go の let's goシニア

リタイヤ・・何でもヤリタイヤ
登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

河北潟干拓地ひまわり村

2015年07月28日 | インポート
連日の猛暑で出掛ける事を控えていたら1週間ぶりの更新になってしまいました。
以前から知っていたのですが未だ行った事がなかった河北潟干拓地のヒマワリ村へ行って来ました、台風崩れの曇った日でしたが、干拓地はあまり日陰もなく午前中でしたが、ジリジリと暑かったです。
学校は夏休みに入っていますが会社関係はまだお休みになっていないので平日は訪れる人も少なく想像していた以上に静かでした。

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ゲートをくぐると迷路の入り口です、35万本のヒマワリの迷路を右の入り口から入って左の出口に戻って来られると合格です。
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三差路や二股分岐を気の向くままに進むと、ぐるぐると同じ所を回っていたり、右を見ても左を見てもヒマワリだけで他の景色が見えないのでまったくわかりませんでした。
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突然行く先の通路がストップです、そのには簡単なクイズが書いてありました。
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広い場所に出て高いところからヒマワリを見物できるようになっています、上に登って見渡すと35万本のヒマワリは凄い!、見事でした。
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終わりに近くなって通路が広くなってきました、通路の両端に夜間に足元を照らす照明が配置されていました、昼の間にソーラー充電して夜間に照らすようになっていました。
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道路に面した所には休憩用のベンチやヒマワリ写生大会用のテントが並んでいました。
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ヒマワリ村は広い干拓地の中に有って、真っ直ぐな道路が縦横に走っていますが、目印になるような建物などが少なくて遠くの山や砂丘を見て方角を見定めて行く事になります、現役時代には能登方面の御客さんを訪問する時には、近道をして干拓地を横切って行ったものですが、あれから何十年すっかり忘れて戸惑ってしまいました。
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この干拓地は河北潟(2.248ha)を仕切って、排水して農地にしたところです、道路標識の下に河北潟の水位が記されていますが、元来その水位まで水があった所を干拓して農地にした所です、広さは1.356ha(ヘクタール)で東京ドーム換算で290個分です。
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道路と並んで水路も張り巡らされています、海抜が潟の水面より低いので雨が降って水位が上がると所々に設けられているポンプ場で排水をしています。
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河北潟の干拓は江戸時代から豪商の銭谷五平が始めていますが、国策として始めたのが昭和38年に食糧難を解消する為に水田の開拓として着工しました、ところがが昭和4~50年代になって食糧難から一転して米余りになって、米の増産から減産に舵を切らざるを得ない状況になって、(その頃は政府で米を買い入れていた)
干拓で広がった農地は水田から畑や酪農地に切り替えられました。
広い干拓地に拡がる酪農用飼料のデントコーン畑、畑の先には牛舎が見えます。
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干拓地を見下ろす内灘砂丘の展望台に登って見ました。
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熱い直射日光を受けながら長い階段を登り展望台に登りました。
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西からからく南の方角には海が見えます、心配した台風12号は熱帯低気圧になって海の波も静かなようです。
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河北潟は濁って見えますが、水面と左側の干拓地の間を堤で仕切られています。
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干拓地の農地が広がっています、酪農のほかに野菜、この時期はスイカ、ハスの花が咲いているレンコン田も多く見られました。
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おまけ

砂丘の上に自転車の競技場が有りました、行った時に学生が練習していました、フエンスの外で照りつける陽ざしの暑さを忘れて、しばらく見物していました、乗っている学生さんはさぞ暑かったでしょう。
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ヒマワリ村の記事から話がそれてしまいました、最後までご覧下さってありがとうございます。
暑さ厳しき折から、くれぐれもご自愛なさってお過ごしください。

(コメント欄は誠に勝手ながら閉じさせて頂きます)








蓮如上人お杖の名泉と圓光寺発祥の地

2015年07月21日 | インポート
五月上旬に小松市の山あいの大杉町から奥城山に登山しました、登山口一つの大杉少年自然の家の裏手から杉林の中の登山道を辿ると”蓮如上人お杖の名泉”がありました。
駐車が出来る舗装道路から大杉少年自然の家の裏手の石垣に沿って登山道に入っていきます、入り口には蓮如上人お杖の名泉と書かれた石柱が経っています。
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石柱の横には“園光寺発祥の地(これより五十間)”と書かれています。
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登山者が通る以外は普段訪れる人もいない杉林に囲まれた静かなところです。
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苔むした丸い石の水受けにはわずかに湧水が滴り落ちていました、私が訪れた頃はお天気続きで久しく雨が降っていなかったので湧水も少なかったのではと思っています。
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本願寺第八世蓮如上人と弟の蓮照広玄法師は異母兄弟でした、二人の父親は本願寺第七世の在如上人です、長禄三年(1457)に父在如が入滅して、第八世相続にあたって正妻である蓮照広玄法師の母如円尼は、「我が子こそ、本願寺の適子」と、第八世継承を信じていました、他にも第八世は本願寺の適子にと推挙する者もいたが、叔父の如乗の主張により兄蓮如が本願寺第八世に決まりました。
傷心の弟広玄は母如円尼共に北陸に下向しました、当時山崎と呼ばれていた現大杉町のここ易谷(やしたに)の西天井に15間四方の円光寺を創立、道場を開き村人に念仏を説いた。
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黒御影石の石碑に”蓮如上人お杖の名泉”の由来が書かれていました、
長禄元年(1457) 本願寺第八世蓮如上人の弟、蓮照広玄法師は母如円尼と共に大杉の地に来たり、
一寺を建立し道場を開き、現在の円光寺の礎を築く、後に蓮如上人、北陸巡化の折に、御舎弟を訪ねられ、
大杉に来村、蓮照広玄法師の御化導により念仏の世界に力強く生きり人々を喜ばれ、
御供米をかしく水にと上人杖をもって地をうがちしに、この清水とうとうと湧き出たりと伝う。

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その後、円光寺は今立越えの街道沿いの西天井から大杉川の対岸の下大杉町の赤瀬に向かう街道沿いに移転しています、移転したのは新しい街道ができて人の流れが変わったためか、他に何らかの訳が有ったのか?今となっては知る由も有りません。
移転先の円光寺も山村生活の不便さから町へ移る人は多くなり過疎化が進む中、赤瀬ダム建設に伴った移住のため過疎化はさらに進んだ近年になって、小松市千木野町へ移転しました、現在は県道沿いの下大杉町屋敷跡に残っている円光寺跡は大杉川沿いの県道より石垣で一段高くなっています。
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通りから見える”円光寺旧跡の地”の石柱が見えます。
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寺のあった敷地に登る通路は左右からスロープを登って中央の石段を登ります。
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石段を登ると大きな樹木に囲まれた敷地には、かつては伽藍が有ったと思われる中央の石垣が積まれ一段高くなった所には、蓮照広玄法師の像と知恩報徳の文字が彫られた石碑が建っています、人は歩く通路以外は雑草に覆われていました。
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衣を着けて笠をかぶって手には杖を携えて、蓮照広玄法師が大杉の山里を歩いて布教をしていた姿でしょうか。
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石碑には浄土真宗、宗祖親鸞上人が唱えた”知恩報徳”の文字が彫られています、意味を平たく言えば自分が賜った御利益を知り、その恩に報いることですが、親鸞上人は徳を報いずにはおられないような、そういう恩恵を賜っている事を知らされることが大きな御利益なのだと云っておられます。
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敷地の端に真新しいお堂が建っています、納骨堂だと云う事です。
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鐘つき堂の基礎跡だと思いますが、50㎝ほどの高さに真四角に石で積まれた土台の上に四本の柱が立てられていたと思われる丸い石の部分が残っています。
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基礎の上にあがってみると、大きな鬼瓦が残っていました、鬼瓦の大きさから推定するとここに有った円光寺はかなり大きな寺院だったと思われます。
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寺の正面であったと思われる参道の右側には手水石が残っていました、見事な曲線でかたどられている自然石は見る人の心に残る造形美でした、手水石の上から清水が絶えず注がれています、鳥の鳴き声のほかに何も聞こえない寺院跡に清水が落ちる音だけが聞こえていました。
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浄土真宗の宗祖親鸞上人から数えて第八世蓮如上人と弟の蓮照広玄法師の時代の本願寺は寂れて、他宗や浄土真宗他派からに対して衰退の極みにあった、蓮如上人は本願寺を再興し、現在の本願寺教団(本願寺派、大谷派)の礎を築き中興の祖として広く語り継がれています。

弟の蓮照広玄法師は当時、山深い大杉に身を置き、山里の人々に信仰を広め、円光寺の基礎を築き500年余りの間、住民の心の拠り所の信仰の元を築きました。
円光寺は時代の流れと共に山里を去り、大杉の里には円光寺の跡地と昔の出来事が語り継がれる話が残るのみです。

御訪問ありがとうございます、本記事を書くにあたって下記の記事などを読ませて頂いて参考にさせていただきました。

        山を愛する木こりの日記(大杉の寅19さん)
        MEの余生(ohs★git★ra9さん)







黒部渓谷の秘湯を訪ねてーその2

2015年07月13日 | インポート
トロッコ電車で欅平駅に着いたのは12時30分ぐらいでした、駅のレストランで昼食を食べて行こうかな、と思ったのですが少し歩いた途中の名剣温泉で昼食を摂る事にして歩きだしました、駅前の黒部川に架かる長い奥鐘橋を渡って祖母谷川に沿って続く道を温泉に向かって歩きだしました。
目指す祖母谷温泉はここから観光案内には50分と書いてありますが途中で立ち止まって景色を眺めながら登ると1時間近くかかります。
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橋を渡った所にヘルメットが利用できるように沢山並んでいます、これから先の道は国土交通省が管理する工事用道路なので原則的には一般観光客は入っていけない事になっていますが、行きたい人は個人責任でヘルメットを着用して下さい、ということです。
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”人喰い岩”は大きく口を開けた岩に人がのみ込まれる様な姿にその名はついたということです。
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下の谷では祖母谷川の堰堤から勢いよく水が落ちて黒部川にそそいでいます。
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昨年まではあまり見なかったのですが、外国の観光客向けの注意書きが目立つようになりました、英語、ハングル、中国語と台湾語でしょうか、日本語だと”落石注意”でしょうか、こんな山奥にも外国観光客が来るようになったんだと改めて認識しました。
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15分ほど登ったら名剣温泉に着きました、ここは日本秘湯を守る会の温泉宿です、泉源はこれから向かう祖母谷温泉から引湯しています、渓谷に突き出した岩盤の上に露天風呂が有るようです。
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入り口のベンチにリックサックをおろして中で昼食を食べて行く事に、釣竿はリックに入らないので手に持ってきました、今夜の岩魚の塩焼きと骨酒用の岩魚は現地調達です。
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少し歩いて喉も渇いていますので、良く冷えた”秘湯ビール”はとても美味しかった、秘湯を守る会限定のビールで他では飲めません、ここに来る時の楽しみに一つです。
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食事は冷たい蕎麦を食べました、今日はデザートにゴマだれの団子を一串ずつ食べました。
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谷沿いの道を登って行ったら上から雪崩で落ちた雪の塊が谷をふさいでいました、谷川の水はトンネルになって下を流れています。
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上を見上げると両側が切り立った岩山になっています、ここに降った雪が雪崩になって谷を埋め尽くしたのでしょう、岩山の斜面の樹木は長年の雪崩に倒されない生命力には感心させられます。
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工事用道路は谷川に沿って上へ続いています。
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道から沢筋の上を見上げると、谷には雪渓が残っていて大きく口を開けた中から冷気の白い霧が見えます、下の道路まで冷気が来て、通り過ぎる時にヒンヤリと感じます。
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少し疲れた頃に最後の長いトンネルの入り口が見えました、このトンネルを越えたら目的の祖母谷温泉が見えます。
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薄暗いトンネルは全長300mということですが、中は登り傾斜になっていて先に出口の光が見えているんですが中々出口に着きません。
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トンネルを抜けると対岸の山裾に祖母谷温泉の小屋が見えてきます、元々は登山者用の山小屋です、ここから
白馬岳や唐松岳に登るルートが有りますが、長時間のコースで最近はここから登り降りする登山者が少なくなってマイナーな登山ルートになっているようです。
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山小屋の右端の屋根が低くなった所が内湯です、小屋の左側の赤い屋根は公衆トイレです(水洗)、一段下がった左端が男性露天風呂、その右の囲いでがしてある所が女性用露天風呂です。
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祖母谷温泉の山小屋に着きました、昨年来た時より新しい木の表札が増えていました。
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外の丸太の椅子に腰かけて一休みしてから釣りに出かけました。
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右岸の祖母谷川と左岸の祖父谷川が合流しています、祖母谷川は上流で温泉が流れ込んでいて魚は住めません、左岸の祖父谷川を遡って釣りをしました。
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2時間ほど釣りをして戻ってきました、1人3匹ずつ釣れましたが、一番小さな魚は放流しましたので二人で5匹の釣果でした、帰ったらオーナー夫妻が山菜取りから帰っていました、左手前からコゴミ、左上が犬唐菜(イヌドウナ)、真中はイラクサ、右がウドです。
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釣った岩魚の料理をお願いしてから温泉に浸かりました、誰も入っていない露天風呂にゆっくり浸かりながら黒部の山を眺めて最高の気分でした、温泉は泉源から引いてきていますが、あまって川に流す程の湯量が有るので24時間大きな浴槽にそそがれて勿体ないようです。
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食堂に戻って冷たいビールを飲んでホッとしたひと時でした、去年は私たちの他に宿泊者がいなくて静かでしたが、この後にNHK放送局の撮影班7人と女優の方、案内人の下の廊下の阿曽原小屋のオーナーの佐々木氏を含めて総勢9人やってきました、到着が遅かったので私たちが夕食が済んでから食堂は賑やかでした。
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夕食のお任せ料理です、山小屋ですので山菜と海老の天ぷら、山奥ですのでお刺身はサワラのコブ締め、山菜と厚揚げの煮物、それに今日取って来られたワラビのお浸し、ミズやフキなどで素朴な料理でしたがお酒を頂きながら美味しく頂きました
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岩魚の塩焼きは自分たちが釣った特別料理です、先ほどまで前の川で泳いでいた魚はとても美味しかったです。
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釣った岩魚の骨酒もお願いしていました、お酒を頂いてホロ酔いの頃に出てきましたが、骨酒は別腹、二人で美味しく頂きました、
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食事が済んでから外の風に吹かれて暮れ行く景色を見ていました、温泉がかけ流しに出ていて気持よさそうですがお酒を飲んでいるので温泉は明日の朝にゆっくりと入る事にしました。
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この温泉の泉源は150mほど上流に行くと祖母谷地獄といって温泉が自噴している所が有ります、昨年撮った泉源のようすです、ここから名剣温泉にも引湯しています、あまった温泉を川に流しています、泉源は80℃以上でレジ袋に卵を入れて漬けておくと温泉卵になります、昔は河原を掘って沢水と混ぜて温泉を作って入った事がありましたが現在は危険なので禁止となっています。
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散歩の後に温泉に浸かりました、NHK放送局のスタッフは到着が遅かったので、この時間は静かです、大きな露天風呂を貸切で景色を見ながら満喫しました、露天風呂の傍のギボシの花が今盛りに咲いていて温泉に浸かりながら観賞しました。
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朝食を食べてから小屋を後にしました、来た時の登りに比べれば下りは大分楽でした、昨日昼食を食べた名剣温泉が見えてきました、名剣温泉の谷は上から流れてきたと思われる巨岩が谷をふさいで極端に沢の流れが細くなっていて激流が白い泡になって豪快に流れ下っています。
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道筋に山アジサイとヤマブキショーマ?の花が涼しげに咲いていました。
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名剣温泉を過ぎれば欅平はすぐです、欅平駅が見えてきました、駅の放送の音が谷にこだましてここまで聞えてきます。
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平日でトロッコ電車に乗る乗客が少ないので15分ほど待って次の電車に乗る事ができました、トロッコ電車は渓谷沿いにガタゴトと音を立てて順調に下って行きます。
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トロッコ電車は終点の宇奈月温泉に間もなく着く頃に山彦橋を渡ります、橋を渡ったらすぐに到着でした。
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私は祖母谷温泉小屋に40年ほど前から寄せて頂いております、先代のオーナーは富山芦峅の里で92歳で健在とお聞きしました、随分御世話になった”小屋の親爺さん”です。

黒部秘湯を訪ねて、黒部の渓で岩魚を釣り、釣った岩魚を肴にして美味しい酒をのんで、自然に湧き出る温泉に浸かって楽しい時を過ごしたことに満足しています。
次は黒部の渓が秋色に染まる頃に、是非訪れたいと思います。

ご訪問していただき、長い記事を最後まで読んで頂いてありがとうございます。








黒部渓谷の秘湯を訪ねてーその1

2015年07月10日 | インポート
7日と8日で黒部渓谷を訪ねてきました、昨年は7月2日に行きましたが今年は天候をうかがっていたら少し遅れましたが昨年と同じ釣り仲間の友人と二人旅になりました。
自宅を遅い時間に出発してトロッコ電車に乗る宇奈月温泉駅に着いたのは10時半ごろに到着しました、黒部渓谷鉄道の宇奈月駅には七夕の笹飾りがされていて、自分は七夕の事はすっかり忘れていましたが笹飾りを見て、そういえば今日は7月7日で七夕なんだ~、と改めて認識しました、観光客が笹飾りをバックに記念撮影をする姿が見られました。
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トロッコ電車に乗る宇奈月駅は黒部川の左岸にあります、トロッコ電車は宇奈月駅を出発してから「新山彦橋」と云う鉄橋を渡って右岸の山のトンネルに入ります、宇奈月駅の2階から見る「新山彦橋」は鮮やかな赤色で周囲の緑とは対照的です、手前のピンク色の橋は以前の山彦橋です。
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11時過ぎのトロッコ電車に乗りましたが、ホームに着いたトロッコ電車には平日とあって乗客はまばらでしたが、連休には整理券が出る程に混雑する時も有るようです。
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雨も降らない様なので黒部渓谷の風を受けて景色を見たいので普通客車(オープン型)の乗車券を買って乗りこみました、一両に私たちを含めて3人でした。
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出発してすぐに山彦橋で黒部川を渡って対岸のトンネルに入って行きます。
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トンネルを抜けると宇奈月ダム湖が見えます、ダム湖にはアーチ型の湖面橋が綺麗です。
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ヨーロッパの古城を連想させられる円筒形の構造物は新柳河原(しんやながわら)発電所です。
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宇奈月ダムの湖面上を対岸に伸びている吊り橋は手すりのない橋です、猿専用の吊り橋だと云う事です。
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アーチ型が美しい水路橋は黒部川の支流の黒薙川に高さ50m、長さ48メートルの橋に新柳河原発電所への導水管が渡っています。
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トロッコ電車は出し平ダムの横を通過します。
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黒部渓谷鉄道は単線軌道です、すれ違いの時に駅で対向する列車を待ちます、私の乗ったトロッコ電車は欅平に登って行きますが下り列車です、登り列車が入ってきました。
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普通車両(オープン型)とすれ違う時は対向車の乗客と目が合うと手を振ったりして挨拶する人もいます。
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特別客車(窓付き)、座席は背もたれは有りません。
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リラックス車両(窓付き)、座席に背もたれ付きです。
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ホームがない駅ですれ違う時にオープン車両の乗客は対向車両の乗客と間近になります。
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工事車両とのすれ違いです、建設資材を積んで行きます、沿線では工事をする作業員を良く見かけました、保線工事は絶えず行って運行を支えているようです。
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車両が通過する沿線の切り立った岸壁に見とれます。
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黒部川第二発電所です、山深い渓谷に有ってキュービックのデザインで周辺の景色にマッチしている様な気がしました。
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トロッコ電車は嶮しい黒部川の渓谷に沿って登って行きます、深い渕の青色の水面や、時に泡立つ急流に新緑の緑が映える景色を黒部の風に吹かれながら眺めるのは爽快でした。
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鐘釣駅近くの万年雪です、秋までに融けずに残る雪渓の雪です、鐘釣駅の近くの河原を掘って露天風呂を楽しむ人もいるそうです。
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終点欅平に着きました。
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黒四ダムからここ欅平までの嶮しい渓谷を「下の廊下」と呼ばれています、黒四ダムから2日間の縦走を終えてここに下ってきます、私も何年か前にここに降り立ってきた事が有ります。
黒部の太陽、下の廊下縦走記 http://naka-go.at.webry.info/201201/article_4.html
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黒部渓谷の秘湯を訪ねてーその1は終わりますが、その2は欅平から黒部川の支流の祖母谷川(ババダニガワ)をさかのぼって祖母谷温泉に行きます。
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ひとまずこの記事を終わります、次は記事は祖母谷川と祖父谷川(じじたにがわ)の合流点の祖母谷温泉を目指します。
御訪問ありがとうございます。














ウォーキングの道草

2015年07月07日 | インポート
6月22日に丘陵公園にアジサイの花を見に行きました、その時に公園のコースでウォーキングをしました、歩きながら珍しい植物や花が有ると道草をして写してきました。


ノリウツギの花です、調べたらアジサイ属でアジサイの仲間です、アジサイ科アジサイ属と書いてある植物図鑑も有れば、ユキノシタ科アジサイ属と書いてある植物図鑑もあって分かりませんが、アジサイの仲間であることは確かです。
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広葉樹のクマシデ(熊四手)の花です、花を包む葉が変形したものを「苞」と言い、花柄にあって花に近いものを「小苞」と呼んでいますが小苞が集まった花穂が独特です。
名前の由来は、神社の祭礼などに張る縄に折った日本紙を下げますが、その紙を「四手」と呼びますが、花穂が四手に似ている事からついた名前だそうです。
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丘陵公園の萩の庭園には6月に早くも萩の花が咲いていました、萩と言えば秋のイメージが有りますが夏の初めのこの時期に開花するんですね。
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変った形ですが、ザクロの蕾です、蕾が割れて中から花が現れます。
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マユミの実です、秋になると実が割れて中から赤い実が出ます、どのように変わるか秋の山で見たマユミの実の写真を載せます。
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ヒヨドリバナの蕾です、東南アジアから渡ってくる渡り蝶で名が知られているアサギマダラはヒヨドリバナが大好物です、ヒヨドリバナに集まるアサギマダラはほとんどが♂です、♂が出す性ホルモンの前駆物質を作り出す為にヒヨドリバナの持つ特殊な化学成分が必要だと言われているそうです。
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                   入笠高原にて
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歩きながら珍しい植物が有ると写してきます、知らないものはネットで調べるのも楽しみの一つです。

御訪問ありがとうございます。(今日は出掛けますのでコメントは閉じさせて頂きます。)