go の let's goシニア

リタイヤ・・何でもヤリタイヤ
登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

野鳥に食べられる前に・・・

2017年12月25日 | インポート
毎年のことですがこの時期になると赤い木の実が冬枯れで淋しくなった庭にアクセントをつけています、そのままですと春まで観賞出来るのですが、師走の下旬になって初雪がくる頃には野鳥が飛んできて赤い木の実を格好の餌としてほとんどが食べられてしまいます。
野鳥に食べられる前に11月末に写真を写しましたのでアップします。

今年も当地では12月17日に30㎝の積雪がありました、雪が融けた後で見ると赤い実はほとんど野鳥に食べられて淋しくなっていました。

十両と呼ばれている、薮柑子(ヤブコウジ)の実
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2-野鳥に食べられる前に posted by (C)gotyan

千両と呼ばれている、草珊瑚(クササンゴ)
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4-野鳥に食べられる前に posted by (C)gotyan

万両と呼ばれている、藪橘(ヤブタチバナ)
5-野鳥に食べられる前に
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南天(ナンテン)、難を転じるといって縁起の良い植物として好まれる
6-野鳥に食べられる前に
6-野鳥に食べられる前に posted by (C)gotyan

万年青(オモト)
8-野鳥に食べられる前に
8-野鳥に食べられる前に posted by (C)gotyan

紅葉も紅葉していましたので写しておきました
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CIMG0352 posted by (C)gotyan

十両、千両、万両、南天、万年青などどれも縁起の良い植物が庭にあったらもっと良い事が沢山あってもよさそうですが何も良いことがありません(笑)、しかし今年も健康で過ごされた事が一番の幸運でしょうか。


話変わって

昨日の新聞に金沢、田井菅原神社の加賀藩献上の鏡餅の話題が出ていました、藩政期の加賀藩12代藩主、前田斉広(なりなが)に献上された鏡餅を再現しています、菅原神社では平成9年から毎年再現しているそうです。
3年前の平成14年のこの時期に私が菅原神社に行って写してきた画像がありますので紹介します。

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img138 posted by (C)gotyan

田井菅原神社の場所を地図で見て訪ねて行ったのですが市街地の中に有って、建物も普通の町家風の建物で分かりにくくやっと探し当てました。
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P1100015 posted by (C)gotyan


入口玄関の硝子戸をあけると正面が拝殿になっています、拝殿の奥が本殿に続いています。
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P1100019 posted by (C)gotyan



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P1100023 posted by (C)gotyan

鏡餅は拝殿の右手に飾られていました、表示によると、「田井村十村役田邉次郎吉、加賀藩献上御鏡餅」と記されていました、右が蓬莱飾りの松、中央が床飾り餅(高さ2.2m)、左が櫓飾り餅になっています。
金沢の正月は紅白の鏡餅を飾ります、加賀藩のお城で飾る鏡餅は上が白で下が紅ですが、一般の町家や農村では、上が紅で下が白とお城で飾る鏡餅の反対になっています。
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P1100020 posted by (C)gotyan


この鏡餅はイミテーションで蝋細工ですが、実際に当時はもち米を”2石2斗七升(340キログラム)”使って作ったそうです。
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1gP1100025 posted by (C)gotyan



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P1100026 posted by (C)gotyan


先日見学に行った金沢くらしの博物館の町家の座敷を再現した床の間にも鏡餅が飾られていました、上が紅で下が白でした、お城で飾られる鏡餅とは反対でした。
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P1210795 posted by (C)gotyan

田井菅原神社はおそらく菅原道真を祀った神社だと思います、一方前田家の祖は菅原道真と聞いています、加賀藩の紋どころの劒梅鉢は道真の梅の紋に由来します、田井菅原神社の現在の宮司は田邉宮司です、この鏡餅を加賀藩に献上したのも田井村の十村役田邉次郎吉になっています、この神社は藩政期の十村役の屋敷だったのでしょうか。


ことしも残る所1週間になりました、この一年間に拙いgoのブログにおいでくださって心温まるコメントや気持玉を沢山頂きましてありがとうございました、一年のしまいに際しまして心よりお礼を申し上げます。

来るべき新しい年は皆さんにとって希望に満ちた最良の年になる様に願っています。

ありがとうございました。








くらしの博物館の企画展

2017年12月08日 | インポート
金沢くらしの博物館には5年ほど前から4~5回行っていますが、国重要文化財に指定されたことを11月の新聞記事で知りました、以前は石川県の有形文化財に指定されていました、国の重要文化財に指定されたことでより一層の文化的価値が見直されたようです。
2007(平成19)年より金沢くらしの博物館と改称して、伝統的な金沢の風習を紹介する為に、生活用具などの有形資料だけでなく、ことばや料理、お祭りなどの風習といった無形のものや、四季を通した移り変わりを展示しています。

博物館の建物は、明治32(1899)年に石川県第二中学校の校舎として建てられました。入り組んだ屋根、玄関の車寄せ、上げ下げ窓など明治時代の西洋風木造学校建築を今に残した貴重な建物です、昨年度より耐震化の工事の為に1年間の休館期間がありましたが、この度、リニューアルオープンしました。

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1-P1210772 posted by (C)gotyan



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22-P1210815 posted by (C)gotyan



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23-P1210768 posted by (C)gotyan



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2-P1210777 posted by (C)gotyan


内部の教室と廊下が昔の学校を偲ばせます、現在の学校と比較して廊下の幅が狭い様に感じました、床下にはおが屑をつめた防音床になっているようです。
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3-P1210809 posted by (C)gotyan


今回この博物館を訪れたのは、12月初めからの企画展で展示されています昔の暖房器具の展示を観たかったので4日の月曜に行きました。
以前は入場無料でしたが、耐震リニューアルオープンの後から¥300の入場料払いますがgoはシニア料金の¥200で入場出来ました。

現在の暖房は電気や灯油を使用しますが、戦前は木炭や錬炭が多く使われていたようです、金沢の周辺の山手の農村部では炭焼きが盛んに行われていて生産された木炭が都市部に供給されていました、その流通により山手の農村部は貴重な現金収入を得ていたようです。、
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4-P1210779 posted by (C)gotyan


木炭を使用する火鉢です、丸い木製のものは桐製の火鉢です、木製でも箱型のものや陶器製のものも色々な形状のものがあったようです。
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5-P1210780 posted by (C)gotyan


明治から昭和の時代の町家の座敷が再現されていました、広い座敷の真中に火鉢が一つ、現在のように部屋全体を暖めるのではなく火鉢に掌をかざして暖をとっていたんでしょう。
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17-P1210795 posted by (C)gotyan


一般に長火鉢と呼ばれている物をこちらでは”大和風炉”(やまとぶろ)と呼ばれています、真中に五徳を置きその上に鉄瓶を載せて暖をとりながら湯を沸かします、元来”風炉”は陶製の炉のことをそうよんでいたようですが、茶道では風炉と呼ばれる火鉢の上に釜をかけて湯を沸かすます、大和風炉の木枠の下には引き出しも付いていて日常使用する小物が収納できます。
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6-P1210787 posted by (C)gotyan



この先の展示は布団を使った暖房器具です、こたつやアンカ、湯たんぽなどが展示されています。
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7-P1210784 posted by (C)gotyan


こたつやアンカはヤグラの上に布団をかけて使用します、布団の中に足を入れて暖をとりますが、ヤグラの中の陶器や金属の炉の中で木炭を燃やして熱源とするものと、床下を切りこんで灰を入れて灰の中で木炭を燃やす”掘りこたつ”式があります。左の櫓は掘りこたつの櫓です、右の櫓と陶器製の櫓はどちらかと言うとアンカです、掘りこたつと違ってどの場所でも使用できます。
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8-P1210781 posted by (C)gotyan


アンカの中では石綿やガラス繊維の中に石炭の粉を丸く団子状にした”まめたん”を入れて使用する物もありました、豆炭アンカと呼んでいました。
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9-P1210783 posted by (C)gotyan


現在の家庭のように部屋全体を暖めて暖をとるのと違って、火鉢にしてもこたつにしても部分的な暖の取り方だった当時は着物の上に二重のあいだに綿が入ったベストや上着を着ていました、赤いベストは大人が着物の上に羽織って脊筋が冷えないように着ていた綿入れです、もう一つは子供用の綿入れです。
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10-P1210785 posted by (C)gotyan


当時の家庭の様子を再現していました、こたつに足を入れて暖を取っていますが部屋の温度は低いので足から伝わってくる熱を逃がさないように大人も子供も着物の上に綿入れを着て身体の保温jをしています。
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11-P1210788 posted by (C)gotyan


寝るときに布団の足元に入れて暖をとった”ゆたんぽ”です、鋼板製のものや陶器製のものがあります、形も良く見慣れて扁平楕円形のものから筒型のものもあったようです使用する時は中に熱湯を入れて使用しますが、直接肌に触れるとヤケドをしますので、布で何重にも包んで使用しました。
戦時中は金属は貴重品でしたので陶製のものが造られたと説明されていました。
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12-P1210782 posted by (C)gotyan


桐灰を使った大型のカイロです、大型のカイロは寝る時に湯たんぽんぽ様に使用したのではないかと考えられます、桐灰は木炭の粉と保温性を高める灰を和紙で包んだ物のようですが、右に陳列されているこたつ用の桐灰は”火力強シ、18時間持”と書かれていました。
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14-P1210791 posted by (C)gotyan


外出する時に懐や腹巻の中に入れて暖をとる”カイロ”が展示されていました、現在では使い捨てカイロが簡単に使用できるので昔使われていたカイロの姿はこの様な博物館でしかお目にかかれません。

珍しいものでは一番左側に展示されている”温石(おんじゃく)”といって四角な石のプレートです、明治時代に使われていたようです、この石のプレートを熱して布に包んで使用したようです、次のカイロは桐灰式カイロでその横の桐灰を使って熱源にしていました、右側の白金カイロはベンジンを入れて気化したガスがプラチナと化学反応して発熱するのを利用したカイロです、昭和初期から使い捨てカイロが出るまで使われていたようです。
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15-P1210793 posted by (C)gotyan


以上で説明した暖房器具は戦前から戦後しばらくに使用されて物ですが、戦後の復興期からは灯油を燃料にしたストーブや電気ヒーターによる暖房に替わって行きました。
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16-P1210786 posted by (C)gotyan


この博物館には企画展として展示されている暖房器具のほかにも珍しい民具が展示されています、珍しい物を2~3紹介します。
竹下駄と紹介されていますが、雪を踏み固めたところで滑ったようですが、当時の子供の遊び道具のようです。
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18-P1210798 posted by (C)gotyan


アイロンです中に火のついた木炭を入れて使ったようですが、子供も頃に見た時は煙突がついた蒸気船を想像していました。
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19-P1210799 posted by (C)gotyan


パン焼き器です、木炭を起こした七輪の上に乗せて使います、昭和20年代に使用されてように表示されていました、戦後しばらく田舎ではパンは販売されていませんでしたので、手に入った小麦粉とふくらし粉でパンを焼いて食べていました、goも幼少の頃に御父さんが焼いたパンを食べた記憶があります、現在のように美味しい食材やバターを入れない小麦粉だけのパンでしたが美味しかったことを覚えています。
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20-P1210800 posted by (C)gotyan


アルマイトの弁当箱です、学校で給食が始まるまでは弁当箱にご飯とおかずをつめて持ってゆきました、昼の時間に思い思いに弁当のあけた時に裕福な家の子供はおいしそうなおかずを持ってきていたことを思い出します。
今のようにコンビニや弁当店がない時は何処へ出掛ける時もおにぎりか弁当を持ってゆきました。
下の小さな物はパッキン付きのおかず入れです、パッキンがついて密封が出来るのでカバンに入れて横にしても汁がこぼれません。
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21-P1210801 posted by (C)gotyan


明治中期に建てたこの博物館ですが、今度国の重要文化財に指定されて今まで以上に文化的価値が見直されることになりました、この貴重な建造物を末永く保存してほしいものです・
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22-P1180897 posted by (C)gotyan


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23-P1180898 posted by (C)gotyan



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24-P1180914 posted by (C)gotyan


この博物館の建設当時は石川県第二中学校でしたが、明治40(1907)年に石川県立金沢第二中学校と改称されました、昭和23(1948)年に金沢第二中学校が廃校となって、現在の金沢市立紫錦台中学校になりました、この博物館の横に有る金沢紫錦台中学校の玄関になります。
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25-P1180958 posted by (C)gotyan




今回の企画展の昔の暖房器具は一部を除いてgoの子供の頃に実際に使用していたものや、目に触れた物がほとんどでしたが、現在は中々目に触れることがない物に接し、今考えると当時の生活の厳しさを思い出しましたが、当時はそれが当たり前で別に惨めさを感じていませんでした。

このような機会に昔の人たちが厳しい寒さの中で不便な生活をしてきた事を思い出す事により、改めて現在の恵まれた生活環境に感謝しましす!。

最後まで読んで頂いて有難うございます。