17日の水曜日に日本百名山で有名な「深田久弥、山の文化館」に行ってきました。
1913年に一度行ってブロブで紹介しています、今回家族が行くので車に便乗
してゆきました。
山の文化館は明治四十三年に絹織物工場として建てらましたが改装してつくられ
ました、ここでは昭和五十年代半ばまで絹織物が生産されていました。
門をくぐった入り口に大きな銀杏の木があります、この季節は銀杏が黄色く色着
き、地面は散った銀杏の落ち葉が敷き詰められて風情を出しています。
敷地全体が塀で囲まれた歴史を感じるお屋敷になっています、入り口正面の事務
棟と渡り廊下でつながれている石蔵は元々生糸の保管庫として使われていました
が現在は展示室になっています。
深田久弥 1903~1971
登山家であり、山の文学者で知られる深田久弥は加賀市大聖寺に生まれました。
昭和三十九年に発表した「日本百名山」は、読売文学賞を受賞し、登山愛好者
たちだけではなく、多くの人々に愛読され、日本の山の美しさを人々に再認識
させる大きなきっかけをつくりました。
しかし、シルクロード研究や「世界百名山」を執筆中、昭和四十六年三月に
茅ヶ岳に登山中、脳卒中で亡くなりました。六十八歳でした。
切手にもなった登山中の深田久弥,キスリングザックがなつかしいですね。
以前に訪れた時はありませんでしたが、立派な資料展示室が出来ていました「九山山房」。
深田久弥が収集した山に関する書籍やご自分が執筆した書籍やご自分で執筆した原稿が
載っている書籍がぎっしりと詰まっていました。
展示室には深田が詠んだうたや俳句、それに収集したパンフレットやそれに深田
の思い出の品が展示されていました。
良く使い込んだ愛用のコッフェルが展示されていました。
深田が属していた錦城山岳会が使っていた登山用品(コンロ)
深田が愛用していた登山用品。
絹織物工場の時に生糸を保管していた石蔵、生糸は金と並んで貴重品だったので
石蔵に保管していたのでしょう。
金庫の様な扉が凄い!。現在は展示室になっています。
事務棟二階が和室になっていて、談話室として利用しています。
離れが喫茶ルームになっていま、「聴山房」コーヒーをいただいてきました。
中庭のお休み所に無造作に置かれた丸太の椅子と机?。
日本人はたいていふるさとの山を持っている。
山の大小遠近はあっても、
ふるさとの守護神のような山を持っている。
そしてその山を眺めながら育ち、
成人してふるさとを離れても、
その山の姿は心に残っている。
どんなに世相が変わっても、
その山だけは昔のままで、
あたたかく帰卿の人を迎えてくれる。
私のふるさとの山は白山であった。
深田久弥「日本百名山」より
門を出て直ぐ左が橋になっていて、橋の下には大聖寺川が流れています、
少し前まで大聖寺川に遊覧船が運航していました、その頃の船着き場の跡が
今でもあります、現在は土砂の流入で川が浅くなって遊覧船は運航して
いないそうです。
川端の遊歩道を散策しました、初冬の陽がこづえを超えて快く届いています。
遊歩道の先には江沼神社という大きな神社がありました、神社に参拝してから
紅葉を愛でてきました。
ブログで紹介するのは二度目になります、私も現役の頃より七十過ぎまで登山を
趣味にしていましたので本当に興味がわきました、私のふるさとの山は信州の
山です。
興味のある方は加賀の温泉郷(山中、山代、片山津)に来たおりに足を延ばして
訪れてください。
ご訪問くださってありがとうございます、今後もよろしくお願いします。