森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

村山聖の思い出のメモ 

2016-12-20 15:31:30 | 村山聖


シネピピア「聖の青春」のパンフレット販売窓口にて‥

私のメモが出てきた。村山聖の思い出を語る何かの原稿を書くときのようだ

①梅田に映画に一人で行く。9時に出て10時に着いて(普通だと10分くらい)見ているはずが12時過ぎに電話がかかってきて。映画館がわからずに帰る。

②月2回の土曜日に京橋の正棋会に連れて行き、私が稽古を終えると立ち寄って一緒に帰ってきた。

③電話の応対は「どこどこさんのだれだれさんから電話がありました」これではさっぱりわからない‥

④中学校の保護者参観に行った。

⑤中学の昼食は給食がなかったので、ほぼうどんだった。

⑥主治医の先生から‥病気の割に元気が良すぎて、動きすぎと叱られていた。

⑦中学校を卒業してしばらくして前田アパートに一人住まいする。これには意表を突かれた。

⑧夜髪を洗いに私の部屋に来て、風呂に入るときは二重にカギをかけた。ラーメンを作ってやる。

⑨藤沢周平の文庫本を2冊もらった。

⑩何か言うと「ウッ」と漫画的に返事をした。

⑪前田アパートは戸を叩いても出ない‥10分から20分でようやく出た。

⑫夜誰かが泊まりに来るとこっそり覗いてなかなか寝なかった。

⑬北海道に一人で旅行する。寒くてホテルから出なかった。歩きすぎたこともあって懲りたようだ。

⑭退院の前に、車いすで歩行練習を手伝った。

⑮師匠の私が理事会に呼ばれる。不戦敗が多く‥注意される。

⑰梅田の電気屋さんに私と一緒に行ったとき、二人とも怪しまれる?その場に神吉七段がいて助かった?

⑱そのとき本屋にも連れて行ったが、私が長いのでいやがられた。

⑲H8年T先生の葬儀の帰りに二人で鶴橋の焼き肉に行ったとき、血尿の話が出た

⑳同居の時に電話があると「ハイ森です」と答えていた。

21 何かを断るときは「師匠が」というように教えていた。

22 洗濯をさせるとビショビショで干していた。

23 ときどきお母さんから宅急便で「焼き魚」が送られてきた。

24 ときどきマッサージをしてもらっていた。結構力が強いのだ。

25 奨励会旅行で日本人形をもらったが、震災で無くしてしまった。
コメント (1)
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