go の let's goシニア

リタイヤ・・何でもヤリタイヤ
登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

紅葉の季節にー其の4 晩秋の大杉谷を訪ねて

2018年11月28日 | インポート
今年は北海道でも初雪が何十年ぶりかに遅いようです、そんな冬の訪れが遅い今年ですが天気予報に雪だるまマークが目立つようになりました、紅葉前線が平野部まで降りてきて久しい11月15日に晩秋の大杉谷にドライブに出掛けました。
大杉谷は小松市の山手の大杉谷川の沢筋に民家が点在する地区です、白山の麓に位置して冬は雪に閉ざされる地区です。
車が通行出来る道は整備されていますが、現役世代は通勤に便利な小松市街に転居してしまい、残された空家とお年寄りが細々と暮らしている郷です。
大杉に向かう途中に四季を通して渓流美が楽しめる「荒俣峡」があります、春の新緑や秋の紅葉のシーズンには渓谷美を楽しむ人が大勢訪れる場所です。

'18大杉谷(1)
'18大杉谷(1) posted by (C)gotyan


'18大杉谷 (27)
'18大杉谷 (27) posted by (C)gotyan


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’18大杉谷 (23) posted by (C)gotyan


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’18大杉谷 (20) posted by (C)gotyan


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'18大杉谷 (24) posted by (C)gotyan


’18大杉谷 (21)
’18大杉谷 (21) posted by (C)gotyan

街道沿いに静かにたたずむ円光寺跡もモミジとイチョウが紅葉の盛りを過ぎて一面に散った木の葉が地面を埋め尽くしていました。
円光寺は山村生活の不便さから町へ移る人は多くなり過疎化が進む中、赤瀬ダム建設に伴った移住のため過疎化はさらに進んだ近年になって、小松市千木野町へ移転しました。
現在は県道沿いの下大杉町屋敷跡に残っている円光寺跡は大杉川沿いの県道より石垣で一段高くなっています。
’18大杉谷 (17)
’18大杉谷 (17) posted by (C)gotyan


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’18大杉谷 (11) posted by (C)gotyan


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’18大杉谷 (10) posted by (C)gotyan


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’18大杉谷 (9) posted by (C)gotyan


曲線が美しい自然石の手水鉢に清水が滴り落ちる音と、時折木々の梢を吹き抜ける風の音だけが静寂を突き破っていました。(2015年5月撮影)
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P1110815 posted by (C)gotyan



寺の本堂のあった場所は山を背景に應玄蓮照法師(おうげんれんしょうほうし)の像と親鸞上人が詠んだ浄土真宗の教えを彫った石碑が立っている以外は当時ここに円光寺があった事が分かるものは何も残っていません。
’18大杉谷 (14)
’18大杉谷 (14) posted by (C)gotyan

  

應玄蓮照法師の像です、袈裟にわらじがけ杖を携えて笠をかぶったお姿です、このような装束で山村を回って布教していたのでしょう。
應玄蓮照法師と兄の本願寺第八世蓮如上人は異母兄弟でした、二人の父親は本願寺第七世の在如上人です、長禄元年(1457)に父在如が入滅して、第八世相続にあたって正妻である應玄蓮照法師の母如円尼は、「我が子こそ、本願寺の適子」と、第八世継承を信じていましたが叔父の如乗の主張により兄蓮如が本願寺第八世に決まりました。
傷心の弟應玄は母如円尼共に北陸に下向しました、当時山崎と呼ばれていた山深い大杉町の易谷(やしたに)の西天井に15間四方の円光寺を創立、道場を開き村人に念仏を説いたのです。
傷心の身でありながら仏教の教えを説いて多くの人の心のよりどころと安らぎを与える布教に一身を投じたことは立派な精神だと思います。

その後、円光寺は今立越えの街道沿いの西天井から大杉川の対岸の下大杉町の赤瀬に向かう街道沿いのこの場所に移転しています、移転したのは新しい街道ができて人の流れが変わったためか、他に何らかの訳が有ったのか?今となっては知る由も有りません。
’18大杉谷 (15)
’18大杉谷 (15) posted by (C)gotyan

石碑には浄土真宗、宗祖親鸞上人が唱えた”知恩報徳”の文字が彫られています、意味は自分が賜った御利益を知り、その恩に報いることです。
’18大杉谷 (16)
’18大杉谷 (16) posted by (C)gotyan




円光寺跡を見てから大杉神社の大イチョウの黄葉を見たくて寄ってみましたがご覧の通り遅かった様です、一面にイチョウの葉が散って黄色の絨毯をひいた様に地面を覆っていました。
’18大杉谷(13-2)
’18大杉谷(13-2) posted by (C)gotyan


近くによって大イチョウを撮影したかったのですが三脚を据えて撮影する先客がいたのとイチョウの葉と共に沢山の銀杏の実が落ちていて踏むと強烈な匂いを放つので遠くからの撮影で諦めました。
この画像は2015年5月に撮影した画像です、幹から沢山の乳柱が垂れています、長いものは2m、短いものでも40㎝の乳柱が沢山垂れています、石川県の天然記念物に指定されている樹齢500年です。
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P1110654 posted by (C)gotyan


街道沿いの民家の庭先にはたわわに実った柿の実が晩秋の光を浴びて山里の風景を彩っています、吹く風は冷たく感じますが柿の実に射す秋の陽がそこはかとなく温かく感じました。
’18大杉谷 (18)
’18大杉谷 (18) posted by (C)gotyan

晩秋の山里の景色が日ごろの変化のない生活に潤いを与えてくれました、北陸のこの山里はこれから半年間雪に閉ざされます、来年のことを言うと鬼が笑うという諺がありますが、この山里に来年の新緑の頃に訪れたいと思っています。

ご訪問ありがとうございます。








紅葉の季節にー其の3 倶梨伽羅不動寺(くりからふどうじ)西之坊

2018年11月17日 | インポート
11月10日(土)に倶梨伽羅不動寺の鳳凰殿に紅葉を見に行ってきました、倶梨伽羅不動寺は高野山真言宗の寺です、源平の倶梨伽羅峠の古戦場の近くの山頂本堂には何回か行ったことがありますが今回行った鳳凰殿は西之坊として別な場所に1998(平成10)年に建立された寺です。
国道8号線は新しいルートが開通したので旧8号線が国道215号線として利用されています、その国道を石川県側から富山県境に向かて走る津幡町竹橋に道の駅「倶梨伽羅 源平の郷」がありますがその裏手の山に鳳凰殿がありました。

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P1230896 posted by (C)gotyan

庭園を見て回ったのですが所々に御影石造りの観音菩薩や不動明王、弁財天などの像が沢山おかれていました。
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P1230898 posted by (C)gotyan



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P1230891 posted by (C)gotyan


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P1230910 posted by (C)gotyan

かっての倶梨伽羅不動寺には弘法大が建立されたとする七堂伽藍と十二ヶ寺がありました、その復興事業の一つとして1998(平成10)年に西之坊鳳凰殿が建てられたという事です、その時に植えられたモミジがまだ若木の為に十分に枝を延ばしていません、次の次の世代の100年後には鳳凰殿が紅葉の名所になることでしょう。
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P1230895 posted by (C)gotyan



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P1230897 posted by (C)gotyan



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P1230902 posted by (C)gotyan



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P1230903 posted by (C)gotyan



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P1230900 posted by (C)gotyan



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P1230912 posted by (C)gotyan


主郭の鳳凰殿は台湾檜を使った左右75mの壮大な木造建築で平安時代の様式で造られています。
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P1230925 posted by (C)gotyan



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P1230905 posted by (C)gotyan


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P1230900 posted by (C)gotyan







寺が建立されてから20年と日が浅い事から期待したほどの紅葉は見られませんでした、この寺のモミジが古木になって綺麗な紅葉を見せる頃、私たち世代は千の風になって高い空からモミジの枝を吹き抜けることでしょう。

ご訪問ありがとうございます。





紅葉の季節にー其の2 奥獅子吼山(おくししくやま)

2018年11月12日 | インポート
11月4日(日)に奥獅子吼山にハイキングに行って来ました、奥獅子吼山の登るルート三通りあります、麓のパーク獅子吼から登るルートと樹木公園からのルートと私が今回登ったルートの三通りです、先の二通りルートはふもとから登るルートで急な登りもあるのでそれなりに時間がかかるようです、今回私が登ったルートは一番楽に登れるルートで犀鶴(さいかく)林道を使って車で峠の頂上(海抜679m)まで登ってそこから歩きます。


犀鶴林道の曲がりくねった急な道をどんどん登って高度を上げて行きます、錦の織物のように雑木林の木の葉が色付いてとても奇麗です、ハンドル操作を誤ると急な崖から転落して危険なので景色を見るときは車を停めてからゆっくり見ます。
2-奥獅子吼
2-奥獅子吼 posted by (C)gotyan


3-奥獅子吼
3-奥獅子吼 posted by (C)gotyan

犀鶴林道の峠の駐車場には7~8台の車が駐車していました、家を9時頃に出て途中でコンビニに寄ってこの峠に着いたのは10時頃でした、ここから頂上まで1時間半ぐらいかかります、奥獅子吼山は海抜928mですのでここからの高低差は249mになります。
高低差があまり無いのと片道1時間半ぐらいで理想的なハイキングコースです。
4-奥獅子吼
4-奥獅子吼 posted by (C)gotyan

紅葉の時期が過ぎたのかそれとも台風の影響ですか葉を落としている木々が目立ちます、時々登りの道がありますがほぼこの様ななだらかな登山道です。
5-奥獅子吼
5-奥獅子吼 posted by (C)gotyan


6-奥獅子吼
6-奥獅子吼 posted by (C)gotyan


7-奥獅子吼
7-奥獅子吼 posted by (C)gotyan

リンドウの花は未だ蕾でした。
8-奥獅子吼
8-奥獅子吼 posted by (C)gotyan


9-奥獅子吼
9-奥獅子吼 posted by (C)gotyan

頂上は周りに木が無くて草原のような所で360度見晴らしが素晴らしい所ですが、今日は天気予報ではスッキリと晴れる予想でしたが曇りのどんよりして見通しが聞かないお天気になりました。
10-奥獅子吼
10-奥獅子吼 posted by (C)gotyan


11-奥獅子吼 (2)
11-奥獅子吼 (2) posted by (C)gotyan


お天気の良い時にはこの方向に霊峰白山が手に取る様に見えるのですが生憎今日は雲の中です。
11-奥獅子吼
11-奥獅子吼 posted by (C)gotyan


反対側に眼をやると加賀平野と日本海が見えますが今日はくすんで海も水平線もぼやけて見えません。
12-奥獅子吼
12-奥獅子吼 posted by (C)gotyan

頂上のベンチで腰かけて山の情報など話し相手になった私と同じ1人登山の人と話ながら下ってきたら帰りの道は短時間に感じました。
林道の峠に帰ってきましたら駐車している車の台数が増えていました、下山途中でこれから登る人と行きあいましたがその分駐車台数が増えたのでしょう。
13-奥獅子吼 (2)
13-奥獅子吼 (2) posted by (C)gotyan

帰りは急な坂道をエンジンブレーキを効かせてゆっくりと降りてきました。
13-奥獅子吼 (3)
13-奥獅子吼 (3) posted by (C)gotyan

下りの途中で麓の鶴来の町と大きくカーブする手取川がジオラマのように見えます、これから林道を下ってあの橋を渡って帰ります。
13-奥獅子吼
13-奥獅子吼 posted by (C)gotyan

紅葉の時期に少し汗ばむ良い運動をしました、間もなく冬の訪れで来年の三月まで山は雪に埋もれてしまうのでこのシーズンに今日のようなハイキング程度の山に遊びたいものです。

ご訪問ありがとうございます。





紅葉の季節にー其の1 細尾峠

2018年11月08日 | インポート
紅葉のシーズンに毎年訪れている細尾峠に行って来ました、昨年は豪雨被害で富山県側が通行止めになっていたので岐阜県側に回ったのですがそちらも通行止めになっていたので諦めました。

ここは城端から五箇山に通じる国道304号線です、昔はここから難所の細尾峠に差し掛かるのですが現在は左手の五箇山トンネルが出来たために右手の細尾峠は閑道になりました。
五箇山トンネルは全長3070mでほぼ直線の片側1車線の道路になって危険な峠道を通らなくても短時間で峠を越える事が出来ます。
1-細尾峠
1-細尾峠 posted by (C)gotyan


舗装はされていますが車一台が通れる道です、対向車と鉢合わせをした時には退避場所までどちらかがバックしてすれ違います。
2-細尾峠
2-細尾峠 posted by (C)gotyan


3-細尾峠
3-細尾峠 posted by (C)gotyan


細尾峠は俗に「人食い谷」と呼ばれる難所になっています、昔、五箇山の人々が冬の峠越えの時に列をくんで進んだが雪崩にあって谷底に転落した、春の雪融けを待って谷底を捜索しても人も荷物も見つからなかったそうです。、それからこの谷を「人食い谷」と呼ぶようになったそうです
細尾峠 P1180311
細尾峠 P1180311 posted by (C)gotyan(2016年10月中旬撮影)

山深い五箇山は庄川の渓谷が深く切れ込んでいてそこに暮らす人たちの往来を拒絶していました、五箇山の人々は川筋の通行が出来ないので危険な峠道を越えて城端の町に出て物々交換をしていたことでしょう、自動車の時代になって国道が開通しましたがその昔は人が踏み固めた峠道だったのでしょう。
3-細尾峠(3)
3-細尾峠(3) posted by (C)gotyan



細尾峠 P1130936
細尾峠 P1130936 posted by (C)gotyan(2015年10月中旬撮影)



4-細尾峠
4-細尾峠 posted by (C)gotyan

木々の間から砺波平野が見えます、田園の中に屋敷林に囲まれた農家が点在する散居村(さんきょそん)の風景です。
5-細尾峠
5-細尾峠 posted by (C)gotyan

クネクネと危険な道を登ってきましたがこのトンネルを抜けると庄川側に出ます、ここから道も少し広くまりますし崖に面した危険な道がなくなります、昔、トンネルが出来る前に岩魚釣りで五箇山に通った頃にはここまで来てホットしたものでした、このトンネルは狭いのですがそれでも昔はボンネットバスが通っていたんですから今では信じられない事です。
細尾峠 P1130995
細尾峠 P1130995 posted by (C)gotyan(2015年10月中旬撮影)

トンネルを抜けたら道幅も広くなり運転に余裕が出てきました、時々車を停めて紅葉を愛でたり写真を写しました。
9-細尾峠
9-細尾峠 posted by (C)gotyan


7-細尾峠
7-細尾峠 posted by (C)gotyan


8-細尾峠
8-細尾峠 posted by (C)gotyan


11-細尾峠
11-細尾峠 posted by (C)gotyan


12-細尾峠
12-細尾峠 posted by (C)gotyan


13-細尾峠4
13-細尾峠4 posted by (C)gotyan

旧の峠道との交差するところに石仏が祀られています、右の大きな石仏の石の花立てに「供養」の文字が彫ってあるのが見えました、この峠で亡くなった人を供養する為の石仏かもしれません。
細尾峠 P1180323
細尾峠 P1180323 posted by (C)gotyan(2016年10月中旬撮影)

去年は通行止めになっていて細尾峠の道を辿ることが出来ませんでしたが今年は久しぶりに旧道の峠を越えることが出来てここを通って岩魚釣りに五箇山に通った頃が偲ばれて懐かしく思いました、今年は周辺の山の紅葉が遅かったので油断して11月に入ってから来たら少し遅かったようです。
帰りは五箇山トンネルを通って帰ってきました、危険な峠道を通ることなく短時間で難所を越える事が出来て昔のことを思うと有り難いものです。

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