散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

ハンナ・アーレント(3)~「革命論」についての永井陽之助のコメント

2013年11月25日 | 永井陽之助
「政治的人間」(永井編 平凡社1968)に取り上げられたアーレントの著作は「革命について」である。「解説 政治的人間」ではその解説をする前に「全体主義の起源」「人間の条件」を説明する必要があった。その意味で“革命”を理解するには、その前の二つの主著を読むことが必要なのだ。

アーレントは「革命論」の中で、フランス革命とアメリカ革命を対比させ、前者の失敗と後者の成功とを浮き彫りにする。

アメリカ革命は市民の生命・自由・財産権などの消極的な保護を制度化しただけではなく、積極的に市民が政治に参加するという「積極的な自由」を保障した。公共の領域で、市民が討論と決定に参加するような共和国を創り出そうとする処に革命の使命を見たのだ。それは何よりも先ず、“政治革命”であった。

一方、フランス革命は、市民の政治参加への関心を失って、社会問題、即ち、貧困の解決に国家権力を使用するという誘惑に陥った。そこで、「政治的手段によって、貧窮から人類を解放する試みほど、時代遅れのもの、不毛で、危険なものはない。」との強い言葉になる。

永井教授は「大量貧困の除去が、長期的には技術革新による経済成長以外にはあり得ない。…その意味でアーレント女史の主張に一面の真理を認めるにしても…大量飢餓と貧困の存在する現代において、例外的に幸運な環境で成功したアメリカ革命をモデルにその窮状から脱却できるのか、疑問である。」と述べる。

現実は、多くの革命家たちが貧困から脱出する近道として、政治権力に訴えたのだ。しかし、教授は次の様にアーレントを評価する。

「だが、核兵器の出現によって、戦争を正当化する理由付けが一切不可能になった以上、逆に大国間の恐怖の均衡が、権力政治の手詰まりを生み出すに至った。そのため、暴力行使の内政化を生み、過去二十世紀を通じてよりも、もっと革命が重大なものになるという、女史の鋭い洞察とやや悲観的な危機意識のなかに、「革命について」の真価があるように思われる。」

「解説 政治的人間」のエピグラムにも「今日、世界を二分し、そこに多くが賭けられているコンテストにおいて、おそらく革命を理解するものが勝利を収めるだろう。」が掲げられている。

現実の世界は、ロシア革命、中国革命からアジア・アフリカ諸国の独立、そしてイスラム革命に移っている。アメリカもまた、建国の理念よりは覇権国家としての役割に徹しているかのようだ。しかし、その覇権も中国の台頭で揺るぎ始めているかに見える。国際的内戦の時代はどこまで続くのだろうか。

      






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