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北前船主屋敷・蔵六園(ぞうろくえん)

2016年03月14日 | インポート
加賀の橋立の蔵六園を見学に行って来ました、橋立は北陸自動車道の尼御前サービスエリアの近くですが、金沢方面からだと片山津 I/Cから、福井方面からだと加賀 I/Cから行くことになります。

現在はカニや甘エビなどの日本海の豊富な海の幸を水揚げする漁港になっていますが、江戸時代中期から明治時代にかけて大阪と北海道を結び日本海で活躍した北前船の船主、船頭、船乗りの集落でありました。、
最盛期には100隻以上の北前船を擁し、寛政8(1796)年には30数名の北前船船主が名を連ねた、北前船で財をなして、大正時代には日本一の富豪村といわれた時代もありました。

今日訪ねる蔵六園は国登録重要有形文化財になっていて、北前船主であった酒谷宗匕郎家の居宅として1870年頃に建築された屋敷です。

正面から見た蔵六園です、後方に山が見えますが屋敷が建っている所は軟岩の岩山を削って敷地にしたようです、庭の植木も岩盤をくりぬいて植えているので庭木の成長は遅いようです。。

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蔵六園の入口です、建物の外壁を保護する為に張られた板は、船の外板を張り替えた時の古い竪板を再利用しています、船の外板は環境に強いので100年以上も経て現在でも風雨に耐えています。
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廊下の隅には山野草がかざられていました。
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オエと呼ばれる母屋です、柱や梁などの建築資材は殆どが欅材を使用して総漆塗の座敷になっています、北前船で巨万の富を築いた船主の贅を尽くした暮らしぶりがうかがえます。
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座敷の棚やテーブルの上には古い焼き物や造り物が並び、アンティークショップも兼ねています、紫檀の輪切りのテーブルが有りました、見学していた観光客と思われる人が、ウン十万もするでしょうといったら、女将さんが一桁上のウン百万はしますよ、といっていましたこれだけの太さの紫檀は世界中を探してもなかなかないそうです。
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オエの中ほどに囲炉裏が切られていて炭火が赤く見えました、この囲炉裏ばたで船主が商売の打ち合わせなどの話をしたのでしょう。
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オエの廊下の大きなガラス越しに見事な庭園が見えます、北前船の重心を安定させるために日本各地から運んできた銘石や石灯篭が並んでいます。
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蔵六園の名前の起源にもなった「亀石」が見えます、亀の甲羅の上には手水鉢が載っています。
蔵六園庭園の由来
蔵六とは亀のことです、手足と頭と尾の六つを甲羅の内側へしまい込むので蔵六と云います。
大聖寺藩主の前田利鬯(まえだとしか)公が庭に亀そっくりの石(自然石)をお目にとめられ、蔵六園と命名されたようです。
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季節がら雛人形が飾られていました、お雛様やお道具飾りは古い時代のものでどれも歴史をかんじました。
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奥の部屋が「藩主御成り」の部屋です、銘木をふんだんに使った内装になっているようです、大聖寺藩の藩主が滞在する時に使った部屋です。
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この御屋敷には七つの蔵が有ります、その内の一つの内蔵です、蔵の中には古文書や美術品が収蔵されていて見学することが出来ました。
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展示されている焼き物は現在では貴重品の古伊万里の銘品の御宝です、他ではなかなか目にする事のない銘品を観賞することが出来ました。
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北前船で使われていた旗印や航海に使ったものが展示されていました。
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遠めがね(望遠鏡)も当時のアメリカ製とスペイン製のものが展示されていました、左下の錆びた缶は樺太工場で造られた日本第一号のカニ缶ということです。
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北前船の模型が飾られていました、船首のそりが強い「ペザイ(弁才)船」と呼ばれる和船独特の形をしていました。
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喫茶室が有りました、お抹茶やコーヒーを飲んでくつろげます、私もコーヒーを頂きしばらく休んできました。
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喫茶室の片隅に山野草や苔を飾り付けた鉢が幾つか展示されていました、春から夏のシーズンになると数多くの山野草が展示されるそうです、展示販売をしているので気に入ったものが有れば購入する事も出来ます。
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一昨年の9月に橋立の北前船の里資料館を見学してブログアップしています、北前船のことや橋立の街のことが書かれています、お時間が許される方はご覧ください。

最後までご覧下さってありがとうございます。



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