go の let's goシニア

リタイヤ・・何でもヤリタイヤ
登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

追憶の山~③五竜岳(2814m)

2013年01月28日 | インポート
1996年8月は穂高に登った翌週に以前から登ってみたかった五竜岳に登山しました。
コースは八方尾根から唐松岳に登って唐松岳から大黒岳、平岳を縦走して五竜岳に登って遠見尾根を下るルートです。

五竜岳は残雪の雪模様が甲斐の武田家の家紋の武田菱が現れることで知られています。
白馬村から5月に撮影したものです、頂上付近に武田菱の形がはっきり見えます。
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武田菱の家紋です、白馬村のあたりは昔は武田家の領地で人々は山に現れる武田家の家紋を見て「御領(ごりょう)さん」と呼んで親しんでいたそうです、一説では御領さんが五竜山のなったと伝えられています。
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私たちは八方尾根ゴンドラリフト「アダム」からさらにリフトを二つ乗りついで八方池山荘から出発です、約一時間ほど登ると第三ケルンに着きました、ここから八方池を廻り込むルートで登っていきます。
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八方池には観光客が大勢訪れていました。
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尾根から谷を隔てた先には不帰険(かえらずのけん)の第二峰、第三峰が聳えています。
ゴンドラで登ってこのあたりまで歩いてくると急に高度が上がるので頭がボーとしてきました。
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急な登山道を約2時間30分程登ると唐松山荘につきました。
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唐松山荘の前から唐松岳の頂上を望む、私たちは山荘にザックを置いて唐松岳の頂きを目指しました。
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唐松岳の頂上は穂高の岩の砦の様な山頂とは対照的に女性的な山頂でした。
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山荘に戻って身支度をしてから今夜の宿泊地の五竜山荘目指して尾根道をたどりました。
尾根より唐松山荘が遠ざかってゆくのが見えます。
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いよいよ大黒岳のピーク越えです急にガスがピークを越えて早く流れます、ガスの流れを見ていたら逆に自分がしがみついている所が流されている様な錯角になって宇宙空間にさまよっている様な感じがしました。
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注意をして三点確保でピークを超えました。
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大黒岳の下りですが油断しないでしっかりと確保して下る。
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平岳の山麓から五竜岳を望む、真下に見える赤い屋根は目指す五竜山荘です。
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山腹の急斜面を五竜山荘に続くジグザグ道を五竜山荘に下る。
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五竜山荘に到着です、唐松山荘を出てから3時間弱でここにつきました、すでに大勢の登山者で混み合っていました。
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山荘前から五竜岳を望む、山荘から続く道の先に岩肌を剥きだした五竜岳が聳えています、明日はあの峰を目指して登リます。
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山荘を朝4時に出発、ヘッドランプの光を頼りに登りました、初めての登山道ですが整備されていて道の迷う心配はなかった、五竜岳の頂上と並んだピークの「G2の頭(かしら)」が黒々とと横たわっている、その山腹の斜めの登山道を五竜岳の峰を目指して登りました。
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山頂には日の出を待つ人が10数人待機していました。
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雲海から陽の光が射して暗闇の空を茜色に染める、雄大で荘厳な景色でした。
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剣岳のあけぼの、茜色の雲をバックに夜明けの姿を見せています。
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朝日を浴びて剣岳をバックに記念撮影しました。
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日の出と共に刻一刻と変わる景色を山頂で撮影する人達。
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あまり見られない光景が、私の立っている五竜岳の影が剣岳に投影されています「影五竜」の景色です。
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五竜岳の隣に聳える鹿島槍ヶ岳の双耳峰の峰もすぐ近くに見えました。
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頂上を後にして山荘まで戻り小休止の後に遠見尾根の下りの道をしばらく辿り後ろを振り向けば今朝登った五竜岳の遊姿が見える、赤い屋根は昨夜宿泊した五竜山荘です。
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西遠見山から遠ざかる五竜岳を望む、一番高い峰が五竜岳、その右のハイマツに覆われている峰はG2の頭です。
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西遠見山の頂上は平らに開けた場所で鹿島槍ヶ岳の双耳峰が奇麗に見える場所です。
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大遠見山と中遠見山、小遠見山の長い尾根道を越えて地蔵の頭に到着しました、五竜山荘を出てから歩行時間2時間30分でした、ガスが掛かってあたり一面ミルク色の世界でした、ここから20分ほど下るとロープウエーの乗り場のアルプス平に着きます。
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アッルプス平よりロープウエー「テレキャビン」に乗り、ここ山麓駅に着きました。
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山麓駅から30分程歩き大糸線神城駅から電車で車を置いてある白馬の八方へ向かいました。

2日間の山歩きは天候にも恵まれて思い出に残る山旅でした。
追憶の山と題して過去の登山を振り返ってみました、現在の自分の体力では到底無理なようです、当時は山に魅せられて登りましたが、「思い立ったが吉日」と云う諺が有りますが、あの時に登らなかったら一生実現しなかったでしょう。

私の追憶の山旅にお付き合いを頂き、最後まで見て頂いて有難うございます。

           (画像はアナログプリントをデジタル変換したもので不鮮明で
            お見苦しい事をお許しください)



ふれあい昆虫館の続き

2013年01月23日 | インポート
先の記事で石川県ふれあい昆虫館を紹介しましたが今日は続きです。
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地元の代表的な昆虫を説明するパネルや日本の昆虫の故郷と題して昆虫の祖先がどこから来たかを分りやすく解説していました。
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昆虫の体の内部を立体模型で説明するコーナーもありました。
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特別展で幼児から小学生の昆虫図画作品展「わたしの好きな虫」と題して応募作品展を行なっていました。
応募作品1300点の中から500点を厳選して展示されていました。
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どの作品も昆虫の生態や特徴がよく表わされていて興味深く観賞してきました。
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二回にわたり石川県ふれあい昆虫館を紹介させて頂きました。
北陸の寒い季節に家に籠りがちになりますが昆虫館の蝶の園で蝶の飛んでいる姿を見たら忘れていた春の喜びを味わう事ができました。
昆虫館のインフィメーションを掲載します。
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昆虫館の近くに獅子吼高原があります、世界の獅子頭を展示した獅子ワールド館(入場無料)や獅子頭を製作する工房が有ります。

http://naka-go.at.webry.info/201204/article_11.html


蝶つながりの記事
昆虫や蝶の記事に関連して2009年8月に長野県富士見町の入笠高原(にゅうがさこうげん)で撮影した渡り蝶のアサギマダラの写真を掲載します、アサギマダラの大好きなフジバカマの蜜を吸っているところです。
 
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アサギマダラ(浅葱斑)の模様は黒と褐色がステンドグラスの縁取りの様な模様になっていてその間の薄いみどりがっかた青色が浅葱色(あさぎいろ)で名前の由来になったと云う事です。
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この蝶は長い距離を移動することでも知られています、春から夏にかけて西南諸島や台湾で繁殖した個体が本州中部の海抜1000~2000mの高原に移動して繁殖します、夏の終わりから秋にかけて気温が低くるなると繁殖した個体が南下して九州から南西諸島や台湾までも移動します、捕まえて羽根にマーキングをして放した蝶が南西諸島や台湾で捕獲されると移動の距離や異動に掛かった日にちが分かるので調査している人がいます。
ただし、南下する個体と北上する個体は子孫の関係で、同じ個体が移動する渡り鳥とは異なります。
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最後までご覧頂いて有難うございます。








冬に蝶が舞う

2013年01月18日 | インポート
この冬一番の寒気の到来で昨日から凍てつくような寒い日になっています。
寒い続くと家に籠ってばかりで退屈します、昨日は自宅から車で30分程の所の「石川県ふれいあい昆虫館」の蝶を写しに行って来ました、以前に孫を連れて夏休みに来て以来です。
着いたのは11時頃でした、正面の入口は雪が無かったですが駐車場にはうっすらと雪が積もり車が一台だけ停まっていて雪の上に車の通った跡も無く見学者もほとんどないようです。


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正面入り口でカブト虫のモニュメントが迎えてくれました。
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石川県ふれあい昆虫館のパンフレットです。
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昆虫や蝶の標本が整然と展示されています、世界の昆虫、日本の昆虫、地元白山の昆虫と昆虫の分類ごとに分りやすく展示されています。
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生きた昆虫を観察できる「昆虫ウオッチング」のコーナーもありましたガラスケースの中で実際に昆虫を飼育していて生きた昆虫をみせてくれます。
枯れ葉のように見える昆虫です、ガラスケースの中ではっきりと映りませんでした。
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蝶の園(ちょうのその)は一年中が常夏の広さ350㎡の温室に、シロオビアゲハ、オオゴマダラ、リュウキュウアサギマダラ、カバタテハ等、約10種、1000匹の蝶が飛び交っています。温室に入ったら温度と湿度が高く感じました、来るときにカメラを肌身に付けて温めておいて正解でした。
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蜜に蝶が群れています。
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写真では蝶が飛んでいる様子がわからないので動画を写してきました、動画は余り写した事がないのでうまく撮れていませんがご覧ください。









昨日は見学者が少なく写しやすかった、外は雪が舞う冬に蝶が飛んでいる空間に入り、しばし季節を忘れる時間でした。
その他の紹介は次回で書きます、ご覧下さってありがとうございます。




追憶の山~②奥穂高岳、前穂高岳

2013年01月14日 | インポート
1996年の夏山の最盛期の8月2日に奥穂高岳~前穂高岳~岳沢のルートで登山する為に家内と2人で上高地から涸沢を目指していました。
夏の陽ざしに小梨平の木々の緑が眩しかった、梓川の流れに沿って樹林の道を横尾を目指して進みました、流れの先には穂高連峰が力強く聳えています。
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明神小屋、徳澤園と進む、見上げると明神岳の岩壁が目の前に迫っていました。
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横尾から横尾川の左岸を川に沿って進む、左には垂直に屏風岩の岩壁が迫っている、1時間ほどで本谷橋で横尾谷をわたって屏風岩を廻り込むように急な登山道が伸びている.。

2時間近く登ると涸沢のモレーンの上の残雪の雪渓に出ました、この時期の残雪は堅く締まって表面がスプーンカットで波打っています。
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雪渓を登ると今日の宿泊地の涸沢ヒュッテに到着です、上高地から休憩時間を含めて7時間余りの道のりでした、雪渓ではサマースキーを楽しむ人が蟻のように小さく見えています。(クリックで画像を大きくすると見えます)
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ヒュッテから望む涸沢カールには色とりどりのテントが多数張られてカラフルな涸沢の夏の景色を見せてくれます、、向かいの山の下に見える山荘は涸沢小屋です。
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ヒュッテには涸沢カールを見渡せるテラスがあります、売店では生ビールや各種ドリンクにおでん等が用意されています、カールの上に聳える3000m級の峰の景色を眺めながら寛ぎのひと時を過ごしました、左上の峰は北穂高岳(3106m)です。
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このテラスからの眺望はヨーロッパアルプスの景色の様で北アルプスの絶景です。
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翌朝はヒュッテを5時に出発して涸沢カールを横ぎって登りに取り着く、天気は最高の青空で峰々は朝日に輝きに「日照金山」、モルテンロードに輝いています、三角形の鋭く天を衝いている峰は涸沢槍です。
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カールを横ぎる登山道をたどる、登山道が斜めに伸びる先にはザイテングラードが奥穂高岳の峰より伸びています。
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ザイテングラードの岩の尾根に取りついて馬の背の様な岩の尾根のハイマツ帯の登山道を登る。
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ザイテングラードの途中より前穂高岳の北尾根1峰、2峰、3峰を望む。
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奥穂高岳への最後の雪渓、小豆沢の雪渓を超える。
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穂高岳山荘に到着です。
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山荘前で小休止の後いよいよ奥穂高岳へのアタックです、いきなり急な岩壁の登山道とハシゴを登り始める、前を登る人の登山靴が目の前に有る、顔にパンチを受けないように注意して三点確保で慎重に登る。(クリックして大きな画面で見ると登る人が連なって登っています)
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奥穂高岳山頂に到着しました、右側のドームはロバの耳、その少し左の三角にとがった峰は西穂高岳、中央の山肌が黄土色の山は活火山の焼岳です、その左側の裾野は焼岳の溶岩で梓川を堰留めた大正池のあたり、梓川に沿って上高地の樹林や河童橋が見える、左側の遠くに見えるのは乗鞍岳、その向こうの雲の中は御嶽山です。
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奥穂高岳の頂上から望む涸沢岳と槍ヶ岳です。
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頂上から下を見れば涸沢カールがよく見えます、右の赤い屋根が昨夜宿泊した涸沢ヒュッテ、左側の赤い屋根は涸沢小屋です、昨日ヒュッテのテラスで見ていた風景が逆にこちらから眺めるようになっています。
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奥穂高頂上より望むジャンダルム、まさに岩の殿堂です、丸い頂きはロバの耳と呼ばれています、私たちの技量では極めることは難しい。
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吊り尾根より見えるジャンダルムのロバの耳です,遠くの雲の中に乗鞍岳が見えます。
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吊り尾根の従走路が岩壁を斜めに伸びています、切り立った岩の壁に細い道が続く、油断すると転落しそうな道が続く。
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吊り尾根の前穂高岳へ続く道、この先の紀美子平にザックを置き身軽になって前穂高岳に向かう。
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前穂高岳の山頂につきました、天気も最高、360度の眺望を楽しみました。
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前穂高岳の頂上から奥穂高岳方向を望む、先ほど頂上を極めた奥穂高岳が遠くに見える。
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前穂高岳頂上より紀美子平に戻り岳沢を目指して重太郎新道の急な岩の登山道を下る。
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今回のルート、左の峰が奥穂高、右にU形にえぐれて伸びる吊り尾根をたどって右のピークの前穂高に登って下の岳沢に降りるコースをたどった、下の沢に小さく赤い屋根が見えるのは岳沢ヒュッテです。(クリックして拡大してご覧ください、画像は西穂高岳に登った時の撮影です)

その夜は岳沢で宿泊を予定していましたが岳沢に到着した時間が13時ごろで大勢の登山者で満員でした、天候も良いので上高地に向けて下山しました、上高地の最終バスの16時に乗って平湯へ、その夜は新穂高温泉に宿泊、ゆっくりと温泉に浸かって疲れも取れました。
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こうして当時を振り返っていますが、横内正&山の仲間たちが唄っている「穂高よさらば」の歌を聞くと懐かしく当時をしのばれます。









追憶の山の②は穂高岳を紹介しましたが最後までお付き合い頂いて有難うございます、なお画像は当時のアナログ写真を変換した物で見苦しいと思いますがお許しください、次回は五竜岳を予定しています。








追憶の山~①槍ヶ岳(海抜3180m)

2013年01月06日 | インポート
1月と2月は釣りや登山がシーズンOFFです、この期間に「追憶の山」と題して過去に登った山々を振り返ってみたいと思っています、最初は槍ヶ岳の登山記録からです~燕岳から望む槍ヶ岳(2012/07/27)~
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1994年、この年の夏は好天の日が多く毎日暑い日が続き9月に入っても8月の気候の延長で残暑の厳しい年だった。
そんな好天に誘われてか本来は夏山シーズンも終わった9月9日に私と家内は槍沢ルートから槍ヶ岳に登山するため上高地の河童橋に着いた。
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河童橋を出発してから梓川を左に見て林間の道をアップ、ダウンしながら歩み、見上げると明神岳の鋭い岩峰が聳えている、明神を過ぎ徳沢園、を経由して横尾に到着した、河童橋から横尾までは途中の小休止を入れて約3時間30分の道のりだった。
徳澤園にて、徳澤園は井上靖著、小説「氷壁」の舞台になった宿です
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横尾からは山荘の前から左折して梓川に架かる橋を渡って横尾谷をたどれば涸沢方面へ、梓川に沿って直進すれば槍沢方面に通じている、私たちは直進して槍沢方面の道を進みました。
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川幅をがせまくなった梓川と並行して進み、登山道は時に河原の道を進む、梓川は常念岳を源に流れる一の俣谷と大天井岳を源に流れる二の俣谷と槍ヶ岳を源に流れる槍沢の三つに分かれている、私たちは槍ヶ岳に通ずる槍沢に沿って進み今日宿泊する槍沢ロッジに到着した。
横尾からの所要時間は途中の昼食時間を入れて約2時間20分で河童橋より約6時間の道程だった。
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槍沢ロッジは定員が150名ほどの小さなロッジです、山荘では珍しくお風呂に入れます、環境保護のために石鹸やシャンプは一切使用できないが汗を流すだけでも身体がスッキリした。
シーズンOFFで宿泊客が10人ぐらいで貸切状態でお風呂にもゆっくり入ることができた。
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朝が早いので夜のうちにチエッくアウトを済ませて朝食はおにぎりにして頂き、翌朝は5時に出発した、暗い山道をヘッドランプを頼りに槍沢の川に沿って終始無言で登った、ここまで来ると源流の川に流れはなく水は石の下にもぐって流れ河原のようになっている、他に登る人もない暗い山道を1時間ほど黙々と登ると夜が明けて高い峰に朝日が射して輝いて見えた、谷間の登山道には陽の光が届かず薄暗く少し寒さを感じた。
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ロッジを出てから傾斜のきつい登山道を登ること2時間、天狗原へ向かう道の分岐に着くころには朝日が射して秋晴れの良い天気になった、夏には高山植物のお花畑になる場所ですが今はもう秋、一面に黄色く紅葉していいた、黄色くなった山腹に陽の光が射して金色に輝いて綺麗だった。
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朝食のおにぎりを食べてからしばらく登って行くと槍ヶ岳が真っ正面に見えるようになった、このあたりから槍ヶ岳の肩の槍岳山荘まで約2時間余りかかる、見えていてなかなか着かない、頑張ってあの槍の頂上に立ちたい。
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写真の中央部の稜線に小さく見えるのが目指す槍岳山荘です。
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右側の上部に殺生ヒュッテの屋根が見える、もう少し頑張るぞ!この辺が一番苦しい登りだった。
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最後の登りをジグザグに登る、後ろを振り返ると登ってきたルートと殺生ヒュッテが見える、稜線上の赤い屋根はヒュッテ大槍の山荘です。
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無事に槍岳山荘に到着する事ができた、ヘリで物資を上げるので自動販売機も有った、槍の穂先をアタックする前にしばらく休憩して水分補給、目の前に槍の穂先と子槍が見える。
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休憩の後にザックやストックをそこに置いて必要な物だけをナップザックに入れて登り始める。
槍の穂先を登るときには岩場を三点支持で両手両足を使って慎重に登る、ちょっとの油断が大事故につながります。
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槍の最後の登りは鎖と梯子の連続で1人ずつ順番に登るので夏のシーズンには登る人が行列となって長時間かかるようだ、今日は登る人が少なく約30分ほどで登ることができた、ついにあこがれの槍ヶ岳の頂上(3180m)に立つことができました、感無量です、頂上は狭く10人程が立てる程度の狭いスペースです、360°の眺望は素晴らしく自分が立っている地面以外が空に包まれて宇宙空間にいるようでした、感動のあまり自分を撮ってもらう事をすっかり忘れて私の頂上での写真はありません。
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頂上から笠ヶ岳(2898m)を望む、三角形の笠の様な姿が奇麗だった。
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尾根の先を見ると奥穂高(3190m)をはじめ穂高連峰が猛々しく聳えている。
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東鎌尾根を望むと表銀座コースの西岳(2758m)を通るルートが手に取る様に見える、ルート上の赤い屋根はヒュッテ大槍、その向こうに大きく三角形に見えるのは常念岳(2857m)の雄姿。
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頂上から山荘に降りて昼食を食べた、今夜の予定はこの槍岳山荘に宿泊予定だった、しかし少し気になることが、朝は奇麗な青空だった空が急に雲が多くなってきた、秋の山の気候の変わるのは早い、その時の時間は13時です、ここから槍沢ロッジまで3時間です、ここで充分に休憩をとったので体力的には問題がない、よし今から槍沢ロッジまで下ろう。
下りは問題なく予定時間の3時間で16時には槍沢ロッジに到着して昨夜に続いてもう一泊する、天気が変わっても稜線上にいるよりここの方が安全です、その晩はぐっすりと眠ることが出来て疲れも癒えた。
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次の朝は心配していたお天気も曇りの天気で大きな崩れはなかった、しかし山に登るときはその時の天候やコースタイム、自分の体力を把握して適正な判断を必要とする時が有る。
帰りは梓川の流れに沿ってゆっくりと下り無事に横尾の山荘に着いた、山荘前のベンチで充実した気分でゆっくり休憩をして上高地に向かって下山した。
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今振り返ってみるとこの頃の自分は今とは比較にならないほどのパワーとバイタリティーが有ったと思う、そう考えると良い時期に行ってきて良かったなと思います。

写真は当時のアナログ写真のプリントをスキャナーで取り込んだもので見苦しいですがお許しください。

終わりまでお付き合いいただき有難うございます、次は奥穂高岳の登山記を書きます。