Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

フィリピン国鉄(PNR)、マニラ首都圏の状況について

2024年02月21日 02時03分00秒 | フィリピン
一昨日はフィリピン国鉄(PNR)のBicol地域の状況について、昨日はCalabarzon地域の状況について述べていきましたので、最後はマニラ首都圏について簡単に述べていきたいと思います。

先日も述べましたとおり、私は昨年7月末と今年1月中旬にフィリピンに訪問し、2度の訪問でフィリピン国鉄の状況を見てまいりましたが、マニラ首都圏においては南北通勤鉄道(NSCR)の建設工事を加速するため、各メディアの報道によりますとPNRは2024年1月中旬を目処に運行を中止するという報道を受け、運行最後のXデーを1月15日と仮定し、最後の活躍する姿を撮影すべく1月11日に東京からマニラを訪問しました。しかしながらそのXデーが過ぎても現在でも運行されており、いったいいつになったら最後の運行を迎えるのかまったくわかりません。
マニラ首都圏の運行状況としては下の地図のとおりで、列車の運行体系として1つはTutuban〜Alabang間、もう1つはTutuban〜Gov.Pascual〜Bicutan間、そして現在では運行が中止されているTutuban〜Bicutan間の3つのルートで、Alabang〜Calamba間については昨年7月より順次運行が中止され、現在、この区間では工事を推進すべくレールが一部撤去されています。


また、基本の1日の運行本数は今年1月12日までは、Tutuban〜Alabang間が28本、Tutuban〜Gov.Pascual間が4本、Gov.Pascual〜Bicutan間が4本、Tutuban〜Bicutan間が2本の合計38本でしたが、13日から下の表のようにデータイムを中心に徐々に運行本数が削減され、1月20日から2月10日頃までは26本まで落ち込みましたが、ここ最近では4本増えて合計30本になりました。
昨年から今年1月12日までの基本が38本で、データイムはおおよそ1時間置きの運転間隔であったものの現在では2時間〜約3時間半置きというのは淋しいものになってしまいました。

続いて車両についてですが、Tutuban〜Alabang間に充当される車両は昨年7月下旬では203系とDMU8100系が使用され、今年1月中旬においては203系のみが使用されていました。


203系で使用可能な編成は下の編成表のとおり02、04、05、06、07の5編成で、04と07の編成には車体色が塗られていないグレーの車両が今年1月でも存在しましたが、2月にはその2編成にPNR203系では基本の色で塗装され、オレンジ帯については従来どおり腰部ではなく裾部分に塗られて2種類を楽しむことができるようになりました。


04と07編成は長い間グレーのままでしたが、今年2月にPNRの基本色に塗り替えられ、グレーの203系は見られなくなってしまったようです。
また、前面窓部分にも青色で塗られてしまい見た目はあまりカッコいいものではないようです。


最新の編成表は以下のとおりです。詳細な組成状況については確認しておりませんので、あくまでも参考程度にお願いいたします。


また、08編成もTutubanヤード内に留置されていますが、基本は部品取り用の車両です。


DMU8100系については8101Fから8104Fの4本がTutubanに配置されており、昨年7月下旬ではTutuban〜Alabang間の運用に充当されることもありましたが、今年1月中旬では充当されておりませんでした。しかしながらROTEMのDMUであるDMR1型の05編成の不調により、Tutuban〜Gov.Pascual〜Bicutan間の運用にこの8100系が充当されていました。


先程述べました韓国ROTEMのDMUであるDMR1型は昨年7月では05と06編成が稼働できる状況だったと思いますが、06編成は昨年の夏あたりから稼働できていないようで、05編成のほうについても昨年末あたりから稼働していないようです。


05編成はブラックフェイスに変更され、INKAのDMUである8000系や8100系と同じような塗り分けになりました。


最後にINKA製造のDHL9000+PC8300の第1編成がTutubanヤード内に留置され、長い間運用についていませんが、こちらも機器の不調があるようで、どうもDHLのCPの調子が悪いとPNRの社員が述べていました。


以上がマニラ首都圏における車両の状況ですが、短時間で観察したり、人から聞いた情報ですので、あくまでも参考程度にお願いいたします。
また、今後予定されているマニラ首都圏の運行休止に伴いINKAのDMU8000系及び8100系、ROTEMのDMR1型、INKAのDHL9000+PC8300、EMUの203系についてはCalamba以東で使用する計画があり、現在運休区間での使用と現在運行区間での列車増発用としての使用が早くて9月頃から予定されております。
しかしながら、現在もマニラ首都圏では運行が続行されており、運行休止が3月以降になりますと、車両の運搬や整備などにも時間を要すため当初の予定時期が遅れたり、運休区間で運行開始したとしても利用状況が芳しくない場合は運休となることも想定されるため、まったく先の状況が読めません。
車両関係については以上になりますが、Tutuban〜Aalabang間でも乗務員室への添乗をさせていただきましたので、また、時間がありましたらそちらの話題でも述べていきたいと思います。

フィリピン国鉄(PNR)、Calabarzon地方の状況について

2024年02月20日 18時25分08秒 | フィリピン
Bicol地方の状況に続き、本日はCalabarzon地方の状況について述べますが、Calabarzon地方はマニラ首都圏東方から南方にかけて近接する数州のエリアからルソン島南東部に位置するBicol地方に挟まれた地域で、フィリピン国鉄(PNR)の現在運行されている区間においてはCalamba〜San Pablo〜Lucenaがその区間に該当します。


2023年7月27日朝の出来事については前回述べたとおりで、前日と同様に朝食後に再びNaga駅で1時間ほど観察したあと、次の目的地Lucenaをバスで目指します。
LucenaまではNagaからおよそ200kmあり、Lucena17:50発の列車に乗車し、San Pabloまで行くことになっていましたが、バスのチケットは取っておらず、しかも時刻は10時近くということで、この列車に今日のうちに乗車できるかどうか微妙でした。バスターミナルに行ってみるとLegazpi方面からマニラ方面に向かうバスが到着しているので、車掌に聞いてみたところ私ども3人分の席はあるので乗り込み、バスは10時30分頃に出発しましたが、およそ6時間でLucenaに到着できるのか微妙という感じでした。途中、この乗車したバスにはなぜか昼食の食事休憩もなく、パンクなどのアクシデントにも見舞われず済んだことから16時頃にLucenaに到着し、あとはトライシケルに乗車して駅に向かいました。
Lucenaの街は大きな街で、もう少し時間があればLucenaのB級グルメと言われるTasa sa chami(焼きそば、パンシットの一種で、大きなお椀に盛られたもの)を食べて行きたいところでしたが、そのような余裕の時間がなく駅へそのまま直行しました。


Lucena駅は街の中心地から南に位置し、鄙びた感じのところにあり、地元の人でなければわからないところに駅がありました。
切符を購入し、列車の乗務員や駅員に乗務員室添乗許可証を見せると、お待ちしていましたと挨拶をしていただき乗務員室へ案内されました。


今回乗車するのは上の写真のとおりINKA製造のDMU3両編成の8100系(8102)で、PNRではINKA製造の車両としては最も早く導入された車両で、導入当初はマニラ首都圏で使用されていました。
また、今回乗車するこのLucena〜San Pablo間は2013年から運休していたものの2022年6月25日に運行再開し、8本(4往復)の列車が運行されていましたが、訪問時においては2本(1往復)のみの運行となっており、San Pablo6:15発→Lucena7:47着、Lucena17:50発→San Pablo19:22着になっております。
私とウチの子は乗務員室にお邪魔させていただき、ウチの家内はあまり興味がないのか客室に座って眠り込んでしまいましたが、普通の方であればやはり当然なのかもしれません。
列車は定刻17:50に発車すると、Lucena駅が街の南側の外れに位置することからあっという間に市街地の風景から田園風景へと変わりました。
その後はひたすら直線区間を快調に列車は進むばかりでした。


車内はどんな感じかと言うと、Lucena周辺ではある程度の乗客は居るものの徐々に降りていく人ばかりで空席が目立つ程度ですが、途中の駅から乗車する人に対しては下の写真のように車掌が切符を販売しています。


18時30分を過ぎると当たりは暗闇に包まれ、前方の見通しは悪くなるのですが、そのような中で列車は1台の車を発見し急停止しました。
下の写真のように線路脇そばに車が止まっており、このまま列車が進むと車に接触する恐れがありますが、運転士は警笛を鳴らして持主に知らせると、持主らしき人がすぐに現れ、ひたすらPansensiya na ho kayo!(ごめんなさい!)と言って、車はすぐに移動しました。


上記のような軽いトラブルがあったものの1時間半の旅はあっという間に終わり、San Pabloには駅本屋側のホームが6両編成に対応する本線側に入線し、定刻19:22に到着しました。

このあと、Calamba方面から列車が19:30に到着するのですが、昼食を取っていなかったためかウチの子が駄々を捏ねはじめ夕食にしようよと言い始めました。19時半過ぎても列車が到着しないので、駅員に尋ねてみると列車は遅れているとのことで、10分程遅れてようやく到着しました。
列車からは20人程降車しましたが、思っているほどの利用客は少ないことからなのか2023年12月下旬から運休になっています。
下の写真は左側の列車がLucena〜San Pablo間の車両(8002F)、右側の列車がSan Pablo〜Calamba間の車両(8001F)です。


列車が到着したところで、フィリピン人皆大好きなジョリビーではなく、すぐにマクドナルドへ直行しました。ウチの子はマクドナルドが大好きなようですが、マクドナルドには今や店員に直接オーダーするのではなくタッチパネルでオーダーするのが主流で、あのタッチパネルでオーダーするのが私は不得意で困ります。
また、San Pabloの街はLucenaに比べたら小さいもののある程度の宿泊施設があり、私達も街の中心から北西に1km離れたところにチェックインしました。

翌日朝は5時過ぎに起床し、こんな朝早くから食欲はないので駅にそのまま直行しました。


San Pablo〜Calamba間を走る列車もSan Pablo〜Lucena間の列車と同様に1日2本(1往復)しかなく、時刻は以下のとおりですが、先程も申し上げましたように乗客の少なさ等から2023年12月下旬からCalamba〜San Pablo間の運行は中止されています。


下の写真は左側の列車が6:23発のCalamba行きで、右側の列車が6:15発のLucena行きで、このような顔を付き合わせた姿を見ることができました。


Calamba側から見ると下の写真のとおりで、見た目6両編成のような姿を見ることができました。

昨日と同様に乗務員室添乗許可証を乗務員に見せるとウチの子といっしょに乗務員室へと導かれました。ウチの家内は昨日と同様にあまり興味がないので客室で朝寝タイムになりました。

San Pabloを定刻6:23に発車するとLucenaと同様にすぐに田園風景となりましたが、San Pabloは標高約230mもあり、Calambaへの途中駅Los Bañosに向かって徐々に高度を下げていきますので、途中、 Palicpic-Ayungin BridgeやSitio CurvaのΩカーブのダイナミックな光景や前方には成層火山のMt.Makilingの見事な姿も見られます。


Sitio CurvaのΩカーブを抜けると学園都市内の駅の1つであるIRRIに停車しますが、この駅も簡易な階段で乗り降りすることになります。


また、車内の状況ですが、やはり乗客は少なめで1車両に10人程度、学園都市であるLos Bañosの町内の各駅から生徒らしき方が乗車する程度でした。

およそ33kmの区間を1時間ちょうどで走り抜け、Calambaには定刻7:23に到着しました。
2023年7月28日時点で、Calamba〜San Pablo間、San Pablo〜Lucena間にそれぞれ1日2本(1往復)の列車が運行されていましたが、1日のうちに乗り継ぐことはできず、San Pabloに泊ることが必用でした。
Calamba〜San Pablo間の運行再開予定は早くて2024年9月頃のようで、マニラ首都圏での運休が大前提になるようです。


最後にCalambaのヤード内にも色々な車両が留置されていましたので、撮影許可証をPNR社員に見せて車両をみさせていただきました。
キハ59こがねが留置されていますが、現在、使用できるのかどうかはわかりません。また、14系寝台車も留置されていますが、綺麗な車両は居なかったようです。


この他、DOST(科学技術省)開発のHET(ハイブリット・エレクトリック・トレイン)も留置されており、昨年は試験のため使用されていたかと思いますが、ここ最近使用されているのかどうかはわかりません。


以上でBicol地方とCalabarzon地方の状況について簡単に説明しましたが、次回はマニラ首都圏地域の話題について述べていきたいと思います。

フィリピン国鉄(PNR)、Bicol地方の状況について

2024年02月19日 18時01分30秒 | フィリピン
Magandang hapon po sa inyong lahat!
皆さん、こんにちは!
大変ご無沙汰しております。


ブログの更新が約10ヶ月ぶりになりますが、フィリピン国鉄(PNR)の話題から提供させていただきたいと思います。
実は昨年7月末、今年1月中旬にフィリピンに行って参りまして、昨年の7月は9日間滞在し、Bicol地方にも行って来ました。2回とも現地ではフィリピン国鉄(PNR)の状況を見るため、乗務員室への添乗、駅構内にある車両の撮影を実施し、PNR職員への質問なども行ないましたが、まずはBicol地方における昨年7月末の状況や最近の状況について簡単にご報告させていただきたいと思います。

私の家内や子供は現在もマニラ南部の交通拠点であるAlabangの近くに住んでおりますが、7月25日夜21時にBicol方面の夜行バスに家内と子供を連れて乗り込み、Nagaへ行くことにしました。Nagaまではおよそ350kmあり、時間にして8時間かかりますが、バスは3列シート、トイレ付きということで快適なもののLucenaから先は路面の状況は悪く、カーブの連続で快適な乗り心地ではなく、ウチの子も寝れないようなんて言っていました。私もあまりにも乗り心地は良くないので、ウトウト出来る程度しか寝れませんでしたが、あっという間に朝5時過ぎにNagaのバスターミナルに到着しました。バスターミナルの近くにフィリピンではおなじみの時間貸しホテルのSogoがあり、そこへすぐにチェックインし、3時間程仮眠したあとに朝食を済ませてからPNRのNaga駅へ行ってみました。


駅に到着して、まず目にしたのはRescue Carになったキハ52-122で、Calambaから回送され、Nagaに到着したばかりということでラッキーでした。本当はあまり使用されていなかったオレンジ1色の時代に撮影してみたかったところですが、今後はNagaに常駐するようで、異常時に出動するようです。なお、警備員に聞いたところ許可証がない限り撮影は不可とのことで、警備員も多く居ますので、撮影は異常時にしか撮影できないなもしれません。


翌日もNaga駅に行ってみたところ、新たにBoagong Pilipinas(新しいフィリピン)のロゴが取り付けられており、これはPNRだけでなくフィリピン政府の関係施設などに取り付けられております。
車内は下の写真のとおりでこんな感じですが、いつ出動するのかわかりませんし、動いている姿は皆さんが思うように私も見たいものですが、LegazpiのMayon火山とのツーショットは絵になるのではないでしょうか。


続いて、目にしたのは2編成のINKA製造のDHL9000+PC8300です。DHL9002+PC8302、DHL9003+PC8303の2本が留置され、7月31日からNaga~Ligao間の営業再開で1本が使用されました。Sipocot~Naga間についてはこの時点でDL+キハ3519 キハ3518が使用されていましたが、なんと7月27日にはDHL9000+PC8300が使用されており、DL+キハ3519 キハ3518は駅東側に留置されておりました。使用されてきたキハ350はおそらく休車となり、役目を終えるのかもしれませんが、しばらくは予備車両になるとのことでした。


下の写真が7月27日朝からSipocot〜Naga間で使用されたDHL9000+PC8300で、朝はキハ350の2両ですと乗り切れないほどの大変な混み具合になるのですが、この日からDHL9000+PC8300が使用され、クーラーの効いた車内でゆったりと座ることも可能になり、快適な乗車サービスが提供できるようになりました。


7月27日からDHL9000+PC8300(5両)の使用開始に伴い、乗客たちは涼しい顔でNaga駅を下車していきましたがこの日は遅れて到着しました。フィリピンでは日本のように出社時間や始業時間に遅れても上司や先生から強く怒られることもありませんし、乗客たちは快適な利用ができて嬉しいのではないでしょうか。


その後、12月下旬からはCalamba〜San Pablo間で使用されていたINKA製造のDMU8000系3両編成が使用され、今まで使用されていたDHL9000+PC8300の1編成はLigao〜Legazpi間の2023年12月27日からの6年ぶりの運行再開により、Naga〜Legazpi間で使用されることになり、朝2本、夕方2本はDHL9000+PC8300(3両)の2編成がともに使用されています。
時刻は2024年2月19日現在で、朝はNaga5:38発→Legazpi8:42着、Legazpi5:45発→Naga8:49着、夕方はNaga17:30発→Legazpi20:42着、Legazpi17:47発→Naga20:51着になります。
時刻は変更される場合もあり、運休する場合もありますので、あくまでもご参考程度にお願いします。


7月26日は2本のDHL9000+PC8300がお互いに顔を向けて留置され、いずれSipocot〜Naga間にこの車両が使用されることを聞いていましたが、まさか翌日の27日から使用されることまで予想できず、乗車することまではできませんでした。


他に留置されている車両としてはキハブルーのキハ52-102、キハ52-120、キハ52-121の3両がありますが、長年、この場所で朽ち果てるのを待つばかりの状態であり、やはり復活は相当難しいのではないかという状況でした。


以上がNagaに留置されている主な車両の状況でしたが、その後、Naga〜Sipocot間の乗車を楽しむことになり、Naga10:40発の列車に乗車し、Sipocotを折り返して、Naga13時着の列車に乗車しました。
列車はDL+キハ3519 キハ3518であり、まさかこの日がキハ350の最後の営業日になるとは思いませんでしたが、昼間の利用状況は朝のような酷い混雑ではなくほとんどの乗客が座れる程度でした。


下の写真はNagaからSipocotに向かう列車内の状況であり、車掌が途中から乗車した客に切符を売っています。
また、DL牽引ですので、こちらの車両のエンジンは使用されていませんでした。


Naga〜Sipocot間は40km弱あり、1時間ちょっとの乗車になりますが、ほとんど田園風景が広がる中を時速40km/hで走り、心地良いのかついウトウトとしてしまいます。
Sipocotには定刻時刻の12時10分前に到着し、DLの機回しがすぐに行われました。


乗務員室への添乗許可証も持っていたのですが、家内と子供がいっしょでしたので帰りも座って乗車を楽しみました。
列車は定刻時刻12時ちょうどに発車し、Nagaへ向けて走り出しました。
途中、Libmanan駅ではこの区間では最も大きい町であり、多くの乗客が下の写真のように乗り込みます。
高床式のホームはほとんど整備されていないこともあり、乗客全員が乗り込むには時間もかかりますが、この駅では早急に高床式のホームが整備されることが望まれます。


Libmanan駅を発車しますとすぐにLibmanan川の橋梁を渡り、Bicol地方の雄大な自然を味わうことができます。


帰りもNagaにほぼ定刻時刻に到着しましたが、朝の列車では乗客が多いため、数年前に乗車した列車では本当にすし詰めの状態で、遅れも常態化していました。しかしながらDHL9000+PC8300の投入、12月下旬からはDMU8000系の投入により、少しは改善されているのかもしれません。
ちなみにSipocot〜Naga間の時刻は以下のとおりです。
こちらの時刻もあくまでも参考程度にしていただければと思いますし、日中の列車が運行されないこともありますので、ご注意いただきたいと思います。


次回はCalabarzon地方のCalamba〜San Pablo間、San Pablo〜Lucena間の状況について述べていきたいと思います。


南武線、矢向〜武蔵小杉間連続立体交差事業の概要について

2023年04月03日 15時46分12秒 | 南武線
毎度のことながらいつもは車両のことばかりでしたので、本日は南武線の矢向〜武蔵小杉間で計画されている連続立体交差事業について、簡単にお話しさせていただきたいと思います。

以前もお話ししたかもしれませんが、幼少から少年時代の1968年から1983年まで鹿島田に住んでおりまして、1975年頃から朝のラッシュ時の南武線は3分間隔で運行され、沿線の各踏切ではまさしく”開かずの踏切”となり、踏切が開くのは1時間のうちたった10分少々と南武線の反対側の地区に行くには大変なものであり、主要道路や駅前の通りは長い渋滞を引き起こしていました。
私自身は線路の東側に住んでおり、同じく線路の東側にある小学校や中学校に通っていましたので、生活上、南武線の踏切で苦労することはほとんどありませんでしたが、時々、母親といっしょに買い物へ行く時には線路の西側にある商店街に行く時もあり、夕方は踏切で列車を2〜3本も待たされることもざらで、当時、少年ながらもなんとか解決できないものかと考えることもありました。
しかしながら、当時から南武線好きな私としては踏切で待たされ、何本も通過する列車を眺めることができるのも面白いと感じつつ、小学校の絵画コンクールでも、確か「将来の我が街」というタイトルのもと何でも書いてもよいとのことで、鹿島田駅が高架化された姿を書いてみたところ、私の書いた絵が絵画コンクール出展に選ばれるところまで行ったのですが、もう1人が書いた絵が若干優秀であったためか私の絵は落選してしまいました。
まあ、そのようなことはどうでもいいのですが、昔から平面を走る南武線の尻手〜武蔵小杉間だけでも早期に連続立体化事業を実施し、安全な街づくりができないものかといつも考えていたところ、私が高校生の頃に武蔵小杉〜第三京浜間約3.9kmの連続立体交差事業の工事が開始され、工事は仮線方式と一部は直上高架方式によるため沿線の風景がみるみるうちに変わっていき、205系が投入されるほんの少し前の1988年11月に下り線が高架に切り替えられました。私が生きている中では南武線で初めて高架化された姿を見ることができたのですが、列車が高架線を静かに走り、車窓から見える景色が一変し、富士山や丹沢山地を目の前に見えた感動は忘れられません。

またまた話しが本題に進みませんのでいい加減にここで戻しますと、南武線の連続立体交差事業についてはある程度関心を持っており、今回ご説明します矢向(尻手)〜武蔵小杉間の連続立体交差については川崎市の都市計画マスタープランでも十数年前からも優先度の高い事業とされていたのですが、京急大師線の東門前〜小島新田間の連続立体交差事業が実施されていることもあり、当該区間の事業化にはなかなか進みませんでした。
事業費の圧縮が求められる中、今まで日本の全国各地で実施されている連続立体交差事業の中ではあまり例がない「別線高架工法」により当該区間の事業が計画されていますが、今年2月に実施された住民説明会とオープンハウス型の説明会に参加させていただき、その資料による概要については以下のとおりになります。


事業区間 矢向〜武蔵小杉間約4.5km
除去踏切数 9箇所(塚越、鹿島田、川崎堀、平間、平間駅前、中丸子第1、中丸子第2、中丸子第3、向河原駅前)
対象駅 鹿島田駅(相対式ホーム)、平間駅(島式ホーム)、向河原駅(相対式ホーム)
変電所移設 向河原変電所
設計最高速度 110km/h
工法 別線高架工法
総事業費 1387億円

工法については別線高架工法によりますので、計画線は現在線よりも約5m西側に移ります。(駅舎付近を除く)
当初、横浜市市域部分の矢向駅周辺の約1.0kmを含めて連続立体交差事業が計画されていましたが、横浜市では現在相鉄線の鶴ヶ峰駅周辺の連続立体交差事業を進めており、それ以外に連続立体交差事業を実施すべく箇所は相鉄本線瀬谷駅周辺、東急東横線白楽駅〜妙蓮寺駅周辺、京急本線鶴見市場駅付近があり、横浜市矢向駅周辺については優先度を考慮すると事業化するにはまだまだ先なのかもしれません。

 
縦断図については以下のとおりで、平間駅付近は他の区間に比べグランドレベルから若干高く、軌道面の高さはGLから約9mあります。
当該事業では横浜市市域部分は対象ではないものの、今後において横浜市市域においても連続立体交差事業が実施された場合は当該事業と対応できるような構造になる予定です。


続いて各駅の構造を見ますと以下のとおりです。

まずは鹿島田駅ですが、ホームは相対式ホームで、軌道面はGLから約6mで、おそらく稲城市で実施された南武線の連続立体交差事業の構造物とおおよそ同じくらいの高さではないでしょうか。
また、ペデストリアンデッキが当該工法では支障となるため、今後は取り扱いが問題となるようですが詳細な具体策については今のところ示されていません。

ホームの長さは各駅約130mであり、有効長は6両編成分となりますが、将来の長編成化(8両化?)を考慮した構造物になる予定です。
また、ホームドア(スクリーンドア?)はもちろん整備される予定で、現在線や工事期間中においても当該事業の対象駅にホームドアの設置や使用が予定されています。
その他、計画線の中心線は上りホーム分の幅である約6m西側に位置するため、現在線では駅付近はまっすぐな直線ですが、緩やかに西側にカーブすることになります。


続いて平間駅ですが、ホームは島式ホームで、軌道面はGLから約9mで、鹿島田駅や向河原駅よりも高く、見通しは良いかもしれません。
また、相対式では島式よりも幅が広くなり、事業費も膨らむため島式のほうが最適と判断されたのではないでしょうか。(直上高架式ですと事業費がより増大するものと推測されます)


平間駅においてもホーム有効長は約130mが予定され、階段、エスカレーター、エレベーターはほぼホーム中央部に設置される予定です。


最後に向河原駅ですが、ホームは相対式ホームで、軌道面はGLから約7mで、鹿島田駅よりも若干高くなるようです。
また、屋根は丸みの形状となっていますが、あくまでも計画図ですので、変更もありえるのかもしれません。


向河原駅においてもホーム有効長は約130mが予定されていますが、川崎方の上下線ホームは狭くなっています。


当該事業の概略については以上のとおりですが、事業スケジュールについては以下のとおりです。
2023年度末 都市計画決定(数ヶ月後に事業認可)
2024年度  向河原変電所移設工事開始、用地取得
2029年度  下り線高架化工事開始
2033年度  下り線高架化予定、上り線高架化工事開始
2039年度  上り線高架化予定

工事開始から上り線が高架化されるまでの期間は、おおよそ15年の長い月日を要し、私は赤いちゃんちゃんこを着る年齢に近づいて来ているのですが、あと15年というと70いくつの年齢になり、そこまで生きていられるのか自信がありませんが、せめて下り線の高架化までには生きたいもので、幼少の頃から夢見ていた鹿島田駅付近の高架化を味わいたいものです。
鹿島田駅のホームからどのような風景が見れるのか、塚越踏切から向河原駅前踏切の先までの区間において車窓から見れる風景は富士山や丹沢山地、武蔵小杉のタワマンなど見れるのか楽しみですが、まずは夢を実現するためには健康に気をつけなければなりませんね。



南武線103系3色混色編成の思い出

2023年04月02日 14時08分28秒 | 南武線
ご無沙汰しております。
今日は4月2日ということで、昨日はウソをついてもよい日でありましたが、今日はウソをつけない日ということで、ウソ電ではなく本物の写真を掲載させていただきます。
このブログでも何回か話題を提供させていただきましたが、今から約40年前の今日の1984年(昭和59年)に南武線では初の3色混色編成が営業し、現在では考えられない見事な混色編成を見ることができました。

順を追って説明しますと、1984年3月6日付けで、松戸から非冷房のエメグリM319 M'475が南武線の車庫である中原に転入し、余り気味であったオレンジサハ2両のT210を松戸へ、T211を豊田へ転出させました。


上記の車両の転入前に中原と松戸の検修の方々からこの転配については聞いており、南武線に初の非冷房103系とエメグリ塗装が転入するということで大変期待していましたが、松戸からの車両の転入後すぐに転入整備が実施され、車体側面隅の所属表記が「西ナハ」に書き換えられ、南武線の仲間として認められたような感覚で、南武線デビューを楽しみにしておりました。
その後、中原の検修の方から「早速、3色混色で使用するから楽しみにね!」という言葉をお聞きし、デビューを待ち望んでいたところ、確か台検の差し替えで使用することになり、以下の組成で3色混色編成でデビューしました。


デビューは4月2日の1637デからで、4月9日の843デまでまず使用されましたが、4月2日に乗務した乗務員から「これじゃ、まったく信号機だね!」なんて言う冗談も聞かれ、当然、乗客からもこの珍しい3色混色編成に相当驚いていた人もいらっしゃいましたが、私もこの3色混色編成のエメグリ電動車に乗車し、窓を全開にしてモーター音などや乗客の反応を楽しんでいました。


その後においても主に台検時の差し替えで使用されることがあり、少なくとも上記の編成表のとおりの組成で活躍し、南武線ではこのエメグリ車両を含む見事な混色劇場が展開されました。
夏場の冷房使用時期においては冷房電源がありませんので、時より車掌からのアナウンスで「立川方の1両は冷房車でございますが、冷房は使用できませんので川崎方3両の車両をご利用ください」などの案内がされていました。


9月には全般検査で入場するとともに東急車両で冷房改造が実施されましたが、11月に当時の南武線では見られなかったステンレスキセのAU75Eの冷房装置を付けた姿と南武線本来の塗装色であるカナリアで出場しました。
出場後の12月3日1750デから上記の編成表の組成で使用され、早速その姿を見たくて冷房改造後の様子をうかがいましたが、客室内の塗装が綺麗ではなかったのは印象的でした。

以上、混色・異色好きな者にとっては良い思い出でしたが、また、時間がありましたら101系や103系の醍醐味である混色・異色のエピソードなどについてお話ししたいと思います。