go の let's goシニア

リタイヤ・・何でもヤリタイヤ
登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

2014年に想うこと

2014年12月29日 | インポート
2014年が数十時間で終わろうとしています、今年を振り返ると、天皇誕生日の陛下のお言葉にもありましたように、自然災害の多い年でした、多くの尊い命がうばわれ、多くの方々が負傷をされ、また、多くの人たちの生活の場が奪われた年でした。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りする共に、負傷された方々や被害に遭われた方々の、一日も早いご回復と、復興を願うものです。
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                               サンカヨウ



自分自身を振り返りますと、現役をリタイヤしてから今年の誕生日で五年目にはいりました、毎日がさしたる予定、計画もなく、季節やお天気に合わせた行動をしていました。
カメラを持って街中や野山を歩いたり、無理のない程度の渓流釣りや海釣りを楽しんでいます。
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                                カタクリ


登山については、足腰の具合が経年変化で自信がなくなって、毎年夏になると北アルプスの登山に出掛けていましたが今年からは断念しました、無理をして他人様に迷惑をかけるような事があってはいけませんから。
アルプス登山を断念した代わりに、今年は友人と白神山地の旅をしました、日頃見られない景色を見たり、よい経験を積みました。
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                            十二湖  青池


趣味の沖縄三線は70歳から始めましたが、4年の歳月を経てもなかなか上手に弾けません、元々名人になるために始めたものでもなく、最近は教室の若い人たちと楽しくおしゃべりしたりして、下手なりの楽しみ方をして満足しています。
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                         ショウジョウバカマ


等など色々なことがありますが、釣りをしても、野山を歩いたりしても、現役の頃の貴重な休日を使ってそれらをした時の様な充実感がうすれていくことを感じています。

現役の頃は、リタイヤして時間に制限が無く趣味や、旅行、山登りが出来る事に憧れた時期もありましたが、時間がありすぎてもその時間の価値が薄れてゆくことに最近気づきまし、拘束される時間を割いて貴重な時間で行ってこそ充実感が得られるということのようです。

2014年の終わりに、思いつくままに書きましたが、今年一年、私の拙い記事に沢山の方々に御訪問頂いて気持玉やコメントを頂きありがとうございます。

来年も健康維持を兼ねて多くの場所を歩いて記事に書きたいと思っています、今年同様によろしくお願いいたします。






田井菅原神社と加賀藩献上の鏡餅

2014年12月22日 | インポート
先週の初めから北陸地方も強い季節風が吹きつける荒れた天気でした、19日{金)は久方ぶりの穏やかなお天気で、時折青空がのぞく好天でした。
正月がまじかに迫るこの時期に、毎年テレビで見ている加賀藩に献上された鏡餅が復元されて飾られている田井菅原神社に行って来ました。
兼六園下の交差点を通って約2kmほど行った駐車場に車を停めて、城下町特有の入り組んだ細い道を行くと住宅街の間に鳥居が見えまし、田井菅原神社の赤い旗が建っていてわかりました。

この神社の由緒
菅原道真公が太宰府へ左遷される途中、河内の国の道明寺の叔母を訪ねてお別れの挨拶にうかがった際、旧知の田邉左衛門に自画像を授けられました。
以来、田邉家では家宝として大切に守り伝え、その後当家は越前(福井県)に居をかまえましたが、天正期(1572~92)に、この神社の場所の近くの田井城に拠った一向一揆の将、松田次郎左衛門と米泉村の郷士、洲崎兵庫と土地の境界線で争いになって、田邉家は同族の松田次郎左衛門に加担して参戦、以来この地にとどまる事になりました。
その後、田邉喜兵衛の代に、加賀藩の前田利常公より十村役(代官、大庄屋)命ぜられ代代その職を継ぎ、先祖伝来の菅原道真公の自画像を邸内社に祀り、近隣の人々も田井郷の鎮守の神様として大変尊ばれていました。
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神社の前には近くの住人や訪れる人の影はなく静まり返っていました、鳥居から神社に入る通路は雪がきれいによけられていました、通路を進むと手水舎があり、龍の口から水が流れていました。
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手水舎を過ぎると通路は鉤の手に左に曲がってその先に拝殿の入り口が左に見えました、拝殿はガラスのフードで囲まれていますが中の様子はよく見えました、中に人の気配を感じませんでしたが、入り口の引き戸を開けて拝殿に入りました。
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拝殿に入って、お賽銭を納めてから鈴を鳴らして参拝しました、拝殿は想像に反して意外にせまく、正面のガラス越しに本殿が見えました、右手には当家の田邉次郎吉が加賀藩に献上したと伝えられる鏡餅が古文書に則り再現されていました、平成9年から12月の中ごろに初詣客を迎える準備として飾り付けているようです。
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当家が所蔵されている古文書に、享和2(1802)年、加賀藩第12代藩主前田斉広(なりなが)公の封襲後初のお国入りによる新春の献上鏡餅の事が記されたものがあります。
鏡餅は三点セットになっていて、真中は床飾り(とこかざり)餅、向かって右側は、松の蓬莱(ほうらい)飾り、左側は櫓(やぐら)餅で、全部で大小52個の紅白の餅が使用されています。
再現するには約2石2斗7升(約340キログラム)のお米が必要とされ、米俵に例えますと、5俵半になります。
現在は、諸々の諸事情から蝋を溶かして作った物で再現しています。

鏡餅は全国的には上下白が一般的ですが、金沢を中心としたこの地方では紅が上、白が下の紅白の鏡餅を飾ります。
田邉家の古文書によると白が上となっています、元々は白が上だったものが、いつからか現在の紅が上に変わったのか諸説があって分かりませんが、再現鏡餅は古文書通りに白が上で再現されています。
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なお、鏡餅の上に乗せるものとして記されているものは
俵藻(たわらも)、橙(だいだい)、砂金(さきん)、熨斗(のし)、昆布(こんぶ)、串柿(くしがき)、ゆずり葉、うらじろとなっていますが伊勢海老が見えます。(写真ピンボケでごめんなさい)
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境内には芭蕉の句碑があります。
「風流の はじめや奥の 田植唄」
芭蕉は元禄2(1689)年に、奥の細道の旅に出ており、同年7月に金沢に立ち寄っているため、、金沢の地に芭蕉の句碑が幾つか見られます。
田井菅原神社の句碑は、側面に明治21年3月下旬建立と刻んであり、したがって最初から此の地に置かれたものではなく、当年に奉納という形で移されたと伝えられています。
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拝殿の横にしめ縄が巻かれた御神木があります、田邉家が加賀藩の十村役の時代に屋敷の表玄関にあった椎の木で、根元に大きなコブが着いた変わった形をしています。
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現在の田井菅原神社は住宅街の中にあります、藩政期には十村役の屋敷であった庭園内に明治時代に田井郷の人々によって神社が建てられました。
初めて訪れるので場所が分からず、遠くから高い屋根の神社が見えないか辺りを探していました、ところが田井菅原神社の建物は一般の町屋の様な建物で、鳥居や旗が無かったら解らない様な場所でした。

あと一週間ほどで各家庭でもお正月を迎える準備として、鏡餅を飾られると思いますが、一足先に加賀藩に献上された鏡餅を再現したものを見てきました、あんなに立派な鏡餅を御城のどこに、どのように飾られたのでしょう、想像するのも楽しいです。
(この記事を書くにあたり、石川県神社庁と田井菅原神社の文献を参考にさせて頂きました)

ご訪問ありがとうございました。








前田土佐守家資料館

2014年12月17日 | インポート
金沢の繁華街の片町や香林坊にほど近い武家屋敷のある長町用水端に前田土佐守家資料館があります。
資料館のすぐ前には先の記事で紹介しました金沢市老舗記念館があります、老舗記念館を見学したら共通券を選べるようになっていましたので共通券を買って同時に前田土佐守資料館も見学してきました。
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資料館に入ると大きなパネルとモニターで前田土佐守家の成り立ちと加賀藩とのつながりが分る様に説明がされていました。
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始めに加賀藩祖前田利家と夫人のまつと前田土佐守家とのつながり、パネルの文字が小さくて分らないので加賀藩の前田家の系図を見ながら説明させて頂きます、加賀藩の藩祖前田利家とご正室のまつとの間の長男、利長は加賀藩2代目になります、次男、利政が前田土佐守家の家祖になります。

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次男、利政を家祖とする前田家の家系は加賀藩主前田家の分家筋に当ります、利政以後明治維新を迎えた直信まで10人の当主を数えます、本家の前田家と区別する為に前田土佐守家として親せき筋に名を連ねています。

なぜ前田土佐守家を名乗ったかというと、歴代10人の当主のうち、6人が朝廷より従五位の下(じゅうごいのげ)の官位を授かっています、従五位の下の官位を授かると○○守を名乗ることが出来ます、従五位の下を授かった6人のうち4人は土佐守に任じられ、2人は近江守に任じられました、そのために次男の利政を家祖とする分家の前田家は前田土佐守家を名乗っています。

家祖の利政は、能登20余万石を領知。従四位下侍従叙任。
その後、利政は関ヶ原の合戦に不参加の罪で能登を除封(領地を召し上げられること)、除封後は京都嵯峨野に隠棲し風雅自適の生活を送る。享年56歳。
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利政が関ヶ原の戦に不参加の罪で領地を召し上げられたましたが、2代目にあたる直之は幼少時に祖母芳春院(前田利家夫人まつ)に引き取られ養育され、芳春院の尽力があって、元和元年(1615)に前田本家の三代当主の前田利常(利家と側室の間の子で四男、2代目利長の養子となって三代目を継ぐ)に召抱えられました。
これ以後、前田土佐守家は藩政期を通じ、一万余石の禄高を持って加賀八家の一つとして要職を歴任しました。

※加賀八家とは、加賀藩政の最高役職「年寄」を務める、本多家、長家、横山家、前田土佐守家、前田家(長種系)、奥村宗家、奥村支家、村井家の八つの家の総称です、加賀藩前田利家に仕えて功績のあった家臣や前田利家の一族から構成されています。いずれも一万石以上という大名格の家禄を有し、明治時代になってからは各家当主とも男爵に叙された名家です。
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※土佐守名乗るからといって、土佐の国の領知、支配権、その他利権を持つわけではありません、あくまでも、ただの名乗りです、武士のステータスシンボルの様なものです。
展示室内は撮影禁止になっているので写真はありませんが、パンフレットの展示室の様子です。
保存されている文物の展示になりますが、「文」は古い書状などが多数展示されていて興味がありました。「物」に関しては鎧と数点の物で物足りなさを感じました。
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展示館の休憩室の窓ごしに見た庭園です、園芸師の方が植え木の冬囲いをしていました。
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二階の展示室「前田土佐守家の養生訓」と題した展示がありました、普段常用する薬や色々な漢方薬の原料や効能が記されていました。
薬の種類毎に現在の貨幣価値での値段が出ていましたが、現在の価格にして一千万円を超える様な高価な薬もあり驚きました。
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本多土佐守家のお屋敷はこの資料館の場所から西の方向に約3キロ程の場所で醒ヶ井町(さめがいちょう)という所にあり、屋敷跡を発掘調査した際に出土した遺物が展示されていました。

分りにくい説明でしたが、加賀藩の前田本家と分家の土佐守家の関係が少しでも分ってもらえたら幸いです。
(表示した一部の画像は資料館のパンフレットの画像を使わせて頂いております)

最後まで読んで頂いて有難うございます。(コメント欄は閉じさせていただきます)








加賀てまり作品展ー老舗記念館

2014年12月09日 | インポート
先日の記事の続きになりますが、金沢市老舗資料館の行った時に加賀てまり作品展が行われていました、とても綺麗な数多くのてまりが展示されていましたのでご紹介いたします。

加賀てまりは江戸時代(1603~1867年)に将軍徳川家康の孫で、三歳になる玉姫様が加賀の国の前田家にお輿入れされました、その際に玉姫様が持参されたてまりが元になったといわれています。
金沢の古くから現在に至って娘が嫁ぐ際に魔よけとしててまりを持たせる習慣が残っています。
糸を巻いて土台の玉を造って、その上に色鮮やかな五色の糸で巧妙な幾何学模様を刺繍します、金沢を訪れた観光客もお土産として求められるようです。

老舗記念館の入り口と加賀てまり作品展のポスターです。

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老舗記念館の座敷に飾られた多数のてまりです、じっと見ていますが同じ模様はありません、基本は篭目(かごめ)、鈴割り(すづわり)、桔梗(ききょう)等がありますが、それらを複合して複雑な模様のものが多かったです。
作者はカルチャースクールで学んでいる生徒さんや指導されている師範の方の力作のようです。

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このてまりの後ろにある菊の写真は巴菊です、加賀藩の殿様が参勤交代の折りに、信州の小布施か豆島で珍しい菊を見かけました、花弁の内側は朱色で外側が黄金色の珍しい菊を殿様は「巴の錦」となずけられました、長野では殿様菊として今日まで大切に育てている「巴菊」をイメージしたてまりが飾られていました。
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天井から、色とりどりのてまりが吊るされて展示されているいました。
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書院の間には婚礼衣装の打掛けと、花嫁暖簾、魔よけとして持参される加賀てまりが飾られていました。
小さなてまりは透明のケースに入れて展示されているものもありました。
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新しい企画展の展示物の差し替えが行われていて、展示スペースは見る事が出来ませんでした、入り口のテーマデコレーションを写してきました、軍配餅と巾着餅のことは始めて知りました、このよう慣わしがあったことを初めて知りました。
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金沢市老舗記念館は薬種商の中屋の建物を保存して展示しています。
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加賀てまりの数々をご覧になっていかがだったでしょうか、藩政時代から今日に受け継がれている雅な文化を伝承して何時までも残して欲しいものです。

ご覧頂いて有難うございます。








金沢市老舗記念館

2014年12月03日 | インポート
先週の金曜日に以前から行きたいと思っていた老舗記念館を見学してきました。
場所は金沢の繁華街の片町や香林坊にほど近い長町の用水端にあります、近くには長町武家屋敷もあって、金沢を訪れる観光客のルートになっているようです。

金沢市老舗記念館は、藩政時代からの薬種商であった「中屋薬舗」の建物を昭和62年に金沢市が中屋家から寄付を受け、文化材的に価値のある外観を保存し、藩政時代の商家の面影を残す店の間などを復元するとともに、伝統的町民文化の展示施設として平成元年4月1日に開館したものです。 (老舗記念館パンフレットより)
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中屋家は、天正7年(1579)に彦兵衛が薬種業をはじめ、藩政初期から旧南町に店舗を構た代表的な老舗で、特に五代藩主綱紀から御殿薬の処方を拝領し、以後代々町年寄り等をつとめた格式の高い家柄であります。
(老舗記念館パンフレットより)
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藩政時代の面影を残す中屋薬舗の「みせの間」を復元したものです、昔ながらの店先には火鉢や煙草盆、店の中央には「けっかい」と称する低い間仕切りがあります。 
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              (老舗記念館パンフレットより)



「みせの間」展示の様子
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中央奥には薬箪笥、手前には帳簿やそろばん等の小道具と煙草盆、「官許」の円盤の大きな看板は屋根の上にかかげられていたもの。
丸い透明の容器に入って展示されているものは、「薬種」といって漢方薬に調合される植物や動物性などの原材料。
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薬種を調合して薬を造る諸道具の展示、薬種を細粒にする薬研(やげん)や調合の際に使用する天びん秤が見える、奥に曲がった水牛の角も展示されていました、麻疹(はしか)の解熱剤に使用する犀の角は高価だったので代用に使用したのでしょう。
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みせの間の裏側に「おえの間」があります、土間から一段上った部屋「御上の間」がなまって「おえの間」になったようです、囲炉裏があり天井は太い梁のくみ天井になっていて、一、二階が吹き抜けになっていて、天窓が設けられていました。
天井や壁に飾られているものは花嫁暖簾です、結婚式のときにお嫁さんが婚家に持参して、婚家の仏間の入り口にかけた暖簾をくぐって仏間を参る慣わしが幕末から明治時代の頃にあったようです、加賀友禅でおめでたい図柄と実家の家紋がふたつ入っています。
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金沢の酒造の老舗の福光屋の展示もありました、福光屋は1625(寛永2年)に創業の金沢で最も長い歴史を持つ酒蔵です、代表的なブランド銘柄「福正宗」の大きな看板や大徳利などが展示されいました。
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二階へ続く階段です、時代を感じる細い階段です。
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二階には金沢から生まれた雅な加賀水引折型の結納の様子が飾られていました。
金沢で生まれた加賀水引折型はの大正初期に津田左右吉(加賀水引の創始者)が創作して老舗の津田水引が今に伝えています。
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にらみ鯛は京都では元日の朝の膳につきますが、朝食や昼食の時は箸を付けずに眺める(にらむ)だけで夕食のときに箸をつける慣わしがあるようですが、金沢では婚礼のときに背開きにした鯛に味付けした卯の花を詰めた「鯛の唐蒸し」を大皿に腹合わせに盛りつけて出される目出度い料理です、子宝や安産を願う風習から生まれたようです。
そのにらみ鯛を水引細工で作ったものです。
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結納の目録です。
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金沢の目出度い婚礼や結納のときに両家や近親者に届けられる五色生菓子です、日、月、山、海、星を表した五種一組になった生菓子で大自然の恵みに感謝を表して、広く祝儀用に用いられ今日に至っています。
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金沢の和菓子の老舗の柴舟小出がお菓子で作った花神輿です、第22回全国菓子博覧会に出品されました。
桜や山吹、ボケなどの花びらは全部で1万3千枚をお菓子の材料で作っています。
柴舟小出は創業が大正6年の老舗です、昭和25年ごろから金沢で有名な生姜を使った生姜せんべいの柴舟を主に作っています。
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金沢市老舗記念館にはこのほかに茶室や座敷、書院の間があります、座敷の廊下より見た庭園です、この時期は庭木に雪吊りや雪囲いがされて冬を迎える準備が整っていました。
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老舗記念館の展示場が新しい企画展の為の入れ替え作業中で残念ながら見る事が出来ませんでした、次回は老舗記念館の「加賀花てまり展」をアップする予定です。


※おまけ、明治大正の頃の日本の家庭薬の薬袋です(クリックしてご覧管さい
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何か見た事がある薬袋がありますか?あると答えた人、ハイハイお歳が分りましたよ。(笑)


最後までご覧頂いて有難うございます。