go の let's goシニア

リタイヤ・・何でもヤリタイヤ
登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

2013年を思う

2013年12月27日 | インポート
2013年あと4日で暮れようとしています、昨日は三線の今年最後の教室でした、稽古の前に師匠から皆さんの今年一年はどんな一年でしたか、と題して出来事や、どんな一年を送ったかを1人1人がお話をする機会がありました。
今年はあまり良い年で無かった人や、子供さんの教育で経済的に大変な人、色々なお話を聞かせて頂きました、皆さんのお話を聞いて現役時代を偲んでわが身のことのように思えました。
私はと云うと、リタイヤした身でこれと云って大きな計画もなく気の向くまま、足の向くままの一年だった事を皆さんの前でお話をしました。
私を除いて皆さんが現役の方ですので、年金生活で若い世代にぶら下がっている身が少し肩身の狭い思いに感じた出来事でした。

そんな私の一年で思い出に残った風景の映像をここに再現してみました。

毎年7月に登山している燕岳も今年は19回目になりました、7月の中旬から晴れる日を狙っていましたが、今年の7月は好転の日がなく、8月初旬の好転の予報を信じて登ったのですが、登りも下りの雨に遭いました、それでも無事に19回目の登山も無事に帰ってくることが出来ました。
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10月の初めに百名山の雨飾山に登りました、天気は最高の青空で紅葉も奇麗でした、単独で登ったのですが、途中から関東方面から来られた9人のグループの仲間に入れて頂いて一緒に登りました、このグループの方々もすでにリタイヤされた登山グループのOBの方で、休憩の時の話題も合って楽しい登山が出来ました。

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春と秋には近場の山に登って季節の山野草を愛でて楽しい山遊びが出来ました。
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早春の頃と秋は渓流釣り、春から夏は海釣りを楽しみました、特に残雪期の釣りは長い冬が明け、久し振りに自然と触れ合える楽しみな釣りです。

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6月には友人とスリランカ旅行をしました、5年前に南アフリカへ旅行して以来の海外旅行でした。
ランカー島と云う小さな島国ですが、自然が豊かで仏教の歴史は日本より古い国です、豊かな自然や佛教遺跡を観てきました。

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それぞれの方が、それぞれの思いで過ごされた2013年が過ぎようとしています。
この一年、私の拙いBLOGに沢山の方々が訪問して下さって、気持ち球やコメントを頂きありがとうございます。
来年も気の向くまま、思いついたままの記事を書きたいと思います、今年同様によろしくお願い致します。

皆様にとって、新しい年が健康で素晴らしい年になられる事を願っています、良いお年をお迎え下さい。









郷愁の風景

2013年12月15日 | インポート
北陸地方は今月に入ってから不順な天候が続いていています、見上げる空は一面の鉛色で強風や雨、雷等を伴った荒天の毎日で、取り立てて記事に書く様な事がありません、そこで今日は以前に撮影した映像を紹介します。

東大宇宙線研究所が建設したニュートリノ観測施設のスーパーカミオカンデのある飛騨市神岡町の山中をたどった奥山に突如として開けた里があります、ここには神岡町に属している森茂、下之本、等の7集落があります、地図上には山之村と云う地名はありませんがこの地区を総称して山之村と呼ばれています、最近では山之村キャンプ場や山の村牧場などの名称がありますが地名としてはないようです。


山之村は「にほんの里 100選」に選ばれていて、天空の里とも言われています。
年配の方なら心の片隅に残っている望郷の風景が見られます、この里へ向かう峠から望む北アルプスの笠ヶ岳の眺望が好きで何回か訪れています、以前に撮影した映像を紹介します。
(アナログ撮影のポジからデジタル変換した映像です)

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裏山の木々は紅葉の最盛期を過ぎて晩秋の装いを見せています。
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雪に閉じ込まれる長い冬に備えて、沢山の焚き木が積まれていました。
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母屋の横に立つ建物は全面が板張りの「板倉」と云ってこの地方独特の倉庫です、ほとんどの家にあります。
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奥飛騨地方の独特なつくりの納屋兼作業小屋です、これも大きな板倉でしょうか,二階は養蚕をしていた頃の蚕室のようです。
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すでに収穫が終わった田園の先には、唐松の黄葉が夕日に美しく映えます。
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大根を収穫したら今年の農作業もお終いのようです、遠くに見える山は雪で真白に見えます、この里も雪に閉ざされる長い冬も間近なようです。
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耕す者が途絶えた耕作放棄地には、ススキの白穂が秋風に吹かれて白波のようにうねっていました。
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山之村に向かう山吹峠から望む笠ヶ岳の晩秋の装い、反対の穂高側から見ても笠の形に見えますが、こちら側からも美しい笠の形の稜線が見えます。
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郷愁の風景を見た後には、おなじみの「故郷の空」の演奏をしんみりと聞きたいところですが、今日はちょっと変わったスイング演奏でお聞きください。




石川県ではこのところ毎日激しい季節風が吹き荒れています、私の住んでいる地区は海に近いので風が強く雪雲は山手に吹き寄せられ、今日現在は積雪は観測されていませんが山手ではまとまった積雪があったようです、今日紹介した山之村もこの季節は雪に閉ざされていると思います。

ご訪問ありがとうございます。








金沢市街にクマ出没

2013年12月12日 | インポート
北陸地方は今週に入ってから、強風に雨や霙で荒れた天気が続いています、そんな中に地方新聞の紙面をにぎあわせている出来事があります。

一昨日の10日の未明、午前2時頃に金沢市の中心部の金沢城公園に面した神社の警報機が作動したので、確認すると体長が約1mの成獣のクマが居るのを宮司が発見しました。
宮司や通報で駆け付けた署員が近付くと、クマは高さ1mの柵を乗り越えて、金沢城公園に逃げました。
神社境内には足跡と、金沢城公園の高さ2mの塀に爪跡が確認され、公園新丸広場の北側で、木の実が混じったフンや足跡が見つかったようです。
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一昨日は金沢城公園を閉鎖して、猟犬を連れ、猟銃を手にした猟友会員と、警察犬や署員が動員して捜索に当たった、隣り合わせた兼六園周辺ではパトカーや署員が警戒にあたり、観光名所は終日、物々しい雰囲気に包まれていました。
周辺の小学校は集団で登下校をしています、近所の主婦は「早く捕まらないと子供が危ない、おちおち買い物にも行けない」と不安げに語っているそうです。


今日現在は金沢城公園の閉鎖解かれ、一部の区域を除いて開園し、兼六園も通常通り開園しています。
クマは公園外に移動したとみて、12日以降は周辺の緑地や川沿いを捜索しているようです。

今年の秋は山の木の実が予想に反して豊作になって、人里にクマの出没が少なかったのですが、この時期はクマは冬眠に入る時期で、本来は人里に出てくることは無いんですが、どうしたことでしょうね。

クマが山に帰ってこの一件が落着することを願います。

地方紙の三面記事を賑わせているクマは今はいずこにいるのでしょう、ご訪問ありがとうございます。





安宅の関跡と弁慶謝罪の地

2013年12月05日 | インポート
何年か前から定期的に診療を受けていた県立病院の主治医の先生が今年の春に定年を迎え、郷里に近い能美市立病院に着任されました、従来通っていた県立病院より距離的に少し遠くなります、長い間お世話になって私のこれまでの症状を良くご存じですので、能美市民病院に定期的に診療に行っています。
今日は3カ月ぶりの診察日で早朝に向かいました、診察が早く終わったので、近くの安宅の関跡を散歩し来ました。
病院を出て安宅の関に着くころには、小雨がフロントガラスを濡らしていました、安宅の関の駐車場で雨が止むのを5分ほど待ちました、雨が治まりましたが折りたたみ傘を持って歩き始めました。
入り口の弁慶の像です、現代になっても力持ちの象徴にされる弁慶は、大きな石を持ち上げています。
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関跡に続く松林の中の遊歩道はこの時期に尋ねる人もなく、霧雨の中に静か続いていました。
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安宅の関の入り口の門です、ここも人影は見えません、近くに犬を散歩させる人に出会っただけで、それ以外の人影は見えません。
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歌舞伎の勧進帳の名場面を再現したモニュメントです、九朗判官義経と弁慶、関守の富樫左衛門の歌舞伎十八番の名場面が再現されています。
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実際に関所があった所の石碑が立っています。
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与謝野晶子の句碑が有りました、
      松立てる 安宅の砂丘その中に 清きは文治三年の関
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関の小高い松の林の中に、安宅住吉神社があります、奈良時代の天応2年の創建になる歴史の古い神社です、境内には弁慶が勧進帳を読み上げる姿の銅像があります。
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海へ続く関の門です、門の横には与謝野晶子の句碑がたっています。
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この時期の日本海は波浪が荒れ狂う海ですが、今日は風もなく穏やかな表情を見せてくれます、空は北陸のこの時期特有の重苦しい鉛色の空です。
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安宅関より4~5㎞北へ行ったところに、弁慶謝罪の地があります、幹線道路を通ると案内看板が有るんですがいつも通り過ぎてしまって、一度も行った事がないんですが、今日は始めて寄って見ました。

その昔、この辺も松林で、道林寺と云うお寺が有って、義経一行は安宅の関で弁慶が一生一代の名芝居を打って危うくも関を通ることが出来ました、その後一行はこの道林寺に辿りつきました、そこで弁慶は主君を金剛杖で打ったことを涙ながらに詫びたと云うことです。
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石碑には、下記のように記されています
    弁慶謝罪の地
    時は文治3年(1187)2月10日のことである、源義経は、安宅の関所を
    弁慶と富樫との勧進帳の問答により無事通過することが出来た、
    その後、当道林寺で弁慶は「主を金剛杖で打った罪」を心から謝罪した。
    義経は「機智の働きは天の加護」と、その忠誠心を厚くねぎらったという。
    ここが伝承の地である。  
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弁慶謝罪のモニュメント。
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最後までご覧いただきまして、ありがとうございます、安宅の関の詳しい情報は以前にアップしました記事をご覧ください。
    http://naka-go.at.webry.info/201302/article_3.html