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森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

村山聖の写真

2012-04-21 00:51:14 | 村山聖
 村山聖の詩仙堂の写真はほとんど掲載したつもりだったが、この写真は初めてかもしれない。似たようなカットで撮っているのに、表情がまるで違う。この写真は割と余裕がある感じで、どちらかいうと機嫌は悪くない。
 今までもそうだったが、村山聖の写真を見たいときは、私があまりいい精神状態のときでないことが多いようだ・・もう一度自分をみつめなおす・・そんなときかもしれない。
 癒されたいというのではないが、やはりどこか心がくたびれているときなのだろう。
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村山聖の写真嫌い

2012-02-29 08:30:05 | 村山聖
1978年正月の京都である。左上は野間五段、左下が浦野七段、右上が増田六段である。この頃は正月に京都に向かい、長く入院されていた師匠のお見舞いに行ってから初詣に行っていた。懐かしい写真だが、顔を伏せているのが村山聖九段である。
 「魂を吸い取られますから」と言って写真を嫌っていた‥このときの村山聖の着ているセーターは私のもので、私が今もときどき着ている・・
 
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市山ハイツ跡

2011-11-28 22:06:16 | 村山聖
 村山聖と一緒に住んでいた「市山ハイツ」の跡地はすでに何代目かの?ビルが建っていた。この左手角にコンビニがあった。村山聖に5千円をわたして買い物を頼んだらおつりが間違っていた。「あれれ?なんで」「はあ、よくわかりません」私がコンビニに行って説明したが結局ウヤムヤになってしまった。大淀に移って山崎七段が内弟子のときも同じようなことがあった‥
 何も考えていない?アテにならない?のが共通点だろうか?今はどちらもいい思い出である。
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村山聖 大阪城にて

2011-08-12 08:41:46 | 村山聖
 この日撮った写真はいっぱいあって、似たようなカットなのだが微妙に表情が違う。村山聖の人間性の深さだろうか?
 今も弟子に対して、案外、私は言いたいこともほとんど言わないことが多い・・できるなら爆発したくないのと、暴発になる恐れもあるからだろうか?お互いにプラスになるようにしたいからである。自己満足は意味がないのである・・
 見守るという言葉には幅があって、逃げ腰の面と許容範囲の広さの面、そして秘かな期待もあるのだ・・しかし弟子に限らず(自分も含めて)たいてい裏切られてしまうのも現実だろうか・・
 やはりときどき村山聖に無性に会いたくなる・・いやがられるかなあ・・
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2,008年8月8日村山聖のお墓参り

2011-08-11 07:59:34 | 村山聖
 この日は村山聖九段の命日で、弟子全員でお墓参りに行った。2008年8月8日だったが、実はチビはこの前日に我が家に引き取ったのだ。
 それも何かの縁のような気がしている・・
 なかなか全員そろっていくのは大変だが、またお参りに行きたいと思う・・
 私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、やりきれなさ、口惜しさ・・その思いをすべて、黙って将棋にぶつけていたような気がする・・
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村山聖の子どもの頃の日記

2011-05-10 06:29:28 | 村山聖
 数年前の劇団コーロの「聖」(今は公演もなくなった)のプレイベントで、お父さんが宝塚に来られてふぁみり劇場の人ににお話しのときに日記帳を見せてもらったときは、驚いた。子どもの頃に何故将棋が強くなったのか、その理由のひとつが入院中の猛勉強だったのだ。毎日、6、7時間と書いてある日がほとんどだった。
 勉強でなくて、普通の日課になっていたのだろう・・努力とか勉強とか言っている間はダメな気がする・・日記帳にはそう思わせ生々しい迫力があった。
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村山聖にもらった人形

2011-04-22 06:05:59 | 村山聖
 一度どこかで掲載した写真だが、これはかっての大淀に住んでいた頃のものである。村山聖が私の家に来て漫画の本を読んでいる。その奥の三段ボックスの上に日本人形がある。それは確か奨励会旅行で静岡あたりに行ったときに、何故か村山聖がお土産で買ってきてくれたのだ。
 
今思うと、全く女っ気がない師匠の私に、早くお嫁さんをの意味だったのか?そのときにきいても答えてくれなかった。
 この人形は宝塚に引越したときに持ってきたのだが、阪神大震災のときになくしてしまったのが残念である。

 村山聖が私の部屋に来るのは、別に用事もないときが多かったが、頭を洗いにくるのが目的だったかもしれない。関西将棋会館から一緒の方向に戻るとき、「寄っていくか?」「はい」そういう感じだった。あるいは次の一手の検討の依頼だった。

 棋士になってからは、なるべく干渉しないようにしていたが、体調を崩して対局の不戦敗のときは、仕方なく?どう対応するかアドバイスした。そういうときは腹をくくって向き合った。
 そうでないと頑として自分の意志を曲げないからだ。意志を曲げさすのなくて、そのときの最善策を一緒に考えて決めさせる・・そういう意図だった。

 基本的に今でもそうだが、私は弟子といえども人に深く関わるのは苦手である。弟子と言えども、また年齢差があっても、対等の付き合いが好きなのだ・・できればみんな何とかやっていってほしい・・でもやはりきつく言わないと気づいてくれないこともあるのだが・・
 自然の流れでどうなろうともしょうがないのが人と人とのからみである。師弟関係も、私に関していうと、将棋の世界の範囲での師匠と弟子と思っている。その分、できるだけ信頼して任せたいのが本音である。自分の力で切り開いて育っていってほしいのだ・・

 村山聖との出会いは、いろいろ考えさせられて、自分の生き方にも大きな影響があったように思う。「村山君と関わってからはなあ、わしはなあ百勝は損したと思うで・・」冷やかしでそういうと、困ったような呆れたような表情で「はあ?」と返事があった。その間合いが村山聖流なのである。
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村山聖 大阪城にて

2011-04-21 06:15:04 | 村山聖
 村山聖を撮った写真は割と少ない。このときのものは仕事からみだったので?枚数が多い。同じカットが多いのだが、村山聖は表情と雰囲気が微妙に異なる幅があるので、被写体としての魅力も満載だった。ちょうど今の金太郎?のように、毎日でも撮ってみたいものがあった・・
 弟子というだけでなくて、弟子というよりも、その存在に(手を焼きながらも)ひきつけられるものがあったように思う。
 人間同士なので、きっと長生きしていると、師匠の私がカッカしたり、呆れたりすることもあっただろうが(逆ももちろんである)将棋が弱くなった村山聖の姿を見たかった・・これは私の本音である。カッコ悪い姿をさらすのも人間的なのでいいのだ・・
 意地悪なようだが、例えば一緒にトランプすると生意気だったし、一緒に麻雀を囲むと私が目の敵にされた?それでふたりとも負けて帰るので、「あのなあ、どちらか勝った方がええやろう」と諭すのだが、頑として譲らず共倒れのパターンばかりだった。
 こういうところも不可解?だった。
 村山聖への私の対抗策はひとつで「あのなあ、偉そうな口をきくのは、谷川さんや羽生さんに勝ってからにしいよ」「ウッ」とうなって、このときだけは師匠の勝ちに終る。
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村山聖 詩仙堂

2010-11-12 00:07:39 | 村山聖
 これも京都の詩仙堂の一枚である。このときは似たようなカットも多いが、村山聖の写真をいっぱい撮っている。今観ても、弟子としてよりも私のカメラには魅力ある素材だった。
 どちらかいえば、つらくなると村山聖のことを思い出すようだ。懐かしさもあるが、自分のこれから歩く道に迷いがでているときなどだろうか。泣き言を聞いてほしいようなものかもしれない。
 村山聖と深夜に歩いて一緒に帰ったことが何度もあるが、ふたりともしゃべらないでトボトボだった。「それじゃあな」「はい」きちんと返事をして別れた。
 悩みをいっぱい抱えているのは変わりない・・
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村山聖の詰め将棋ノート

2010-11-01 05:03:13 | 村山聖
 これは村山聖が私の所に来たときにみせてもらって、それからそのままま預かった「詰将棋ノート」である。返すの忘れたままになっていたのだが、多分私にみせて気恥ずかしくなって?お互いに忘れてしまっていたのだろう。亡くなったときにご両親に返そうとも思ったが、大事に持っておこうと決めさせてもらった・・
 そのときも内容よりも、字の力強さと将棋への熱っぽさを感じた。私が村山聖を好きなのは、将棋が強くなったことでなくて、将棋を強くなろうとした生きる熱みたいなものに共鳴したことのように思う。それが自分にはないものだったと、漠然と感じていたのかもしれない。
 今もグチや泣き言をいっぱい言いたくなるが、そういうものをはるか遠くに投げ捨てて、純なものを追いかける気持ちを持ちたい・・
 そういう心にさせてくれるものが、このノートにはあるのだろう。
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村山聖の色紙

2010-10-26 21:35:12 | 村山聖
 ここ数日、少しずつ部屋の整理をしているが、そのときに出てきたのがこの色紙だ。私と妻の結婚式のときに書いてもらったと思う。心のこもった「お幸せに」と「七段村山聖」の書である。
 ともすると元気をなくしそうな日々だが、自分がブレてぐらつくわけにはいかない。向こうに行って村山聖に会ったときに叱られるわけにはいかない・・と思うのだった。
 今の弟子の状況を見て、村山聖ならどう思うだろう?いつもそれを考えながら自問自答している。「みんな冴えませんね」「冴えんなあ」そんな会話をするのかなあ・・
 
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第9期将棋怪童戦

2010-07-29 06:40:56 | 村山聖

 第9期村山聖杯 将棋怪童戦

日時:平成22年8月22日(日曜)受付8:40~ 開会9:30

会場:安芸府中生涯学習センター くすのきプラザ

 広島県安芸郡府中町本町1-10-15

部門 小学低学年 高学年 中学生 高校生

    各クラス怪童戦と級位戦(高校生は怪童戦のみ)

会費 500円

申し込み ハガキかFXまたはメールで、住所、氏名、学校名、学年、電話番号、棋力、希望の予選(怪童戦か級位戦)を記入して下記まで

 〒730-0854 広島市中区土橋町7-1中国新聞企画サービス「村山聖杯」係

 ℡082-236-2244 Fx082-294-0804

 mail evenet5@-kikaku.co.jp

締め切り 8月13日(金)必着

 ☆第9期になった怪童戦は、毎年この時期に開かれています。私は第1期に出席して、以降は山崎七段を中心の広島出身棋士がゲストで協力しています。いつまでも続いてほしいイベントです。来年の第10期は森一門で是非とも駆けつけて協力したいと思っています。今までの優勝者には弟子もいます。

 村山聖の名のついたイベントがあるのはうれしい限りです。関係各位の方々に感謝いたします。

 是非ともご参加下さい。

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村山聖の想い

2010-07-19 22:48:07 | 村山聖
 この写真は京都の詩仙堂でのものだが、この村山聖は闘病のときにときどき見せていた表情である・・「病気でなければ、村山さんはもっと勝っていましたよね?」こう聞かれることがあるが、私は病気を抱えていたからここまで強くなったと思う・・もちろんこういうことは神のみぞ知ることなのだろう。
 人生は知らない間に自分の行く道を選択していて、知らない間に後悔したり、納得したりしながら、どこかにたどり着いていくようなものだろうか。見えないことやわからないもことも多いが、何となく想いは誰かに伝わっていくもの・・そんな気がする。
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村山聖の表情

2010-07-18 21:45:38 | 村山聖
 滅多に撮れない村山聖の写真だが、この大阪城のシリーズでは昇段を決めた(六段?八段?)次の日に連れて行った。将棋世界からの依頼だったので、渋る村山聖を説得した。「あのなあ、好きで弟子の写真を撮る師匠がどこにおるんや?頼まれたから撮るのやからなあ」前日の夜も福島界隈を歩いて撮ったはずだ。そのフィルムもどこかにあるだろう?
 実際は村山聖は被写体として最高だった。頼まれなくても撮りたかったのだ。私にとっていい口実だったのだ。
 今思うと、村山聖にとって人生のひとつの儀式が終わって、ひとつのヤマを超えたときだったのだろう。撮り始めた頃は憂鬱そうで面倒な表情だったが、次第にいい表情になってきた。あきらめると物分りがいい?でもこれが最大の師匠孝行だったのかもしれない。
 
 
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京都にて

2010-02-24 07:37:28 | 村山聖
 京都にての村山聖である。この日のいっぱいの写真は、ふたりで京都でのイベントまでの時間に無理やり詩仙堂に連れていって撮ったものだ。一枚一枚の写真は、今でも自分の心が疲れてくると癒される想いである。
 初めは嫌がっていい表情でない・・そのうちにどうでもいいやと思うのだろう、カメラを意識しなくなる。これはまだ面倒くさがっている表情だが、これだけ正直にでるのも面白い。これは小言をいう師匠に対するものと同じで、ぶつぶつうるさいなあと思っているのだろうか。
村山聖にはけなげさがある。
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