散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

20世紀以降を揺るがす“革命”の行方~「有識者懇談会」報告は無視

2015年08月19日 | 歴史/戦後日本
「21世紀構想有識者懇談会」報告書(H27/8/6)の中で諸外国に注目されたのは、過ぎ去った20世紀に対する日本の歴史認識であって、21世紀の中で日本が今後に向けて何を行うか、ではなかった。
 『戦後日本の「平和」は選択ではなく拘束であった~「有識者懇談会」報告への違和感150809』

報告書では、日本は満州事変から太平洋戦争(1931-1945)の15年戦争の期間だけを侵略期間として無謀な戦争を遂行したと断罪する。しかし、奇妙なことに、それ以前の韓国を足掛かりにした大陸北方へ向けての植民地化政策は不問に付す判断を提示する。
 『大陸帝国主義の先駆け、韓国合併~「有識者懇談会」報告は無視』

それに対して、「報告」はウィルソン流の「民族自決」に高い評価を与える。当初は欧州社会を念頭においての提唱であった。これを日露戦争での日本の勝利を背景に、この勝利がアジア諸国への勇気を与え、それが「民族自決」と共振して、戦後のアジア諸国の独立に導いたと位置づける。

しかし、報告書はロシア革命から中国革命と続く共産主義革命については何も触れていない。更にナチスドイツ、スターリンの背景にあった汎ゲルマン主義、汎スブ主義に代表される民族主義についても無視する。

共産主義革命は周知の通り、集団農場制度としてのコルホーズ(ソ連)、人民公社(中国)での失敗でその意義を失った。更に、ソ連での粛清、強制収容所政策、中国での大躍進政策、文化大革命等で数千万人に及ぶ死者を出したと云われる。
ソ連はベルリンの壁崩壊(1989/11)によって国自体が消滅し、中国は毛沢東の死後(1978)に小平が市場経済の導入により、実質的に共産主義を放棄した。

しかし、特に中国は1954年のネール・周恩来会談で平和五原則を示しAA会議にも積極的に関わることにより、新興のAA諸国の独立、第三勢力として結集に大きな影響を与えたことも紛れの無い事実である。筆者はAA諸国に影響を及ぼした周恩来外交を中国外交の正の側面として評価して、それをAIIBに繋げることで歴史的な道筋を示すことが大切だと考える。

尤も、毛沢東主義に基づく革命の輸出という負の側面もあったことは確かで有り、それが現在の東シナ海、南シナ海での軍事活動に結びついているとの歴史的見方も可能であろう。歴史的の両者を冷静に評価し、現在との関係を導き、今後の方向性を示唆することが対中国外交として必要であろう。

現代は先進社会だけではなく、開発途上国においても情報空間の拡大と民衆の政治的覚醒によって、容易に政治的運動が起きる。内戦の様相を帯びる紛争は、暴力行使の社会化・大衆化の中で、拡大し、多くの民衆を闘いに引きずり込む。それはある面で革命の大義が民衆に訴える側面を持つことにもよる。

従って、私たちは「報告」が無視した“革命”とも、21世紀において付き合っていく必要がある。

    
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