森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

椿三十郎

2006-01-12 21:32:58 | 日々の写真
今日はポカポカ陽気で、春を思わせる暖かさだった。送迎を待つ間、西宮K病院の敷地内で、猫柳や椿の写真を撮る。猫柳は春近しの蕾がふくらみ、椿も真紅の色彩が空に向かって映えていた。
 黒澤明監督の「椿三十郎」は何十回と観た映画だ。最後の方で、隣につながるせせらぎに、真っ赤な椿が流れ出したら踏み込めという合図のシーンが印象に残っている。また椿三十郎が決闘で一撃の元に相手を倒したとき、若者が「お見事」と言うとすかさず「馬鹿者!」と怒鳴ったシーンも痛快だった。
 頭でっかちの若者の軽い言葉の中の、生ぬるい精神に喝をいれたのだ。この映画は時代劇だが、今も似たようなドラマが演じられているような気がしてならない。
 「お名前は?」と聞かれて、「椿三十郎」(とでも言っておこうかのニュアンスだ)と名乗るのがカッコよかった。
 
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阪神大震災

2006-01-12 00:04:56 | 日々の写真
阪神大震災から2,3週間後に、仮住まいしていた大阪から宝塚に戻ってみた。 当時住んでいた清荒神のマンションから必要なものを持ち運び、その後で家の近くから隣町あたりを歩く。このとき写真を撮るかどうか迷った末に、目をつむって記録に残しておこうと決めた。意味があるかどうか、それはわからない。
 あちこちで建物が崩壊している姿は、本当に何が起きたのだろうと、唖然としながら声もない。ただ、今まで存在しているものが、こんなにももろいものなのかと思った記憶がある。
 亡くなった弟子の船越隆文君の崩壊したアパートは、どうしても撮れなかった。
一見何でもないマンションが、よく見ると一階が消えていたり、瓦礫が氾濫して近づけない家もある。こういった現実を目の当たりにすると、どんな言葉も意味をなさない。
 震災から十年以上過ぎて、このフィルムを見るのは初めてだった。おそらくもっと悲惨な現場もあるだろう。私にはこれが限界だった。
 写真は記録だなと思う。記録は現実を物語り、現実は記録や記憶が薄らいでいくのかもしれない。
 正月が過ぎて、どこか精神的なバランスに偏重をきたしそうになるのは、震災の日が近づくせいかもしれない。無意識にからだが何らかのいらだたしい反応をする。
 そうすると、普段の悩ましいいことが、どうでもいいじゃないかと思えて来たりするのだ。
 何事もなかったかのように、日常が日々平凡に過ぎていく。
 
 
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