青森に向かう途中に一泊する事にして中条インターで高速道を降りました、胎内市の国道を走っていたら「日本最古の石油発祥の地」の看板が目につきました、ホテルの入るには少し時間が早かったので、わき道に入って見学してきました。
案内板によると、この地は大和時代、第38代天智天皇の7年(668年) 「越の国、燃土、燃水を献る」と日本書紀にあるのは、ここ黒川村と言われ、その昔、黒い川の流れるほど臭水(くそうず)原油が湧出していた事から「黒川」の地名がついたと伝えられています。
「カグマ」(シダの一種の植物)を束ねたものに原油を沁み込ませて水分が垂れた後に原油を手でしごいて採油する方法は黒川独自のもので昔から近年まで続けられてきました、採油した原油は燈明の油として利用していた様です。
明治に入ると英国人医師シンクルトンの指導により手掘り井戸により原油をくみ上げる方法になった。
手前は石油掘削櫓のモニュメント、奥の建物はシンクルトン記念館です。
駐車場にある油壷跡、ウヮ~地面より原油が染み出している!、日本にもこんな所があるんだー。
シンクルトン記念館と内部の展示物。
記念館前の芝生や水たまりには天然ガスがブクブクと音を立てて湧きあがっていました、「火気厳禁」です。
臭水坪(くそうずつぼ)
地表近くの含油層から、原油が湧き出て窪地にたまり、これをカグマ(リョウメンシダ)を束ねた物ですくい採り、灯油に用いました。
この原油は臭い事から臭水(くそうず)と言い、溜っている窪地を坪と呼んでいます。
天智天皇の御代に、燃える水を献上したと伝えられ黒川油田は、日本最古の油田と言われています。
(案内板より)
カグマ(シダの一種)による採油の情景(ヤフー画像より)
異人井戸
坪の拡大や水平掘りの採油法を続けていましたが、明治6年、英国人医師シンクルトンの指導で、竪穴井戸が掘られました、これを異人井戸と呼んでいました。
それから山一帯に井戸が掘られ、この地帯には数百本の臭水井戸の跡があり、当時の盛況がうかがわれます。
昭和15年ごろから本格的な開発をなして、昭和17年ごろの戦争中は油の一滴は血の一滴と原油は大変貴重な時代には採掘した原油を貨車に積んで新潟の製油所に毎日運んだ様です、その頃が最盛期でしたが、昭和30年代に入り、外国からの石油輸入が増加するとともに、1000年も続いた油田はその影をひそめていった。(案内板より要約)
原油は大昔の海の底にプランクトン等の生物の死がいが堆積した地層に沁み込んでいますので、通常は採掘する時は地層深くボーリングして採油しますが、黒川のあたりは地殻変動で含油層が地表近くに隆起し、臭水坪の様に地表に湧きだします。
思いがけなく歴史の古い油田を見る事が出来ました、小学校の頃の教科書に新潟や秋田の油田の事が載っていた記憶がありますが、それ以来日本に原油が湧出する場所がある事は考えていませんでしたので、今回の体験で目から鱗が落ちました。
ご訪問ありがとうございました。
案内板によると、この地は大和時代、第38代天智天皇の7年(668年) 「越の国、燃土、燃水を献る」と日本書紀にあるのは、ここ黒川村と言われ、その昔、黒い川の流れるほど臭水(くそうず)原油が湧出していた事から「黒川」の地名がついたと伝えられています。
「カグマ」(シダの一種の植物)を束ねたものに原油を沁み込ませて水分が垂れた後に原油を手でしごいて採油する方法は黒川独自のもので昔から近年まで続けられてきました、採油した原油は燈明の油として利用していた様です。
明治に入ると英国人医師シンクルトンの指導により手掘り井戸により原油をくみ上げる方法になった。
手前は石油掘削櫓のモニュメント、奥の建物はシンクルトン記念館です。
駐車場にある油壷跡、ウヮ~地面より原油が染み出している!、日本にもこんな所があるんだー。
シンクルトン記念館と内部の展示物。
記念館前の芝生や水たまりには天然ガスがブクブクと音を立てて湧きあがっていました、「火気厳禁」です。
臭水坪(くそうずつぼ)
地表近くの含油層から、原油が湧き出て窪地にたまり、これをカグマ(リョウメンシダ)を束ねた物ですくい採り、灯油に用いました。
この原油は臭い事から臭水(くそうず)と言い、溜っている窪地を坪と呼んでいます。
天智天皇の御代に、燃える水を献上したと伝えられ黒川油田は、日本最古の油田と言われています。
(案内板より)
カグマ(シダの一種)による採油の情景(ヤフー画像より)
異人井戸
坪の拡大や水平掘りの採油法を続けていましたが、明治6年、英国人医師シンクルトンの指導で、竪穴井戸が掘られました、これを異人井戸と呼んでいました。
それから山一帯に井戸が掘られ、この地帯には数百本の臭水井戸の跡があり、当時の盛況がうかがわれます。
昭和15年ごろから本格的な開発をなして、昭和17年ごろの戦争中は油の一滴は血の一滴と原油は大変貴重な時代には採掘した原油を貨車に積んで新潟の製油所に毎日運んだ様です、その頃が最盛期でしたが、昭和30年代に入り、外国からの石油輸入が増加するとともに、1000年も続いた油田はその影をひそめていった。(案内板より要約)
原油は大昔の海の底にプランクトン等の生物の死がいが堆積した地層に沁み込んでいますので、通常は採掘する時は地層深くボーリングして採油しますが、黒川のあたりは地殻変動で含油層が地表近くに隆起し、臭水坪の様に地表に湧きだします。
思いがけなく歴史の古い油田を見る事が出来ました、小学校の頃の教科書に新潟や秋田の油田の事が載っていた記憶がありますが、それ以来日本に原油が湧出する場所がある事は考えていませんでしたので、今回の体験で目から鱗が落ちました。
ご訪問ありがとうございました。