森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

親友来訪 11、28

2014-11-28 21:22:53 | 逃れ将棋
 熊本から親友のF君ご夫妻が来訪。清荒神市場の中の居酒屋で夕食の後で、見送る。電車に乗った二人を撮った。昔なじみの親友の来訪はとってもうれしい。
 妻がブログでF君ご夫妻が我が家に来てくれた2005年の頃の日記を読むのを聞きながら、懐かしく思った。歳月の早さに驚くが、変わりなく通じるものがある親友はありがたい‥

 2005年9月の日記である。弟子の懇談のことが書いてある。今もこの心情は変わりない‥

<9月は週末になると奨励会入会希望の弟子の親との懇談があった。年に1回だけ家に来てもらって、試験の結果の状況や今後の進路を話し合うためだ。
 弟子入りに来たとき、たいてい「うちの子は将棋しかありません」と言うのだが、私は信用していない。順風満帆のときはいいが、逆風や危機のとき、同じセリフは出てこないからだ。たとえば心に余裕のあるときと、切羽詰ったときに同じ心境でいられることは無いのと同じだ。言葉にウソはなくても、人の心は流動的で、心にも光と影、表と裏がある。あてにならない。
 弟子の将棋を強くするために師匠があるのではない。弟子が強さだけでなく、謙虚さとともに、自分で道を切り開く糧になりたいと思うが、現実はそのレベル以前で「弟子を全員辞めさせて下さい」と言った村山聖の言葉が浮かんでくる・・・
 「決心はたやすいが、日々の生活も流されやすい」のだ。
 
 心の中で、泣きながら将棋を指す、というような感性はもう古いのだろうなあ。
 現代は棋士の存在価値、魅力が問われる時代だと思っている。でも、そこに今風の勝ち感覚のみだけなら、私には興味がない。人を惹きつけるものは、人の生き様だと思うからだ。
 ほぼ懇談を終えて、ほっとした反面、これから弟子に対してどうしようかと思案に暮れる。頼り無い師匠である。>
 
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朝の日課、詰将棋作り

2014-11-28 09:06:15 | 将棋あれこれ
 毎朝の日課がクロと金太郎の餌やりだったが、金太郎だけになったので余ったその時間は寝っころがって詰将棋を作っている。私の場合は無意識にその姿勢になる。この盤はいただいたものでネーム入りだ。この駒は児玉龍児さんのでなくて、普通に教室で使っているものだが、「桂」を無くして仕方なく「キーホルダーの桂」を使っている?
 金太郎が咥えて持って行ったのか、寝転んで扱っているのでなくしてしまったのか、定かでない‥
 盤面のこの作は冴えないので使えない‥でもこういう問題からスタートして頭をほぐしていく。
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