスーパーカミオカンデの模型のドームが有って見学できるようになっています、私も一度見た事が有りますが今日は早朝で未だ開場していませんでした。
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施設の入口に「ノーベル物理学賞 梶田隆章先生」と書いた看板が出ていました、梶田先生はスーパーカミオカンデ研究所の所長をされています。
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神岡から山之村までは県道484号(打保ー神岡停車場線)を登ります、このルートは全線舗装はされていますが急カーブの連続で気の抜けない道です、道の駅が海抜約450メートルで山之村に抜ける峠の頂上が海抜約1200mですので高低差750mをジグザグな道を登って行きます。

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カーブの続く道を登って高度を上げて行くと紅葉も盛りを過ぎて枯れ葉の色になっています。
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下の景色は霞んでいてはっきりと見えませんが神岡の街が小さく見えます。
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山之村に通じる峠のトンネルは地図上では「山之村トンネル」と記されていますが、トンネルの入り口には「伊西トンネル」とここの地名が書いてありました。
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トンネルを抜けて山之村側に下って行くと、正面に真白な雪を被った北の又岳が見えます。
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広葉樹の葉は散り始めて梢を見せています、唐松も黄葉の細い葉が道路に敷き詰めたように散っています、晩秋の唐松林を見るのは久しぶりです、子供の頃の信州の光景を思い出します。
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しばらく下った所に黄色に色付いたモミジが有りました。
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峠を下って山之村の里につきました、山あいのこの里を巡って晩秋の景色を見て行きます、写してきた映像は次回の記事で紹介します。
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国道41号線(富山~名古屋) ノーベル街道の由縁 (飛越協議会HP「飛越」より)

1)田中耕一さん  ノーベル化学賞 1959年生まれ 高校まで(1959~1978)
            富山市で過ごす、蛋白質等の生体高分子を簡単に特定できる
            手法を開発。

2)利根川進さん  ノーベル医学、生理学賞 小学1年生~中学1年生まで
            (1947~1952)富山県大沢野町(現富山市)ですごす
             多様な抗体を生成する遺伝的原理を解明。

3)横田隆章さん  ノーベル物理学賞 富山市に在住(1995~1999)岐阜県
            神岡町のスーパーカミオカンデで研究に従事
            ニュートリノの「震動」という現象を発見し、ニュートリノの質量
            の存在を実証。

4)小柴昌俊さん  ノーベル物理学賞 岐阜県神岡町(現飛騨市)で実験開始
            (1983~)カミオカンデという巨大な検出装置を設置し
             超新星爆発からのニュートリノを検出。


5)白川英樹     ノーベル化学賞  小学3年~高校3年(1946~1955)
            まで
岐阜県高山市で過ごす、導電性高分子(電気を通す
             プラスチック)を開発。


以上のノーベル賞受賞の方々が富山~高山までの国道41号線の沿線にご縁が有ります、その様な由縁でこの国道をノーベル街道と呼ばれています。






長い記事を最後までご覧頂いて有難うございます、晩秋の山之村の記事は次回に続きます。






那谷寺(なたでら)の紅葉ー小松市那谷町

2016年11月14日 | インポート
先週の中頃は雨模様のぐずついたお天気が続きました、前々から紅葉の時期をうかがっていた那谷寺の紅葉が見頃に色付いたと写真入りで新聞に出ていました、雨模様のお天気も回復した11日の金曜日に行って来ました。
平日ですが加賀温泉郷の近くとあって紅葉見物の観光客が沢山訪れていました。
入口で拝観料¥600/1名を払って山門をくぐりました。
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那谷寺は白山信仰のお寺で養老元年 (717年)に白山を開山した泰澄大師が霊夢に現れた十一面千手観音菩薩のお姿を自ずからお造りになり、洞窟内に安置してこの地にお堂を建立され、自生山岩屋寺と名付けられた。
その後、西国三十三番札所を開かれた花山法皇がこの地を訪れた際に、西国三十三番札所の、第一番の紀伊の那智山と、三十三番の美濃の谷汲山の各一字とって那谷寺と改めました。
北陸には珍しい嶮しい岩山に建つ懸造り(がけつくり)と呼ばれる、岩山にはめ込むように造られた本殿は山岳信仰の原点にならうものです。
境内のあちらこちらに旗が立っていますが、来年2017年は那谷寺開創1300年祭がおこなわれるようです。
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山門をくぐった左側に朱塗りの金堂華王殿と綺麗な苔庭が見えました、お堂の前に紅葉も綺麗に色付いて雨上がりの苔の青さと相まってとても綺麗でした。
金堂は650年前に焼失したが、平成2年に再建されました、通路に大きな丸太が置いてありました、「那谷寺御柱」と書いた立て札が建ててありました。
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両側に綺麗な水が流れる水路を配した参道の石畳は昨夜までの雨で濡れていました。
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参道をしばらく進んだ右手に高台に登る道が有り、案内板によると鐘楼へ登る道の様です、苔むした石段を登ってみました。
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石段を登った先には入母屋造りの鐘楼が有りました、寺院で良く見かける鐘楼とは違って、下がハカマのような石造りの土台の上に和式建築の鐘楼の建物が建っています、内には寛永時代に朝鮮より請来した名鐘が吊るされているそうです。
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高台より見た紅葉と向かいの岩屋に本殿が見えます。
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高台から下る階段より下の紅葉を見ました、雨上がりの紅葉は色が鮮やかでとても綺麗でした。
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園内の通路を辿って紅葉を愛でました、ドウダンツツジやモミジが赤や黄色に色付いて時期的に最高の紅葉を見ることができました。
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園内の一角に芭蕉の句碑が有りました、奥の細道を辿る芭蕉が那谷寺に立ちよった時に読んだうたです、
 ”石山の 石より白し 秋の風” 
俳聖芭蕉が元禄二年八月五日に那谷寺を参拝され奥の細道の記に名句を残しました、昔から秋の風を白風と呼んでいたようです、那谷寺の岩屋の石は白い事で知られていますが、その石山の白より秋の風の方が白い、と詠んでいます、旧暦の八月五日は太陽暦の九月十八日になります、那谷寺を吹き抜ける北風が芭蕉翁には肌寒い秋の風(白風)だったのでしょうか。
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自然の岩を切り開いて石段を彫り込んである道が有りました、岩の上のは見あげる様な高い石塔が立っていましたが山岳信仰でこのような自然の地形を利用して霊場を作ったのでしょう。
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高台に三間四方の三重塔が有りました、四方の壁には唐獅子や牡丹の彫刻がみられました、内には、元金堂にあった鎌倉時代の胎蔵界大日如来が安置されているそうです。
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池の対岸には「奇岩遊仙境」と呼ばれる岩屋が有って、那谷寺のシンボル的な景観になっています、中腹にはいくつかの洞窟が穿たれていて遠目にも石碑が立っているのが見えます。
太古の火山活動で形成された岩石が長い年月の間に波や風雪に洗われて、今日の景観になったようです。
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奇岩遊仙境を見渡せる高い舞台に登ってきました、上からの紅葉と対岸の白い岩屋が一望出来てすばらしい光景でした、雨上がりの紅葉は色が鮮やかで松の緑とのコントラストが素晴らしかったです。
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池の端の門をくぐり石段を登って本殿に参ってきました、岩屋の中腹に建てられ、四方欄干の舞台造りの建物は唐門と呼ばれる建物で岩屋の入口になります、本殿は岩窟内にあり、厨子に那谷寺の御本尊十一面千手観世音菩薩が安置されているそうです。
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帰りは登って来た階段を降りずに唐門の拝殿横の岩屋をくりぬいた道を辿って降りてきました。
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しっとりと雨を含んだ緑の苔の上に赤いモミジの葉が落ちて綺麗でした。
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ドウダンツツジの葉が赤く色付いていました、黄色は何の葉でしょうか、実もついていましたが。
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紅葉の景色を見ながら入口に戻りました。
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期待していた通りの雨上がりの鮮やかな紅葉を見る事が出来て満足しました、今年の秋に見た紅葉の中では時期的の最適な一番綺麗な紅葉でした。









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新蕎麦祭りー白山市鳥越(とりごえ)

2016年11月08日 | インポート
毎年新蕎麦の取り入れ時期に合わせて、鳥越の道の駅「一向一揆の里」で開催されている新そば祭りですが、今年は5日と6日に行われましたが初日の5日に行って来ました。

ここの新蕎麦祭りには3年ほど前からきています、今年はお天気に恵まれた為か屋外のテントが並んだ出店には大勢の人垣が出来て大変な盛況ぶりです。

駐車場は道の駅の駐車場と近くの空き地や農道などを開放して、係り員の誘導も良く案外スムースに車を停める事ができました。
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蕎麦の販売をする店が三店ありましたが、昼時とあってどの店にも買い求める客が長蛇の列になって、どこが行列の最後尾か分からないような混雑ぶりでした。
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蕎麦打ちの実演も兼ねて実際に打った蕎麦をお持ち帰り用に販売していました。
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会場の真ん中の大きなテントの中にテーブル席が沢山用意されていて、買い求めた蕎麦などを食べている人も大勢いました。
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蕎麦粉やそば粉を使ったおやき、トチ実を使ったトチ餅などのほか能登の牡蠣を焼いて販売する店など沢山の店が出ていました。
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蕎麦を販売している店の裏方さんは大忙しです。
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蕎麦打ちを実演している人の見事な手さばきに、つい引き付けられて始めから写してきました。
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新蕎麦を食べたくて新蕎麦祭りに来たのですが、長時間立って長蛇の列について待つのはしんどいので、今日も出店していますが、同じ鳥越の「にわか工房」で蕎麦を食べていこうと会場を後にしました、会場から車で10分そこそこでにわか工房につきました。
やはりこの季節の土曜日とあって、新蕎麦を味わうために大勢の御客さんで満員でした、展示してあります農産物の加工品や野菜などを見ながら30分ほど待ちました。


にわか工房のネットでの説明です。
手打ちそばが体験できる農業体験施設「にわか工房」は、もち・漬物・そばを作る「加工場 」と、そば打ちを体験できる「そば工房」があります。旧鳥越村三ツ屋野地区で収穫された 新鮮な農産物の直売や食材を加工をして製造販売する施設です。

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待っている間に蕎麦打ちをしている部屋をガラス越しにのぞいてみました、大勢訪れるお客さんの為に分業して忙しそうに蕎麦を打っていました、捏ねる人、打つ人、切る人と大忙しです。
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今日私が注文し蕎麦が来ました、「にわかセットの大盛り」です、大盛りになると蕎麦が二人前になる様です。
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薬味の方も大根のおろし、ねぎ、鰹節、ねりわさびがついていました、最初は薬味を入れずに蕎麦の甘みと風味を味わいました、蕎麦二人前を食べたら満腹になりしたが新蕎麦の風味も心ゆくまで味わうこと出来て満足でした。
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蕎麦を食べているテーブル席の外は9月に来た時は一面に白い花が咲いていましたが、蕎麦をとりいれた後の畑は秋の寂しい風景です。
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9月12日に写した映像です、蕎麦の花が一面に咲いていました、その蕎麦が実り、新蕎麦をあじわうことができました。
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まだ取り入れの済んでいない畑の蕎麦は枯れて実が実っていました。
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駐車場の周りに植えられている桜が咲いていました、桜の木に絡んだツルには青い実がぶら下っていました、カラスウリでしょうか?
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私は桜の種類は良くわかりませんが、十月サクラでしょうかね?
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9月12日に訪れてときは、にわか工房の周りは白い蕎麦の花に埋め尽くされていましたが、今は周辺の畑の畦にススキの白い穂が北風にゆれて、すっかり晩秋の風景です。
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御訪問ありがとうございました。