go の let's goシニア

リタイヤ・・何でもヤリタイヤ
登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

慰問演奏に行ってきました

2011年11月30日 | インポート
先週の土曜日に三線教室のメンバーで片山津温泉の老人ホームに慰問演奏に行きました。先週の北陸は荒れ模様の天候が続いていましたが、土曜日はこの季節の北陸とは思えないほど良い天気になりました。現地の施設の庭から望む景色はとても奇麗で車から降りてしばらく茫然と眺めていました、最高の環境と立派な施設です。


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施設の庭より望む、柴山潟と新雪の白山,青空と青と新雪の白を分ける線は女性的なやさしい曲線で美しい、北アルプスの男性的な強い線とは対照的である。
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景観の素晴らしさと施設も素敵なたたずまい。



施設の玄関を入って広いホールには立派なシャンデリヤが灯り老人ホームのイメージというよりホテルのような雰囲気です。演奏の打ち合わせ、立ち位置、衣装の着付け、三線の音合わせを等を素早く済ませ演奏時間を待ちます。

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全員の三線を並べて音合わせをします。


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今回の慰問に参加できた12人の演奏、沖縄の民謡、童謡の赤とんぼ、夕焼けこやけ等、童謡の時は入居者全員で合唱しました、演奏の間に沖縄のリズム楽器の三板(サンバ)の体験、三線の説明などをしました。



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ホラ貝の音を合図に「エイサー」の踊りが始まります。



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沖縄の民族舞踊「エイサー」も披露、大太鼓,締太鼓の音が勇壮に響きます、エイサーは念仏踊りが元祖といわれ、沖縄ではお盆などに踊られているそうです。

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女性の入居者が沖縄の民族衣装の紅型(ビンガタ)を試着して記念撮影をしました、大変喜んでいました。

全プログラムが約1時間余りで終わり入所者の代表の方の感想とお礼の言葉が有り、和やかに終了しました。


兼六園ライトアップ2011 秋の段

2011年11月27日 | インポート
先週に引き続き今週の土曜日、日曜日に兼六園のライトアップが行われます。私も昨夜行ってきました、北陸の今頃の季節には珍しく好天に恵まれ、その上に入園料は無料とあって午後五時半の点灯開始直後に到着した時には園内が見物客で大賑わい、ライトアップされた撮影ポイントには撮影する人達が大勢あつまり、三脚を立てて構えてみたもののゆっくりと撮影できません、それに夜景モードで撮ったのでシャッタースピードが遅いからどうしてもブレて納得出来る画像になりませんでした。
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入口には金沢の和傘(蛇の目)が後ろからライトで照らし出され飾られていました、この前で記念撮影するカップルが多かった
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茶屋と土産物の店は夜間でも賑わっていました

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冬の兼六園は雪吊りの幾何学模様が冬空に凛と立ち上がり美しい、池の上に張り出した松の枝の雪吊りが水面に映って奇麗でした、紅葉は時期的に遅く色が若干あせた感じでした

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池の上にせり出した内橋亭ではミニコンサートが行われており、金沢と姉妹都市で中国の蘇州を謳った蘇州夜曲が園内に流れていました、その他、温かいコーヒーと地元では有名なパティシエの創作スイーツが食べられるおもてなしカフェがあり、家内は食べに行っていましたが私はその間撮影ポイントを行ったり来たりでした。
寒いことを想像して防寒服を着て行きましたが歩いていると冷えてきたので早々に引き揚げました。













歴史が有るから面白い、一乗谷朝倉氏遺跡を訪ねて

2011年11月21日 | インポート
昨年の事になりますが、嫁さんとドライブに出かけることになり、日帰りで行ける範囲で以前から行きたいと思っていた福井県の一乗谷朝倉氏遺跡に行くことになりました。時間的に余裕があるので高速道路に乗らず国道8号線をのんびりと福井に向かって走りました。遺跡に行く前に京福電鉄九頭竜線の一乗谷駅の近くの一乗谷朝倉氏遺跡資料館を見学しました。数多くの資料が展示されていました、この遺跡の時代ごとの資料とその時代を取りまく世の中の流れがよくわかりました。後から思ったことですが、この資料館を見ないで直接遺跡に行っていたら歴史の奥深さがそれ程感じなかったと思います。1時間余りで資料館を出て遺跡の手前の食堂で福井の名物のおろし蕎麦を食べました、大根おろしと蕎麦の相性がよくとてもおいしかった。
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朝倉館跡の正面の唐門

文献によると、この遺跡は一乗谷川の下流沿いの東西約500m、南北約3kmに築かれた戦国時代の城下町と館跡で、東、西、南を山に囲まれて北には足羽川が流れる天然の要塞の地形を形成しています。城は福井平野が一望できる背後の一乗山(標高473m)に築城されていた。この狭い谷間に侍屋敷、寺院、職人や商人の町屋が計画的に整備された道路の両側に立ち並び、城下町を形成していた。朝倉氏は南北朝時代にはここを本拠地にしていたようで、応仁の乱で荒廃した京から公家や高層、文化人が移住して来て急激に発展し、北陸の京と呼ばれて最盛期には人口1万人を超えたとも言われ、越前の中心として栄えたところです。
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朝倉氏館跡、当時の館の礎石が発掘され残っています。
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再現された侍屋敷の門

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発掘された街並みの礎石を基に再現された城下町の街並み

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商家の家の中、瀬戸物を商う商家でしょうか、当時の様子が再現されていました

栄華を極めた一乗谷城とその城下町も5代朝倉義景が刀禰阪の戦いに敗れ、義景は一乗谷を放棄して大野に落ちのびた、翌日、信長の軍勢に火を放たれて城下町も廃墟と化した。

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朝倉義景の墓、栄華を極めた時代は長い歴史の中のほんの一瞬かもしれない、墓の上に木の葉がヒラヒラと舞い落ちる様子に無常を感じました。

テレビのコマーシャルでは「何もない、何もないから面白い、一乗谷」と放送されています、確かに遺跡には他の観光地のように目をひく物はありません、発掘した館跡の礎石や庭園の石積み等、そのものを平面的に見ていても面白くありませんが歴史が解かると奥が深く、私には興味がわき面白かったのでタイトルを「歴史が有るから面白い」にしました。





爺さんは山に水汲みに行きました

2011年11月17日 | インポート
都会の人がこちらに来て第一印象は金沢の水道水が美味しいと言われます。でもここで暮らしている私たちには水道水のかすかなカルキの匂いが気になって、我が家では数年前から白山の伏流水を使用しています。朝のコーヒーやお茶、ご飯を炊く水、味噌汁等口に入る水はすべてこの水を使っています、この水で焼酎を割って飲むと大変美味しくて、つい飲みすぎてしまいます。月に1~2回水汲みに行きます、自宅より白山麓に向かって車で30分ほどのところまで水汲みに行きます。日常のスケジュールがあまり無い私たちには気晴らしドライブに良い距離です。
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自宅から20分余りで白山セイモアスキー場が見えてきます。
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水を汲みに行くのはスキー場のゲレンデ横のお寺の前に湧き出す水です。「おぼく水」よばれている水で休日になれば水汲みの人で込み合います、この水を検査機関で検査分析したデーターが表示されています.。「おぼく」は仏様にお供えするものを云います。
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今日は平日の午後なので水汲みの人が少なくゆっくりと汲むことができました。
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水の豊かな所です、岩魚釣りに良く来ます。
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スキー場のペンションも今は静かです。
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スキーシーズンになればこの駐車場も満車で道路まで車であふれますが今は静寂の時です。
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これが我が家の3週間分の飲料水です。
この水は真夏に常温で1カ月おいてもペットボトルの水は無色透明で匂いもせず何も変わりません。


郷土の歴史紹介

2011年11月11日 | インポート
私の住んでいる街に松任ふるさと記念館が有ります、JR松任駅のすぐ前にあります。
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この屋敷は明治、大正、昭和の初めまで金融、米穀と倉庫業を営んでいた豪商吉田茂平の屋敷です、元は安吉町にあったものを昭和57年に白山市が譲り受けこの地に移転して保持しています。この屋敷の素晴らしいところはその庭園にあります、その財力で集めて庭石が素晴らしく私のような石に興味のある者はもちろんですがそうでない人でも興味深いと思います。数ある銘石の中から三点ほど紹介します。
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貴船石、加茂川水系の貴船神社の近くの川底から産出します、現在ではほとんど産出されず、幻の石です。

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敦賀石、滋賀県の敦賀の周辺で産出していたものです。

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紫雲石

この石は太閤七石といわれる石です、水に濡れると紫色に変わる石です、産地は京都の保津川と云われています、太閤殿下がこよなく愛した七つの石の一つです。その石が江戸時代に売りに出され競りに懸けれたのです。当時の加賀藩がこの石をなんとか手に入れたいと藩士に命じたそうです。入札の相手は金沢の金石港(カナイワコウ)の豪商
です、ところが競りの結果は加賀藩が競り落とすことができませんでした。その結果の責任をとり遣わされた藩士は腹を切り自害したそうです。この石の立て札には加賀藩士腹切の石と記されています。こちらにお越しの際はぜひご覧下さい、一見の値あり。