金沢港と大野川に挟まれた突堤に「金沢港大野からくり記念館」が有ります、先日の2月28日の金沢港を散歩した時に見学してきましたので紹介します。
からくり記念館は「加賀の平賀源内」あるいは「加賀のダビンチ」と称される科学技術者の大野弁吉を記念して創設されたものです。
大野弁吉紹介
大野弁吉(1801~1870)、中村屋弁吉ともいう。
京都五条通り羽細工師の子として生まれ、20歳のころ長崎に行き理化学、医学、天文、鉱山、写真、航海学を修得した後、突然対馬に赴き朝鮮にも渡ったといわれています。帰国後京都に帰り中村屋八右衛門の長女うた(加賀国大野村生まれ)の婿となり、1831(天保2年)石川郡大野村(現金沢市大野町)に来て永住しました。
金石の回船問屋銭屋五兵衛の助言者となったりしましたが、藩主が弁吉の博学を聞き20人扶持で召しかかえようとしましたが、それに応じず、生涯清貧のうちに過しました。当時としては最先端の科学を駆使した発明品の数々は、現東芝の創業者で「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重の技術に匹敵するといわれています。
また、一東、鶴寿軒と号し木彫、ガラス細工、塗り物、蒔絵などのほか、からくり人形には優れた名作を多く残しました。弁吉自筆の「一東視窮録」は彼の覚え書き綴りで、科学機器エレキテルボルダ式パイルなどの図解、色ガラス、火薬、写真器、大砲、医薬品などの製法、調合、寸法などが記述されたものです。
弁吉の展示コーナーにはからくり師弁吉のからくり人形や弁吉の弟子の米林八十八の子の八十の作った茶はこび人形などのからくりが展示されていました。
江戸後期の「機巧鯉の滝登り」からくり。
弁吉が製作した写真機で写した弁吉と幕末の豪商銭谷五平の子供の喜太郎を撮った写真。
エレキテルは元々は静電気を発生させる物で、当時は治療用に使われたり、その物珍しさから店先に展示して見世物にしていたようです、エレキテルの店先と題したコーナーでは、エレキテルを展示して実際に体験できるようになっていて当時の店先を再現していました。
1人がハンドルを回してもう一人が電極に触って体験できるようになっていましたが、goは一人で行ったので体験できなかったのです、ビリッと感じるのでしょうか?。
東(東洋)からの伝来
からくりに必要な歯車やゼンマイなどの機巧技術で東(東洋)から入ってきたもののコーナーには「指南車」と「記里鼓車」が展示されていました。
「指南車」(しなんしゃ)
二輪の車の上に人形の形の方角を指し示す物がついていて、車がどちらに曲がってもいつも同じ方角を指し示す仕掛けになっている、地磁気は使わずに両輪に組み込まれた歯車により可能にしている。
実際に中国で霧の中の戦で使われた記述もあるそうです。。
「記里鼓車」(きりこしゃ)
こちらも二輪の車の上に太鼓が設けられていて人形がバチで打ち鳴らす仕掛けになっている、車が一里(約4㎞)進むと人形が太鼓を打ち鳴らす仕掛けになっている、車輪と歯車の組み合わせで可能にしている。
こちらも中国で兵隊が行進する時に使われた記述が有るそうです。
西(西洋)からの伝来
時計が有りますが、西洋の時計は一日が24等分の定時式で昔の日本の生活様式な合わず、ほとんどがステータスシンボルの装飾品として飾られていた。
この時計を日本の生活様式に変えて「和時計」を作ったのは江戸のからくり師たちだった、弁吉も和時計を作っています。
和時計は季節で変化する日の出~日の入りの時間を6等分、日の入り~日の出までの時間を6等分にした不定時方式の時計で、24節期に合わせて15日毎に時間の間隔を調整した、時計の進む速度は一定ですが文字盤の目盛りの位置で変えたようです。
木製の歯車を作っているからくり師の様子。
鯨の髭の実物です、鯨の髭はからくりや時計のゼンマイの材料として使われています。
江戸のからくり
世界に類のないほどの平和が続いた江戸時代は貴族や武士だけでなく庶民の知識レベルが驚くほど向上した、からくりはその知識的好奇心の現れである、中国や西洋から伝わった新しい科学技術は日本の独創的なからくりへと変化して行った。
茶はこび人形、からくりの代表的な物で良く登場する。
茶はこび人形のからくり仕掛けが解ります。
鼓を打つ人形です、リズムに合わせて鼓を打ったようです。
文楽の人形にもからくりが使われていたようです、文楽の「日高川入相花王」(ひたかがわいりあいさくら)の安珍清姫の物語でヒロインの清姫が嫉妬に狂い変化する場面の人形のからくりが展示されていました。
清姫の初めの顔です。
展示コーナーではレバーを引くと清姫の顔が鬼女に変わります、夜叉の様な眼と口は耳まで裂けて角も出ます。
からくり人形の仕掛けが解る展示では、下のひもを引くと人形の首や手が動く仕掛けが解ります。
珍しい物では江戸の見世物小屋で人気の「のぞきからくり」が有りました、周りに有る覗き窓から覗くと節まわしのいい語りに合わせて物語の画像が次から次へとながれます、トーキー映画の江戸版ですね。
お終いにからくり記念館の動画が有りましたのでご覧ください、からくり記念館入口に展示されていた弁吉の弟子の米林八十八が口上を述べています。
最後までお付き合い頂いて有難うございます。感謝