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郷土の歴史ー御経塚遺跡塚

2022年09月25日 | 歴史

私の住んでいる街の隣に野々市市(ののいちし)という市が

あります、その野々市市にお経塚という地名があります、語源

になったのはお経や経典を収めた「お経塚」は公園の片隅に

ひっそりと祀られています。

お経塚は仏教の末法思想からきているのだと云うことです、末法

思想とは釈迦の入滅後、仏教が衰退して世の中が混乱するという

考えです、日本では仏滅2千年に当たる平安時代の後半に(約千年

前)に社会的に流行したそうです。

                                2019・3月撮影

 

この街の歴史を遡ると縄文時代から人々が集落をつくって

生活をした遺跡が多数発掘されています、そのうちの一つ

お経塚遺跡を紹介します、場所は国道8号線と地方道が交差

する市街地になりますが、樹木に囲まれた敷地になります。

 

ぞの頃は周辺に広い土地もあったでしょうが一つの場所に

集まって集落をつくって暮らしていました、狩りの時や魚を

捕るときに集団作業をしていたのでしょう。

 

半地下の住まいはどの家の間取りも中央に炉があります、

炉は調理をしたり暖房になっていたことでしょう、また

夜は照明にもなったことでしょう。

大きな家には炉が二つある家もありました。

 

一棟だけ竪穴住居が復元されています、屋根には麦わらで

ふかれていましたがその頃は草で屋根を覆っていたのでしょう。

 

 

実際には水は流れていませんが川がそばにありました、この

川で飲み水を汲んだり洗い物をしていたのでしょう。

食べ物は木の実(クルミ、栗、栃の実、どんぐり等)

貝、魚、猪や鹿の肉、です、冬に備えて食料を確保しておく

事も大切なことです、食料を保存しておく建物もありました。

 

 

 

 

狩りは弓矢で仕留めていました、猪や鹿が一番の獲物でした

肉は食料にして、毛皮は衣料に加工して骨は魚を捕獲するとき

の釣り針やその他の工具に加工していたようです。

この地は海に近いし山の猟場に近い利点もあります、私たちの

郷土の歴史を知ると、この辺は住みよい場所だったことが分かり

ます。

 

 


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3 コメント

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Unknown (hana3z(源次郎))
2022-09-27 20:40:21
初めて伺った時に国道の「御経塚」が目印と聞いて何か歴史ある名前だなあと思っていました
近くにこんなに立派な史跡があったんですね、街中ではない景色ですね

近くにまだ散策するような場所がありそうですね
一日何千步も歩いてがんばってますね  私も
健康のために見習いたいです
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歴史 (go)
2022-09-28 14:52:06
車の運転も自信がなくなってきましたので
近場で取材をしています。
今住んでいる所は災害も少なく住みよい場所です、郷土の歴史を調べると、この辺は縄文時代より集落があったことが分かりました。
縄文の人は災害が少ない事が分かってこの地を選んだ事が分かりました。
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歴史 (go)
2022-09-28 15:04:41
源次郎さんへ、コメントをありがとうございます。
源次郎さんの近くに歴史の古い場所が沢山ありそうな場所がありそうです、無理のない程度にブログの更新をしてく下さい。
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