先日も述べましたように、11月16日から南武線205系の最後のオリジナル編成でもあるH39に「南武線→海外譲渡」と書かれたヘッドマークが付けられ、11月30日より沿線の子どもたちが描いた205系の塗り絵が車内に飾られていましたが、12月6日の1865Fの運行をもって営業が終了しました。これでオリジナル編成は引退することになり、205系としては先頭改造車のH46が残るのみとなりますが、先日の横浜支社からの発表にあるように来年1月9日に「ありがとう運転」と題して、205系のさよなら運転が予定されていますので、南武線本線上の205系の営業運転は残すところあと1ヶ月となりました。
ということで、205系の活躍もあと僅かとなりましたが、私は先頭改造の編成は好みではなく、オリジナル顔の編成のほうが好みであり、昨日6日のH39編成の最終営業によって、私の南武線205系の歴史も終止符を打ったものと感じておりますが、このH39の勇姿を撮影すべく、南武線沿線に頻繁に出没していました。
ヘッドマークが掲示された11月16日から12月6日にかけての3週間、時間があるたびに南武線沿線に行ってみましたが、E233系との並びは1度で良いから撮影したいということで、平日朝、向河原で撮影していたところ見事に並んでくれました。
続いて、12月5日と最終日の6日は中原電車区の計らいでしょうか、通常、ジャカルタへ譲渡される編成は新津へ配給されるちょうど1週間前の金曜日が営業最終日となりますが、記念列車の運行ということに対して特別に01F、65Fと日中運用に充当していただきましたので、私もたまたま仕事が忙しくなく思う存分撮影してみました。
5日は前日夕方の25Fの運用を引き継ぎ、武蔵中原駅滞泊の翌日01Fに充当される予定でしたので、多摩川橋梁に行ってみましたが、天気が良く、紅冨士の姿も見えましたので、ツーショットということで撮影してみました。
休日の01F(コロイチ)運用は全て各停列車であり、快速に充当されないことから、これも私の昔からの定番ですが、矢向駅の通路から鹿島田周辺や武蔵小杉周辺の中高層ビル群とのツーショットということで撮影してみましたが、この季節、影が長いことから車両の左はじが影になってしまいました。
その後、午後3時頃に川崎駅を折り返すため、立川方の顔も撮影すべく柳町踏切へと行ってみましたが、この季節、この時間では車両の側面に日はあまり当たらず、真っ正面に日があたるような感じでした。おそらく30分遅くなると影が障害となるため、この季節ここでの撮影は難しいのかもしれません。
最終日の6日は、この日も天気が良く、富士山も見えましたので、多摩川橋梁で下り列車と富士山を入れて上の写真のように撮影したのち、上り列車も撮影してみましたが、予想どおり50人以上の大勢のギャラリーが撮影されていました。私はこのヘッドマークをできるだけ目立つようにということで線路際に近い所で撮影しておりましたが、大半の方々は私よりもおおよそ50mの所で撮影されていました。もう少し線路から遠ざかったところで撮影したほうが良かったのでしょうかね?
ここをあとにするとすぐに登戸~中野島間の河原第3踏切付近で撮影すべく、スクーターで直行しました。この日の午前中も天候に恵まれ、列車の通過時間を考えると光線状態も良いと考えていましたのでここを選びましたが、この65F運用は日中において、立川→川崎が快速に3回も充当されますので、「快速」表示も撮影できるのが目玉です。
その後も沿線各地で撮影し、最後の最後の立川→川崎の1764Fと川崎→武蔵中原の1865Fは乗車し、最後の記念ということでMT61のモーター音などを録音して楽しんでおりましたが、やはり私と同じように録音されている方々も多く見られ、最後の乗車を堪能されていたようです。
川崎に到着すると跨線橋から1枚撮影しておこうかということで思っていましたが、やはり他の方も同じようなことを考えているようで、私もヲタの1人だとあらためて認識した思いです。(他の方から見れば私は立派なヲタなのでしょうね。それもいい年のオヤジが)
最後の最後の1865Fも南武線ファンとしては乗車すべく、2004年12月16日の川崎→武蔵中原の最終営業の103系に乗車して最後のお別れをさせていただのをはじめ、つい最近では南武線生え抜き205系の最終営業のH12にも乗車したのですが、103系でさえも車掌からなんの労いの言葉やお別れを乗客に告げる案内もなく、ひっそりと営業を終了してしまいました。この1865Fにおいては武蔵小杉を出発したあと、車掌から詳細なアナウンスについては他の方のブログ、ウェブサイトなどをご覧いただければと思いますが、「本日をもちまして南武線の営業運転から引退し、今後は海を渡り、ジャカルタで走り続けます。~ また、この電車との想い出もお持ち帰りいただけたら幸いでございます。」という労いの言葉がありました。(矢向車掌区では4日夕方の運用から駅間の長い区間で、このような案内がされていたようです)
武蔵中原到着後、多くのギャラリーは下りホームの立川方に集結し、「ありがとう」や「お疲れ」などと入庫する列車に叫んでおられたみたいですが、私はひっそりと上りホームの川崎方でH39が去って行く様子を眺めておりました。
南武線オリジナルの205系編成の営業が終了するとともに、私にとってはイケメンとも言えるカッコイイ顔の205系が見れなくなるのは寂しい限りですが、来年1月のジャカルタ訪問の際には、またお会いできると思いますので、言葉を投げかけるのであれば「Selamat jalan. Mari kita bertemu di Jakarta」(さようなら。ジャカルタでお会いしましょう)と心の中で呟いております。
ということで、南武線とKCJとの共同企画である第1弾コラボレーションが終了しましたが、第2弾はH39編成の車内に掲示されていたように、南武線沿線の子どもたちの絵がジャカルタにおいてもそのまま掲示され運行される予定ですが、ヘッドマークについても海上輸送等の際においては障害になるため一時的に取り外されるものの、ジャカルタ到着後、転入整備を経たのち約1ヶ月間はこのヘッドマークを再度取り付けて運行される予定のようですので、私も1月の訪問時にこの姿を見ることができることを大変楽しみにしております。(前回のブログの記事ではいろいろと私自身の企画を書いてみましたが、どうもやらなくて済むようです。)
最後にそのイメージだけでもということで、H39に取り付けられていたものをKCJ仕様の元南武線編成に取り付けてみました。おそらくこのような姿になるのではないかと思いますが、私個人的にはKCJ仕様ではない南武線オリジナルの姿で取り付けてもらえると嬉しいのですが、それはないかもしれませんね。
また、Nambu線からNambo線でシャレにもなりませんが、運行されると面白いかもしれません。実際、1日、Nambo~環状線のDuri間に3往復の設定があり、元ハマ線の8両編成が充当されているようですので、ここへ南武線の編成が充当されることもありえるかもしれません。
ということで、205系の活躍もあと僅かとなりましたが、私は先頭改造の編成は好みではなく、オリジナル顔の編成のほうが好みであり、昨日6日のH39編成の最終営業によって、私の南武線205系の歴史も終止符を打ったものと感じておりますが、このH39の勇姿を撮影すべく、南武線沿線に頻繁に出没していました。
ヘッドマークが掲示された11月16日から12月6日にかけての3週間、時間があるたびに南武線沿線に行ってみましたが、E233系との並びは1度で良いから撮影したいということで、平日朝、向河原で撮影していたところ見事に並んでくれました。
続いて、12月5日と最終日の6日は中原電車区の計らいでしょうか、通常、ジャカルタへ譲渡される編成は新津へ配給されるちょうど1週間前の金曜日が営業最終日となりますが、記念列車の運行ということに対して特別に01F、65Fと日中運用に充当していただきましたので、私もたまたま仕事が忙しくなく思う存分撮影してみました。
5日は前日夕方の25Fの運用を引き継ぎ、武蔵中原駅滞泊の翌日01Fに充当される予定でしたので、多摩川橋梁に行ってみましたが、天気が良く、紅冨士の姿も見えましたので、ツーショットということで撮影してみました。
休日の01F(コロイチ)運用は全て各停列車であり、快速に充当されないことから、これも私の昔からの定番ですが、矢向駅の通路から鹿島田周辺や武蔵小杉周辺の中高層ビル群とのツーショットということで撮影してみましたが、この季節、影が長いことから車両の左はじが影になってしまいました。
その後、午後3時頃に川崎駅を折り返すため、立川方の顔も撮影すべく柳町踏切へと行ってみましたが、この季節、この時間では車両の側面に日はあまり当たらず、真っ正面に日があたるような感じでした。おそらく30分遅くなると影が障害となるため、この季節ここでの撮影は難しいのかもしれません。
最終日の6日は、この日も天気が良く、富士山も見えましたので、多摩川橋梁で下り列車と富士山を入れて上の写真のように撮影したのち、上り列車も撮影してみましたが、予想どおり50人以上の大勢のギャラリーが撮影されていました。私はこのヘッドマークをできるだけ目立つようにということで線路際に近い所で撮影しておりましたが、大半の方々は私よりもおおよそ50mの所で撮影されていました。もう少し線路から遠ざかったところで撮影したほうが良かったのでしょうかね?
ここをあとにするとすぐに登戸~中野島間の河原第3踏切付近で撮影すべく、スクーターで直行しました。この日の午前中も天候に恵まれ、列車の通過時間を考えると光線状態も良いと考えていましたのでここを選びましたが、この65F運用は日中において、立川→川崎が快速に3回も充当されますので、「快速」表示も撮影できるのが目玉です。
その後も沿線各地で撮影し、最後の最後の立川→川崎の1764Fと川崎→武蔵中原の1865Fは乗車し、最後の記念ということでMT61のモーター音などを録音して楽しんでおりましたが、やはり私と同じように録音されている方々も多く見られ、最後の乗車を堪能されていたようです。
川崎に到着すると跨線橋から1枚撮影しておこうかということで思っていましたが、やはり他の方も同じようなことを考えているようで、私もヲタの1人だとあらためて認識した思いです。(他の方から見れば私は立派なヲタなのでしょうね。それもいい年のオヤジが)
最後の最後の1865Fも南武線ファンとしては乗車すべく、2004年12月16日の川崎→武蔵中原の最終営業の103系に乗車して最後のお別れをさせていただのをはじめ、つい最近では南武線生え抜き205系の最終営業のH12にも乗車したのですが、103系でさえも車掌からなんの労いの言葉やお別れを乗客に告げる案内もなく、ひっそりと営業を終了してしまいました。この1865Fにおいては武蔵小杉を出発したあと、車掌から詳細なアナウンスについては他の方のブログ、ウェブサイトなどをご覧いただければと思いますが、「本日をもちまして南武線の営業運転から引退し、今後は海を渡り、ジャカルタで走り続けます。~ また、この電車との想い出もお持ち帰りいただけたら幸いでございます。」という労いの言葉がありました。(矢向車掌区では4日夕方の運用から駅間の長い区間で、このような案内がされていたようです)
武蔵中原到着後、多くのギャラリーは下りホームの立川方に集結し、「ありがとう」や「お疲れ」などと入庫する列車に叫んでおられたみたいですが、私はひっそりと上りホームの川崎方でH39が去って行く様子を眺めておりました。
南武線オリジナルの205系編成の営業が終了するとともに、私にとってはイケメンとも言えるカッコイイ顔の205系が見れなくなるのは寂しい限りですが、来年1月のジャカルタ訪問の際には、またお会いできると思いますので、言葉を投げかけるのであれば「Selamat jalan. Mari kita bertemu di Jakarta」(さようなら。ジャカルタでお会いしましょう)と心の中で呟いております。
ということで、南武線とKCJとの共同企画である第1弾コラボレーションが終了しましたが、第2弾はH39編成の車内に掲示されていたように、南武線沿線の子どもたちの絵がジャカルタにおいてもそのまま掲示され運行される予定ですが、ヘッドマークについても海上輸送等の際においては障害になるため一時的に取り外されるものの、ジャカルタ到着後、転入整備を経たのち約1ヶ月間はこのヘッドマークを再度取り付けて運行される予定のようですので、私も1月の訪問時にこの姿を見ることができることを大変楽しみにしております。(前回のブログの記事ではいろいろと私自身の企画を書いてみましたが、どうもやらなくて済むようです。)
最後にそのイメージだけでもということで、H39に取り付けられていたものをKCJ仕様の元南武線編成に取り付けてみました。おそらくこのような姿になるのではないかと思いますが、私個人的にはKCJ仕様ではない南武線オリジナルの姿で取り付けてもらえると嬉しいのですが、それはないかもしれませんね。
また、Nambu線からNambo線でシャレにもなりませんが、運行されると面白いかもしれません。実際、1日、Nambo~環状線のDuri間に3往復の設定があり、元ハマ線の8両編成が充当されているようですので、ここへ南武線の編成が充当されることもありえるかもしれません。