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登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

二曲城跡(ふとげじょうあと)を訪ねて

2015年06月30日 | インポート
白山麓の鳥越にある二曲城は1985(昭和60)年に近くの鳥越城の附として国の史跡に指定されています、鳥越城は白山麓の山内一向宗が最後まで戦った拠点として名が知られていますが、二曲城は鳥越城の支城として同時に戦っているのですがあまり知られていません。
私自身が知ったのはブロ友の”つとつとさん”の記事で知りました、一度行ってみたいと思っていましたが実現していませんでしたが5月中旬に行く事ができました。 
つとつとさんの記事http://72469241.at.webry.info/201409/article_2.html

道の駅”一向一揆の里”に併設されている一向一揆の歴史館横から山手に少し入ります。
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小さな上出合川のほとりに駐車場が有りました、川の流れを利用した親水公園が有ります。
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橋を渡った先の広場は”任誓(にんせい)墓地公園”になっていて任誓の石碑が建っていました。
任誓僧侶の説明板が有りましたが、雨風にさらされてほとんど読めない状態でしたが、読める所は

加賀の傑僧「任誓」与三郎、
貞享、元禄のころ(17世紀末~18世紀初)に加賀の国能美郡二曲村に俗名与三郎、法名任誓という一向宗の禅門がおられ、近郷の人々を教化され任誓様と言われて一郷はおろか一郡挙げて慈父の如く尊敬されるにあった。
出生詳細は定かではないが、言い伝えによると母親は十村役の娘、父親は数千石の知行とりで玄藩様....うんぬん

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墓地公園のはずれに、この城で戦って散って行った”加賀一向一揆、山ノ内門徒衆の慰霊碑が建っていました。
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山にせまった平地に平吉庵の石碑が建っていて小さな建物(茶室?)が有りましたがこの辺が鳥越城と二曲城の城主の鈴木出羽守の屋敷跡だと言われています。
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二曲城への登城口です、登城口の左側の大きな岩に上にが”二曲城跡”の石碑と観音様がおられて、岩の間から清水が一筋落ちていました。

ここに掲げれれている説明板には

国指定史跡、二曲城跡
当城跡は、鳥越城とともに織田信長の攻勢に最後まで抵抗した、白山麓の一向一揆の拠点となった城跡です。
二曲の地は、白山麓の門徒の指導者で有った鈴木氏の本拠で、本来、この城跡は、山麓の通称「殿様屋敷」の館に居住した、同氏の砦であった。
城跡は鳥越城跡から大日川の対岸に相対する標高268mの独立峰上に築かれており、山頂は平坦に削平されていて、尾根上に腰郭と空掘の遺構が確認できる。
天正八年(1580)十一月、鳥越城跡とともに落城するが、山内衆の抵抗はこれをもって終わらなかった。
「信長公記」によれば、翌天正九年(1581)二月、加州一揆が蜂起して「ふとうげ」に入置かれた柴田勝家の人数三百人を悉く打ち果たしたとある。
しかしこれも、織田方の佐久間盛政によって鎮圧された。
翌天正十年、一揆衆は再度鳥越、二曲両城を奪還するが、同年三月、生捕者三百余人の磔(はりつけ)により終息する。
二曲城跡は鳥越城跡とともに加賀一向一揆の最後の砦となった歴史の舞台として意義をもつことから、史跡に指定され、保護が図られている。

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登城口からうっそうと茂る杉林の中の坂道を5分ほど登ると、広い道路は真っ直ぐに上へ伸びていますが、それとは別に急こう配の坂道が左の方に枝分かれしています、直進は一の郭へ登る道で、左の急こう配の道は二の郭を通って一の郭に通じる道です。
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私は左に折れて二の郭への道を登りました、かなりの急こう配の道を足を滑らせたら下まで落ちてしまいそうな道でした、登った先は尾根に出ました。
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尾根上を少し先には二の郭の発掘した平坦地が有りました、最近発掘したようで土塁や平らにした地面は雑草もなく山土が露出しています。
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敷地の奥には二棟の掘立柱建物跡の柱の様子が復元されていました。
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二の郭から一の郭へ登る道は傾斜の山道を階段状の道がジグザグに登っていました。
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ササユリの蕾も未だ硬く咲くまでにはしばらく日にちが掛かりそうです。
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ジグザグの山道を登った先に一の郭の平坦地が有ります、ここは二の郭の四倍ほどの広さがある様に見えました、石を敷き詰めた路が縦横に通っていて、井戸跡、地下式かまど跡、炉跡、掘立柱建物跡などが発掘した様子を再現されていました、二曲城は未だ発掘中のものも含め五の郭まで有ったようですが、ここ一の郭が本丸のようです。
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発掘の様子を写真入りで説明しているパネルも表示されていました。
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一の郭から東南方向を望む、二曲城が造られた独立峰の東側は切り立った急傾斜になっていて、すぐ下を大日川が流れています。
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北を望むとすぐ下に道の駅一向一揆の里が見えます、正面中心にこんもりとした山が鳥越城跡が有る城山です、城山の麓の田園に緑の帯が見えますが大日川の流れです、見えませんが城山の向こうには手取川が流れていて、城山は二つの流れに囲まれた白山からの張り出し尾根の先端に位置しています。
ここ二曲城は同時に戦った鳥越城とは直線で1kmほどの距離にあります。
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鳥越城跡のある城山を望遠で拡大して見ると、鳥越城跡の南にある中ノ門が見えました、直線で1kmの距離であれば、通信手段としての夜の灯りや昼の狼煙の煙、旗信号などが見えたでしょう、また、法螺貝や戦士の歓声、鉄砲の音は聞えたのではないかと思っています。
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一の郭から西側の急峻な斜面のジグザグに造られた歩道を谷間に降りてきました。
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谷間には倉跡や空掘り跡が発掘調査されてようです。
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砕石を敷き詰めた山道を下って杉林の登って来た道に出ました。
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登城口の任誓墓地公園に戻ってきました。
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時間も早いので帰りに鳥越城跡に寄ってきました、鳥越城から二曲城がどのように見えるか興味が有ったのです、県道から鳥越城跡が有る城山に登る道路が有ります。
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頂上の駐車場に車を停めて100m程坂道を登ると桝形門が目に入ってきます、門の両脇は石垣が積まれています。鳥越城跡のブログへhttp://naka-go.at.webry.info/201310/article_8.html
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桝形門を抜けると正面は土塁に衝きあたりますが、そこを鉤の手に曲がって一段高いところに本丸門が有ります、鳥越城は城としての規模や備えは二曲城と比べ物にならないほどの大規模な城です。
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鳥越城跡から北東方向を望むと、田園地帯の右から左に緑の帯が延びているのが手取川の流れです。
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南を望むと下には道の駅一向一揆の里が見えます、その左の尾根の上に樹木がなく山肌が見えている所が五の郭です、分かりにくいのでその部分をトリミングした物は下の段に載せました。
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本丸の土塁の上から桝形門の屋根越しに二曲城が見えます、直線距離で1Kmで眼と鼻の先で支城としては地理的に理想的なようです。
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二曲城は鳥越城の支城として鈴木出羽守が城主で織田信長の勢力とたたかいましたが、鈴木出羽守が鳥越に来る前は、二曲村の士豪の二曲左京進の屋敷の背後に建てられた城砦だったとも言われています。

この頃の歴史や登場人物の出自には諸説があり、調べて掘り下げれば不明な事が沢山あります、そんな歴史をひもとくのも歴史の面白さが有るのではないかと思います。
この記事を書くのにあたって、二曲城跡には二度訪れています、その上で、つとつとさんの記事や、西国の山城のトミーさんの記事、コトバンクなどの多くの文献を読んで参考にさせていただきました事を報告して、ここに感謝の意を表します。

お終いまでお読みいただいて有難うございます。










大乗寺山丘陵公園のアジサイ

2015年06月23日 | インポート
季節がら先日の花菖蒲の記事から今度はアジサイの記事になります、昨日、大乗寺山丘陵公園にウォーキングを兼ねてアジサイを見に行って来ました。
広い園内の芝生の樹木の間に背丈ほどに大きく茂ったアジサイが満開に咲いていました、珍しい品種や変わった色や咲き方をするアジサイは別の一角に集められていて名前が表示されていました。
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           パリ(ハイドランジア系)
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           カステリン(ハイドランジア系)
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           クラウンオブヨーロッパ(ハイドランジア系)
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           ピンクビューティー(ハイドランジア系)
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           おたふく(ガクアジサイ系)
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           フラミンゴ(ハイドランジア系)
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           ピンクマナスル(ハイドランジア系)
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           アリラン(ピンクガク、ハイドランジア系)
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           ピーチ姫(ハイドランジア系)
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           渥美しぼり(ガクアジサイ系)
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           ロイヤル(ハイドランジア系)
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           城マリー(ガクアジサイ系)
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大きく茂っている花は日本古来のアジサイです、ガクアジサイも山アジサイの改良種ですが、改良されたアジサイで”ハイドランジア系”と呼ばれているものは日本古来のアジサイが欧米に渡ってテマリ咲きに改良されたものが明治時代に逆輸入されたそうです。
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昨日は二十四節季の“夏至”でした、年間で昼の時間が一番長い日です、夏に至ると書きますが節季の説明では”夏の中間の日”と説明されています。
暦では夏ですが実際の季節は沖縄を除いて梅雨真っ盛りのお天気が続いています、北陸は未明に激しい雨が降って、日中は薄雲りで蒸し暑い日でした、この分だと当分はアジサイが似合う空模様が続きそうです。

御訪問ありがとうございます、コメント欄は勝手ながら閉じさせて頂いております。







赤摩木古山(1500m)登山

2015年06月20日 | インポート
先週の14日(日)に毎年春と秋で2~3度登っている富山県境の赤摩木古山(アカマッコヤマ)に登ってきました。
途中のブナ林でセルフタイマーで写した写真です、カメラの置く適当な場所がなくて傾いた写真になってしまいました。
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以前は福光側の刀利ダムの上流から登山口のブナオ峠に行かれたのですが、かなり以前(20年以上前?)から通行ができなくなっているので、ブナオ峠の反対側の五箇山側から林道を辿ってブナオ峠の登山口に行きます。
石川県から一般道で登山口までは約2時間余り掛かります、昔は往復一般道で行き来していましたが、最近は行く時は高速道路を利用しましす、自宅を7時30分に出てコンビニ経由で登山口に8時4~50分に到着しました。
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9時前に登山道に着いた時はあまり広くない駐車スペースが満車でした、なんとか路肩に駐車する事が出来ましたが、もっと詰めて停めれば後から来た人も楽に止める事が出来るのですが。
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毎年、恒例のように登っている赤摩木古山に今年も登る事が出来ました、この山は危険な場所も少なくブナ林を見る事ができる遊べる山です、若いころにはさほど感じませんでしたが、現在の私の体力に合った山だと思っています、秋の紅葉シーズンにも登りたいと思っていますが、体力的にこの山に登れなくなったら私の登山人生も卒業だと自分に言い聞かせています。

お終いまでご覧頂いて有難うございます。










金沢卯辰山花菖蒲園

2015年06月17日 | インポート
今日の午前中に卯辰山菖蒲園に花菖蒲を見に出かけました、カラ梅雨の北陸で昨日は口能登で時間当たり50mmを越える豪雨が降った様ですが、私の住んでいる地区には一粒も降りませんでした。
花菖蒲もアジサイと並んで梅雨時の雨に冴える花です、今日も朝から薄日が射すお天気でしたが、例年の記録では花菖蒲が咲く時期となっていますので出掛けました。

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この花菖蒲園は卯辰山の沢地を利用して造られたました、今年のようなカラ梅雨の年でも地下水をスプリンクラーで散水出来る様になっています。
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欧米では花菖蒲を”ジャパニーズアイリス”と呼んで花の王様のカトレアと並んで珍重されているそうです、この美しい花を見ると世界中で愛される訳が分かります。
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毎年、このシーズンになると訪れている花菖蒲園ですが、来るたびにその美しさの虜になります、今年も奇麗な花を見させて頂きました。

ご訪問ありがとうございました。
  (コメント欄は閉じさせて頂きます)







金剛堂山登山(1638m)

2015年06月15日 | インポート
6日の土曜日に富山県の南砺市利賀(旧、利賀村)の岐阜県境に近い金剛堂山(こんごうどうざん)の登りましたました。
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この山は登山口から1000m、1346m、1451mの尾根を越えて行く長丁場の山です、登っていて体力が尽きた時は引き返す事も考えていました、その辺は一人だけの登山では自分の体力と体調に合わせてフレキシブルに行動できるので気が楽です。

登山口まで1時間半ぐらいかかるので6時前に出発しました、登山口に着いたのは7時20分ぐらいでしたが、すでに10台ほどの車が駐車していて数人の方が準備をしていました。
登山口の駐車場から川にかかった鉄骨の一本橋を渡って対岸から登ります、振り返って駐車場を見た写真です。
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登山道は支流の沢に沿って暫く進んでから、支流を渡って対岸の急な斜面をジグザグに階段状の登山道を登ります、急な登山道が少し傾斜が緩くなった道の先に登山口から1kmの標識があります。
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急な登りの道は樹の根が出ていてつまずきやすいのと、粘土質の地面が滑り易い。
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2kmの標識を過ぎたあたりから大きなブナの木が茂る原生林の中の道を登って行きます。
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ブナ林を抜けると低い灌木に覆われた1346mピークになります、ここからは急な下りの道をしばらく進みます、
その先に3kmの標識があります,
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目的の金剛堂山が見えてきました、中央の峰は中金剛、右側は前金剛、左側奥が奥金剛です、ここからさらに高度を上げて行きます。
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登山道の両側にアカモノの可愛い花が沢山咲いています、ここまで来る間に4~5人の登山者に追い越されました、マイペースの登山なので綺麗に咲いている花があれば、ストックを投げ出して写真を撮っています。
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里山では3カ月も前に咲いていたショウジョウバカマの花
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急な下りが終わって次のピークを目指して登りの道が続いています。
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遠くの景色が見渡せるようになってきました。
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ユキザサはこれから開花する様です、小さな蕾を房状に沢山付けています。
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開花したユキザサの白い花です、沢山集まって咲いています。
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最後の4㎞の標識に着きました、大きな木がなくて遠くの山を見渡せるようになりました。
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登山口の近くのスノーバレー利賀のスキー場のゲレンデが山裾にはっきりと見えます。
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ゴゼンタチバナが白い清楚な花を咲かせています。
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マイヅルソウの花はよく見ると小さな鶴に見えますが、私のカメラでは接写が出来ないのでこの辺が限度です、葉の葉脈の模様が鶴の羽根に似ている事もマイズヅルソウと呼ばれる由縁のようです。
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なんとか前金剛の頂上(1637.8m)に着きました、金剛堂山はこの前金剛と中金剛(1650m)、奥金剛(1616m)三つの峰があります、前金剛は名前の由来になったこの金剛堂があります。

到着時刻は10時30分です、登山口を出発した時間が7時40分ですから、登りの所要時間は2時間50分です、標準所要時間は2時間あまりでしょうが私の場合は山野草を写したり遠くの景色を眺めたりで時間オーバーです。
頂上では数人の方が休憩して昼食を食べていました、私も水分の補給をしてパンとおにぎりを食べました。
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前金剛には一等三角点があります。
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天気予報では今日は快晴の予報でしたが、高い山には雲が掛かって遠くの眺望は良くありません、立山方向も雲に隠れて見えません。
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中金剛までの草原が見えます、一番高いピークが中金剛で、そこから下がった右側の小さな丘のような所に富山藩10代目藩主の前田利保の歌碑が建っています。
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歌碑の建っている場所を望遠の画像をトリミングして見ますと、丘の上に歌碑は建っているのが見えます。
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食事を済ませてしばらく休憩してから、歌碑のある丘まで草原の花を見ながらゆっくりと歩いて行きました、丘に登りだすと茂った草や笹で歌碑の頭だけがのぞいています。
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御影石で造られた歌碑の周りは草や笹が綺麗に取り除かれていました、縁どりにあしらわれている梅鉢の紋どころははっきりと見えますが、歌詞は経年の摩耗の為に読み取れません、辛うじて「飛騨志...」ぐらいしか読み取れません、文献によれば
「飛騨志な濃 幾そ能峰々みな見えて 西はのこさぬ白木屋万かな」
「ひだしなの きそのやまやまみなみえて にしはのこさねしらきやまかな」と詠んでいます。
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藩主前田利保は嘉永6年3月に登っています、歌碑の土台石に登った年月と同行者(案内人)が彫られていますが土に埋もれて良く見えません、この歌碑は登った翌年の嘉永7年に建てられました。
その頃の富山藩は財政が緊迫していて大変な時代だったと云う事です、藩主自ら財政再編の先鋒になって陶器の生産や薬草栽培などを奨励していたようです、そのために本草学を学び野山を巡って薬草の研究に励んだようです、その様な目的で当時は白木山と呼ばれていた金剛どうざんに登ったようです、当時の藩主の取り組みが越中富山の売薬さんから現在の薬産業に繋がっているのかもしれません。
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イワカガミの花
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ミツバオウレンの白い小さな花
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アカモノとゴゼンタチバナ
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コバイケイソウの葉と蕾
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休憩していた前金剛を望む、前金剛に戻って下山します、右側遠くに白木峰が見えます。
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花を見ながらゆっくりと下山しました、秋に真赤な身を付けるナナカマドの花。
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ドウダンツツジ
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オオカメノキの花
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海抜が高い所にもタニウツギの花が咲いていました。
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新緑の色に染まるようなブナ林の中をゆっくりと下ってきました。
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ニリンソウの花
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サンカヨウの花
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休みながらですが、なんとか登山口に到着です
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前金剛を11時40分に出発して登山口に到着したのは14時ですから、下山所要時間は2時間20分でした、すでに大勢の方が下山して帰られたようです、朝早く来た人が停めていた駐車スペースは空いていましたが、遅くこられた方が路肩に止めていますが、未だ下山していないようです。
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一昨年の秋に登ってから一年半ぐらい経っています、登山者も多く危険な所はありませんが、結構きつい山ですので少し不安がありましたが、奥城山や鞍掛山に登って足馴らしをしているので登る事にしました。

普段はウォーキングで足馴らしをしていますが、山登りの時にはあまり役には立ちません、低い山から足馴らしをしてから登山するようにしたいと思います。