伊谷半次郎の像です。
どんな人物かは「北海道歴史人物事典」(北海道新聞社編)から。
1889(明治22)~1970(昭和45) 公選初代の北見市長。滋賀県出身。23歳の時に北海道に渡り、野付牛村(現北見市)で衣料行商を振り出しに伊谷呉服店を創業した。1923年(大正12)野付牛商業会議所会頭。町会議員、市会議長を経て1946年(昭和21)官選市長、翌年の初の市長選挙で市長となり、1963年(昭和38)まで4期市政を担当。「大物市長」として北見市発展の礎を築いた。当時東急社長の五島慶太をくどいて1億円を寄付させ、国立北見短期大学(現北見工業大学)を誘致した話など逸話も多い。1962年全国市長会副会長。その業績をたたえ、屯田公園に銅像が建立されている。北見市名誉市民第1号。
作者は、日展会員の中野五一。
安直ですが、同じ本から。
1897(明治30)~1978年(昭和53) 彫刻家。富山県高岡生まれ。その後小樽に移住。小樽商業学校を卒業。最初、画家をめざしたが、その後彫刻に転向。1920年ごろに上京。小倉右一郎に彫刻を学び、構造社展に出品、1933年(昭和8)には「虎視」(北海道立近代美術館蔵)が構造賞を受け、後に会員。文展無鑑査を経て、太平洋戦争後は日展に出品、会員となった。また小樽在住、出身作家で結成された北方美術協会(1936年結成)にも出品を続けた。師の作風を受け継いだ手堅い写実的作品が多い。北海道には小樽・手宮の「クロフォードの像」などのモニュメントのほか、アイヌ民族の像などを残している。
裏側の碑文も文字おこししておきます。〓は解読できませんでした。
北海道開発の夢を抱いて 明治四十五年青年伊谷半次郎氏は
その生地近江より遙か朔北のこの地に歩を〓し肥沃な北見の
山野に明るく豊かなこのまちの未来像を描いて墳墓の地と
定めた 爾来孜々営々と実業に励み またよく公事に尽し
昭和二十一年市長に就任以来十七年間 悠遠宏大な構想の
実現に情熱を傾け 果敢な実行力により異数な市政の
進展を見る 市民その功績を讃えて名誉市民の称号を
贈り 永くこれを後世に遺す
昭和三十九年十一月
北見市長 瀧野啓次郎
旧字、略字混在していたので、新字に統一してあります。
図書館、市民会館などがある、北見の都心部で最も大きい公園です。
中野五一「松浦武四郎蝦夷地探検隊」 釧路の野外彫刻(12)